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第4章 悠久を渡る「黒虚」の暇つぶし
79.炎神の黎明
しおりを挟むまず、ベルがゲームの顛末について……特に勝敗を決した「指名」について語ってくれた。
精神を乗っ取る、という形で『黒虚』が隠れていたのは、藤川京の精神とともにミニラピットの中へ分割された「大いなる意志」だった。
いざ指名となったとき、言霊による拡大を防ぐ為、「神様」や「大いなる意志」といった呼称は使えなかった。
「大いなる意志」は信徒を持たない神であり、特定の呼称を持っていなかった。後からわかったことだが、他ならぬゲームマスターの『黒虚』自身が、神とは境界線を持たない存在だと考えていたようだ。
このため「指名」で用いる名前は「藤川京」以外ならば何でも構わなかった。信徒であるベルが呼んだ名前が、そのまま彼女を示す答えになった……
俺は謎の補完をする形で、「転生」や「神格化」について、話せる限りを伝えることにした。みんなにとっての1日がクロニアにとっては9日間だったことは……伏せておいてもいい、かな。
『「転生者」は女神の声を聞く』
かつて師匠が、京……藤川京に、女神の実在について尋ねたことがあった。
風の噂で聞いた、と言っていたけれど、少なくとも俺の転生については真実だ。
京はその死後に、確かに女神の声を聞いた。
ほうっと柔らかな紅光の満ちただけの、自分の身体がどこにあるかもわからないような曖昧な空間で……ごく僅かな時間、一方的にではあるけれど。
女神が伝えたのは、次の4点。
ひとつ。藤川京を、彼が生前暮らしていた世界とは別の世界に転生させること。即ち、前世の人格を抹消せず、記憶の再得時に再生させるということ。
ふたつ。記憶再得後の、人格統合に関する優先権について。そして彼……俺に与えられた「色」と「名前」について。
「俺の場合は『紅』であり『粛清者』だった。その名前の意味は、まだわからない。
……続きを話そう」
みっつ。統合の時がくるまで「女神の声を聞いた」事実について語ることはできないという制約。話そうとしても、勝手に唇が閉じてしまうという強制力を持っていた。
よっつ。女神によって選ばれた『転生者』は、転生後も女神によって見守られ、選ばれる対象であること。
「転生後も、選ばれる……。
それが、『神格化』の為の選択なの?」
マグカップに両手を添えてフィーユが問う。薄緑色の水面は、ティアの淹れてくれた温かいハーブティーだ。ティアは、俺とレインにも同じものを用意してくれた。
すっきりする、美味しい。微温いものばかり飲食させられていたから、温かさが嬉しかった。
「恐らくは。
基準も理由もわからないけれど、女神様は神格化に相応しい転生者を探しているようで……俺が選ばれたのは多分、『碧水の大禍』と戦っているときだと思う」
「彼女」の存在に気づいたのは、自らの精神世界をクロニアよりずっと見つめてきた京だった。
京も、最初は「彼女」が何者なのかわからなかった。クロニアという人格・存在を脅かすものという認識だけがあった。
けれどオウゼでの作戦前夜、クロニアが意識を手放している間に、この身体を「彼女」が掌握した。その操縦権を奪還する為に、京は「彼女」と接触して……その正体に関する知識を「吸収」した。
「彼女」も京と同様に、クロニアと統合する可能性を待つ存在であること。信仰の力によって魔力が爆発的に膨れ上がっていく、その性質についても。
ベッドの上で、クッションに背を凭れさせたベルが、その視線を立てた自らの片膝に向ける。
「『黒虚』もまた、女神様に選ばれた……。シェールグレイ国内には不老不死の『彩付き』なんていません、少なくともオレは聞いたことがない。『転生者』さえ稀有なんです、アンタや『黒虚』みたいな存在が他に何柱いるのか……。
ただ、ひとつ引っかかることがあります。『黒虚』は不老不死にうんざりして、自らの消滅を求めたんですよね?
