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第1章 生き残りたい「紅炎」の就職

7.地魔導士・六級

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【ティア】

 
 あたしは、弱い。
 あたしたちは小さくて、ほとんどの場合、知力にも腕力にも、魔法の素質にも恵まれません。
 この耳だけは、他の種族よりも沢山のことを聴くことができるけれど。この足だけは、他の種族よりもほんの少しだけ疾く走れるけれど。それはあたしたちが、生きるために「逃げる」一族だからに他なりません。

 物心ついた頃から数え始めて、五度目の『お引っ越し』のときでした。
 はっはっ、と呼吸の音。どっどっ、と心臓の音。あたしは、あたしの手を引いてくれる、おかあさんの足の速さについていくのに必死でした。怖くて足がかちんと凍りついちゃったみたいで、ただでさえのろまなのに、尚更上手く走れませんでした。
『ごめんね、ティア……』
 不安な気持ちをますます掻き立てる森のざわざわの中から、今にも泣き出しそうな、おかあさんの声がしました。
『弱いお父さんとお母さんで、ごめんね……こんな、怖い思いばかりさせて……ごめんね……っ』
 ……そう、なのかな? 謝らないと、いけないことなの?
 あたしたちは、弱い。
 あたしも……あたしは特に、他のみんなより、失敗ばかり、迷ってばかり、謝ってばかりで。そんな毎日を過ごすうちに、自己嫌悪が染みついていって。
 でも、弱いことは、悪いこと? するどい爪や牙がなくたって、矢で上手に木の葉を射抜くことができなくたって、魔法が使えなくたって……弱くたって、穏やかに暮らしたいと思うのは、悪いことなのかな?
 いつの日か。たったひとつの取り柄の魔法を練習して。その力を使ってお仕事して、たくさん誰かのお役に立って、たくさんお金を貰えるようになって。一族のみんなで住めるおっきなお家を建てて、それから……
 あたしは弱い、けれど。両手で抱えきれないほどの、夢があります。


「群れが逃げてくる、予定通り道を塞ぐわ! 出るよッ、ティアちゃん!」
「~~ッ! う、うわぁぁぁぁあああーっ!」
 両手を上下にバタバタさせながら、走ります。大きい声を出していないと、立ち竦んじゃいそうでした。クロさんの魔法が……あまりにもすごかったから。
 クロさんはお顔が綺麗で、あたしなんかが想像してたより、ずっとずっと物凄い魔導士さんで。
 フィーユ先輩もお顔が綺麗で、その……女性として羨ましい宝物を沢山持ってて、お話も巧みで、立ち姿からもしなやかな強さが滲んでいて。
 お誘いしたのがあたしで、良かったのかな? あたしなんかと来てもらって、本当に……あたし、上手く、できるの?
「……駄目っ! 弱気になっちゃ駄目……一緒に来たんだ、信じてくれたんだ!」
 黒狼さんたちが、近づいてきます。
 足音と呼吸は聴こえる。でも心臓の音は、あたしの分しか聴こえない。これが、魔物さんの特徴。
 両手を上下させる動作は、所要回数分、しっかり済ませた。次はハンドサインを2パターン。相手は黒狼さんだけど、念のため袖に隠すようにしながら、親指と人差し指だけ立てる指差しのポーズ、そのまま親指の先と人差し指の先をくっつける!
 黒狼さんたち、警戒して立ち止まってる。隙を見て、いつでも襲いかかる準備をしてる。
 大丈夫、大丈夫。最後の動作は……
「えぇいっ! えいっ、えいっ、えいっ!」
 跳ねる!
 ぴょんぴょん、所要回数まで、とにかく跳ねる! 今にも足がもつれちゃいそうだけど、頑張る、頑張ってやり遂げるんだっ!
 ひいぃっ、黒狼さんたちが飛び掛かってきちゃったぁあ!? 後方へジャンプして「逃げ」ます、とにかく「逃げ」ます、そのときまでっ!

 お恥ずかしい話ですが、あたしはまだ、読み書きの勉強中です。森で生きてきたあたしの手元には、魔導書なんてもちろんなかったから、魔法陣の構築方法もわからなくて。
 あたしが一族の中の数少ない魔導士先生から教わったのは、身体を動かすことによって発動させる魔法でした。自分では身体を動かすことのできなくなったおばあちゃん先生は、あたしが教えてもらった動作をきちんとできると、もったいないほど褒めてくれて。
 よく、こう言い聞かせてくれました。
『逃げることは、恥ではありません。準備が整うまでは、思いっきり逃げなさい。
 逃げて、逃げて、それでも逃げきることができなかったら……誰かに、助けてもらえばいいの。あたくしたち森の民は、小さな力を合わせて、難から逃れて生きてきた……そうでしょう?』

 あと少しで、やり遂げられる、のに!
 飛び跳ねて一頭の攻撃をやり過ごせたと思ったら、着地の瞬間を狙って、もう一頭の黒狼さんが迫り来ていました。
 涎の糸を上下に引く、真っ暗な口の中がはっきりと見えて。
 食べ、られる。牙が、右腕に届いて、しまいそう……!
「ひっ……え?」
 攻撃を、弾いた?
 炎が……あたしの周りに。ひょろながいお魚さんが、何匹もぐるぐる回るように。炎の渦が、あたしを守ってくれている……?
 クロさん? そうだ、クロさんの、魔法だ……!
 入会試験の前のときみたい。むくむくと勇気が膨れ上がって、身体がほわっと熱くなって。ほんのひとときだけ、震えから……自分の弱さからも、自由になったような。
「これでっ」
 思い切り跳ね上がって、
 「おしまいだぁぁああっ!!」
 両足を揃えて着地した途端、明るく輝く橙色の糸が、沢山の図形の綺麗に組み合わさった、不思議な模様を足元に描き出しました。
 良かった、成功だぁ! 沢山の「棘草」さんたちが、いくつもいくつも、硬い地面を突き破って助けに来てくれて……黒狼さんたちをやっつけて、くれる……!
 あれ……? 力が抜けて……?
 思わず、その場にぺたんと座り込みました。まだ炎のお魚さんが泳いでくれているのに、視界がどんどん暗くなっていきます。クロさんがあたしの名前を呼んでる、けど……ごめんなさい……とても眠くて……あたし、また、お礼も言えな……。
 大丈夫、ですよね? ちゃんと、できましたよね?
 黒狼さん、やっつけられ………………ぐう。
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