死痕

安眠にどね

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「びっくりさせるつもりはなかったんだけど……ごめん、こんな場所じゃ驚くよね」

 混乱で、今にも死にそうなわたしとは裏腹に、男の方は、酷く落ち着いた様子だった。その様子がわたしには異常に見えて、折角わたし以外の誰かと会えたというのに、安心できないでいた。
 わたしが警戒しているのが相手にも伝わったんだろう。男は、「ごめん、廊下にいるのはあまり良くないから、ちょっとだけ中に入るね」と職員室に入ったっきり、わたしに近付いてはこなかった。
 ……廊下にいるのが駄目って、どういうことなんだろう。

「ええと……ああ、そうだ。僕の名前は端島(はしま)綿理(わたり)。自己紹介、していなかったよね」

 綿理。なんとも変わった名前だ。本名、なんだろうか。反応に困る。本名だったら、変わった名前ですね、なんて面と向かって言えない。

「偽名でもいいから、なんて呼んだらいいのか教えてくれると助かるな」

「……じゃあ、りっちゃんって呼んで」

 わたしの昔からのあだ名であり、同時に、ネットで呼ばれている名前。
 いきなりあだ名、というのは馴れ馴れしいかもしれないが、下手に本名を知られるのは怖いし、かといって、もしかしたらこの場所で依鶴を探すことに協力してもらうかもしれない相手に完全に偽名を使うのは、少しはばかられた。このあだ名は本名から取っているあだ名なので、完全に偽名というわけでもない。

「貴方はどうしてそんなに落ち着いてるの?」

 男――端島さんが何かをいう前に、わたしは彼へと質問を投げかけた。こんな異常事態でこんなにも落ち着いているなんて、わたしには信じられない。

「子供の頃に、一生分の恐怖を味わったからかな」

 端島さんは、一切の動揺を見せず、そう言った。

「まあ、一生分っていうと大げさかもしれないけど、でも、大抵のことは『あのときと比べたら怖くないな』って思っちゃうんだよね。だから、肝が座りすぎて怖いとか、気持ち悪いとか、よく言われる」

 彼はうっすらとほほ笑んですら見せた。
 こっちは恐怖で死にそうだったのに、それよりも怖い体験って、どんななんだろう。

「……そんな顔しないで。別に隠していることでもなんでもないし――ちゃんと言わないと、僕がこの状況を仕組んだ、とか思われそうだしね」

 そんな顔、とは、どんな顔だろうか。嘘っぽい、って表情? 
 ……仮に彼の話が本当だったとしても、この状況で平然としているのは確かに気持ち悪いものを感じる。口には出さないけど。

「そう言えば、君はどこにいたの? まさかまだ他にも人がいるとは思わなかったよ」

「隣の教室――……まだ?」

 隣の教室で目が覚めた、と言おうとして、わたしは彼の言葉の、引っかかる部分に気がついた。
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