彼女がアンタと同じような過程で神格に至ったのなら、アンタ同様……『彼女だけの神様』に人間だった頃の精神を喰われて、そもそも死にたいなんて思わなかったんじゃないですか?」
「……憶測ではあるけれど、彼女は『神格化』を拒まなかったんじゃないだろうか?」
俺は混濁した意識の中で、それでも神格化に抗った。「大いなる意志」が強硬手段を取ったのは、俺が従順ではなかったからだと思う。
9日間の抵抗の果て、ベルの元へ返還されたのは神体と半人半神の精神だった。
そこに「優先権」を持つ京が介入した。混ざり合ったものを分離させることは叶わなかったが、女神との約束通り、京の意志は統合において「最も」優先された。
京が選んだのは「上書き」ではなく、クロニアと藤川京と「大いなる意志」という、3つの存在が混ざり合うことだった。
……その筈、なのだが。
みんなから見てどうなのかはわからないけれど、主観的には、あまり神様っぽくなっていないような気がする。京だった頃の記憶ははっきりしているのに、神としての記憶はまっさらで……。
「むむむ、むむむぅ……難しい、お話ですぅ……難しくて、何だか、頭がぼーっと……駄目駄目なティアで、ごめんなさいぃ……」
泣き腫らした目が半分閉じかかっている。
確かに難しい話だ、俺自身でさえもきちんと整理できていないのだから。だが、頭がぼーっとするのは、眠気によるところが大きいと思う。
経緯の大体については、説明を済ませた。
これから先のことについても……もう、一息に済ませてしまおう。
「その。『黒虚』に囚われ、迷惑をかけてしまって、本当にごめんなさい。みんなのおかげで戻ってくることができた。遅くまで答えを探し続けてくれて、救い出してくれて、本当に本当にありがとう。
ただ……事情を説明した、通りで。俺はもう、人間じゃなくて」
眠そうだったティアが、琥珀色の瞳を見開く。その一方で、俺を見つめていたフィーユは、長い睫毛を震わせながら俯いた。
「俺には恐らく、みんなと一緒に成長することが……老いていくことが、できない。自分の寿命がどれほどなのかも……とても、とても永いということしか、わからない。
……っ、い、生き残りたいと口癖のように言っていた俺には……その、つ、都合がいいことで! これからは自分の死を恐れることなく、大切な人達を……故郷を、護ることができるわけで……!」
改めて知った。嘘を吐くと、自分にも痛みが返ってくるものなんだな。
苦しくても、生きていく。生きていくんだ。
クロニアと京が2人で繋いだ心で、変わらずに。
たとえ、ともに変化していけないことで……大切な人達から、大切だと思ってもらえなくなったとしても。
「そ、それでも……、あの……み、みんなの気持ちは、どうだろうか!?
こんな俺と……これまで通り、一緒に……っ」
「いる!」
フィーユの言葉に、俺は唇を閉ざした。
「一緒にいる、いるわよ、ずっと!」
水蜜桃のような頬にできた乾いた軌跡を、大粒の真珠のような涙が再び伝い落ちていく。俺を睨んでいた翡翠色の瞳が、彼女自身を責める悲痛な色に変わった。
「『きみ達』をずっと縛り続けていたのは……幼い頃に、私と交わした約束だったんでしょう?
ごめんなさい……今なら、わかる。ケイさんとひとつになっても、人間じゃなくなっても……私の幼馴染だってことは、何も変わらないんだって……!
そんな、きみらしい表情をされて、嫌いになるわけ、ない……そんな、心細そうな言葉を聞かされて、離れられるわけ、ないじゃない……!」
「そ、そうですよぉ!」
ティア、泣きながら……怒ってもいる。琥珀色のつぶらな瞳に睨まれたのは、初めてかも知れない。
「あ、あたし……言わなかったんですけど、本当は気づいてたんですっ……クロさんから心音が聞こえないな、って……どうしてなのかな、って……!
でも、やっぱり、クロさんはクロさんだった! ケイちゃんさんともお話して、ますます、素敵だなって思う気持ちが、ぷくうって膨らんで……そ、それにっ、あたし、クロさんにまだまだまだまだ、たくさん恩返ししなきゃなんですよっ!?
で、ですからっ、こちらこそ、よろしければ、今まで通り一緒にいさせてください、……ぷんぷんっ!」
うう、物凄く頬を膨らませている……!
自分の涙を隠そうとするように、フィーユもそっぽを向いてしまって……更には、ベルまで溜息を吐いて、肩をすくめている……!
「あーあ、怒らせた。女心ってやつをまるでわかってないなあ、うちの大将は」
「あ、う……」
些細では済まされない変化、自分自身にさえ馴染んでいない変化だ。それでも彼女達は、受け入れてくれると言っている。
フィーユとの約束は、俺にとっても大切なものだった。それを……破ってしまったのに。
ティアも。恩返しをしたいと言ってくれているが、俺の方が彼女に助けられてばかりなのに。
ど、どうしよう。嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちで、「ありがとう」と「ごめん」以外に、何を言えば良いのかが、本格的にわからない……!
落ち着かなくては……このままでは周りに火球を幾つも生み出し、この部屋に置かれた全てを燃やしてしまい、弁償する事態に陥るかも知れない……!
確か、古都ちゃんが「誠意を示すには言葉より行動で」と……
「あ、あの! 感謝と謝罪の気持ちとして、俺に出来ることがあれば、何でもお手伝いを……」
フィーユが、くるりとこちらを向いた。
偽りなく溢れ出す涙を拭う、指先の美しさ。その瞳も口元も……何故か、あやしく微笑んでいる。
「何でも。そう言ったわね?」
「…………良識の、範囲内であれば」
「大丈夫、ばっちり範囲内だから。
ふっふっふ、まさかクロ自身の口から引き出すことができるとはね……ティアちゃん、例の計画を実行するわよ! その為にも、まずはたっぷり休まないとね! 悪夢は、もうおしまい!」
「ぐすっ、すん……はい、フィーユちゃん!
あたし、いっぱいお休みして、ベッドの上でコロコロしながら、い~っぱいアイデア、出しちゃいます……! でっでも、コロコロしすぎてベッドから落ちないように、気をつけなきゃ……!」
れ、例の計画? アイデア?
フィーユはハーブティーを飲み干して立ち上がった。全員分のマグカップを回収して素早く洗い……戻ってくるなり、まだ戸惑いの中にいる俺の右手をさっと握った。
魔力を、内側へ、内側へ。そう抑え込んでいる間に、ティアが「しっ、失礼しますぅ!」と涙声で叫びながら、俺の左手をそっと握った。
ぐいぐい、と。主にフィーユの力によって、俺は強制的に椅子から立ち上がることになった。
「フィーユ、ティア、一体どこへ……!?」
「決まってるでしょ、家に帰るの! まずはティアちゃんのお家、それから、お母様が待つクロのお家に、ね?
お邪魔しました、レインくん! ……きみがいてくれて良かった、本当にありがと!」
「レインさん、おやすみなさいっ……あ、あれえ? おててを引っ張りながらだと、上手くお辞儀が……!? そ、それに、前と後ろ、どちらを見ればぁあ……!?」
母さんが待つ家へ、帰れる。
みんなのおかげで、日常へ戻れる。
普段のベル……レインなら、憤慨していたかも知れない。けれど流石に疲弊しているらしく、彼はベッドに腰掛けたまま、指輪をはめた手を小さく左右に振るだけだった。
「フィーユちゃん、ティアちゃん、おやすみ。君達に良い夢が訪れるよう願ってるよ。
ついでに、クロさんもね。約束、ちゃんと守ってくださいよ?」
約束。感謝と謝罪の為、俺に出来ることを手伝う。レインが俺に手伝って欲しいことと言えば……ユエリオさんのことしか、ない。
「必ず」
俺は、そう応えた。
夜明けを間近に控え、濃紺を透き通った白へと移ろわせていく、空の下へ。
女性2人に引っ張ってもらっているにも関わらず、酷く身体が重かった。俯くと……自分の纏っている、ぶかぶかの黒いカーディガンが目に入った。
思い出す。黒き嘘を剥がされた『黒虚』は、ぶかぶかの白衣を着ていた。
彼女の望みは、自分自身の消滅。その為に彼女は、俺を神格へ昇らせると同時に、徹底的に怒らせなければならなかった。このカーディガンも、舞台装置の一環……俺を侮辱する為だけに用意されたものだと思っていた。
でも、彼女は心の片隅で、自らの「同類」を渇望していたのかも知れない。
比喩ではなく何もかもを知り尽くし、計算し尽くした彼女が……「命を重んじ過ぎている」俺に、殺傷行為を期待するだろうか?
何が嘘で、何が真実だったのだろう。
何もかもが不確かな中で……白んだ空に、尚も孤独に輝く白星のように、確かなことがひとつだけある。
『黒虚』ラウラは、実在する。
「……2人とも、少し待ってくれ。
一度、手を離して欲しい。どこへも行ったりしないから」
フィーユとティアが立ち止まる。俺の不在中にますます絆を深めたらしい女性達は、顔を見合わせてから、俺の願いを叶えてくれた。
カーディガンを、脱ぐ。
俄かに吹いた風に乗せるように、背後へ放る。
そして、紅炎を。
翡翠色と琥珀色の瞳の内。星が流れる程の刹那に燃え上がり、灰となって、カルカの日常の中へと散り消えていく。
振り返る必要はない。
俺は頬から力を抜いて微笑し、
「行こう」
【第4章 悠久を渡る「黒虚」の暇つぶし・完】
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