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変わりゆく〜第二章〜

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運命があるとするならば、それはすべてのことに言えるだろう。
誰が言ったか知らないが僕はそんな言葉を聞いたことがある。
アメリカの大学を卒業した僕は日本に帰らずアメリカで医師をしていた。
専門用語の英語を覚えるのは大変だったが、同期のジョンが日本オタクだったこともあり、通訳代わりになってくれた。
「マモル、ノミニイコウゼ。」
ジョンはどこで覚えたのか知らない日本語を流暢に話していた。
「ミスズ、ベリベリカワイイ~。」
過去に酔った勢いで美鈴さんとの写真を見せてしまったことは失敗だった…。
「化け物じゃないの?いくつの写真よ。」
橘しずくはそう言って僕に軽く蹴りを入れた。
しずくは、初めて会ったときにいきなり僕にプロポーズしてきた猛者だ。
「顔があんまりにもタイプだっただけよ。」
そう言って誤魔化すが、皆からはやいのやいのと言われた。
「今年も日本には帰らないのね。」
しずくはコーヒーを片手に足を組んだ。
「帰る家もないからね。」
僕はしずくが入れたコーヒーを飲みながら淡々としていた。
「大富豪のお父様のお家に行けば良いじゃない?」
「嫌なこと言うなぁ…。」
僕はクスクスと笑った。
医師になってから色んな人に会い、色んな話を聞いた。そのうちに僕は自分の人生が特別なものだと思わなくなっていた。
美鈴さんがどうしているのか聞きたかった。日本に住んでいるのは確かだったが、何度か引っ越しをしたと電話で話していた。
なぜ引っ越したのか、僕の悪い癖だ。他人の顔色をうかがってしまう。
普通に聞けば良かった。
「既婚のババア追いかけてるチェリーになんて興味ないわ。」
「追いかけてはいないよ。」
しずくは、気が強い女性だった。
僕はしずくのそういうところが好きだった。
「ワォ。」
ジョンが茶化しに入る。
僕の日常はとても穏やかなものになっていた。病院の廊下では時々、車椅子に乗った子どもたちに出会う。
どうやったらお医者さんになれますか?と聞かれたことがある。
僕はたくさん勉強するといいよ、と言って笑った。もちろん頭をワシワシと掴んで…。
見合いの話もたくさん貰った。
若き天才などと持ち上げられて僕は恐縮した。
「ハイ、マモル。ゲンキ?」
車椅子に乗ったエリーがハグをする。僕はそっとエリーの頭を撫でた。
「ニホンニイキタイ。マモルトイッショニ。」
エリーは日本で言うところの中学生から高校生にあたる年頃だった。
困るよ~エリーみたいな美人と一緒じゃと英語で返した。
エリーはムスッとした表情を返す。
「マモル、アイシテルヨ。マモルヲアイシテルヨ。」
僕は困ってしずくにエリーを任せてその場を去った。
家庭を持ちたくないとか美鈴さんが好きとかそういう気持ちは、まだあった。
それでもいつかは僕も父親になれたらいいなと心のどこかで思っていた。
それまで僕は小児科の子どもたちの父親代わりでいたいと思った。
ロビーに行くとただ者じゃないオーラを出している男性がいた。
父親だ…。僕は直感的にそう思った。
「あの金はやると言ってはないからなぁ。」
僕は財布を出していくらか父親に渡した。
「独立資金なら出してやるぞ。無利子で。」
僕は医師となってから音信不通だった父親とは随分仲良しになっていた。それでも父親の職業は知らなかったし、どこに住んでいるかも知らなかった。
父親は一流品ばかり身につけていた。
しずくが、マフィアでもしてるんじゃないの?と前に言っていた。
「お父さん、病院では禁煙ですよ。」
父親からタバコをぱっと取り上げた。
「お前の立派なところは自分は不幸ですってお面を被ってないことだな。」
「お面、ですか…。」
「お前がこの先、一度でもそんなお面を被ったら一括返済だなぁ。」
僕は怯えた。
「美鈴とは連絡してるのか?」
「安否確認だけです。」
僕は答えた。
「既婚者だから一応気をつけるように。」
「美鈴さんの中では僕は子供のままです。」
「周りの目だ。誰が美鈴と恋愛しろといった。」
父親はタバコをぱっと僕から取り返した。
「美鈴さんはお父さんの何なんですか?」
僕は美鈴さんが父親の元彼女ではないことを祈った。
「どう考えたって歩の友達でしかないだろう。」
父親は眉間にシワを寄せた。
「お父さんは人生が面白いと思ってますか?」
僕は前から聞きたかったことを聞いた。
今を逃せば次に父親が出現するのはいつか分からない。
「何を持って面白いとするかだな。」
そうして父親はタバコに火をつけた。火災報知器こそならなかったが看護師が飛んできた。
すみません。すぐ消させますと、英語で話した。
「健康志向もここまで来るとなぁ。」
父親はわけのわからないことを言う。なんだかんだ一本タバコを吸って席を立った。
帰り際に、
「美鈴は今連絡欲しいと思っているぞ。」
と言われた。
「それってどういう意味ですか?」
「知らん。」
そうして父親は借金を回収して帰った。あといくらだろう…僕は不安だった。
美鈴さんは子育てもあるし旦那さんもいるし忙しい毎日を過ごしているのだろう。
僕は連絡するのに躊躇した。
そうして数ヶ月が過ぎた。

ある日のオペが終わった後で着信があった。美鈴さんだ。
僕は喜んだ。
「お久しぶりです。」
そう言って噛んだ。しかし、美鈴さんの様子がおかしい。
「何かあったんですか?」
「そっちでの暮らしはうまく行ってる?」
僕は美鈴さんの声が不安定だと思った。あくまでも美鈴さんは姉のように振る舞った。
「守、私ね癌になったの…。」
美鈴さんが泣いた。いつも笑っていてくれた美鈴さんが初めて僕に弱音を吐いた瞬間だった。
「末期なんですね?」
美鈴さんが連絡してくるくらいだ。答えはそれしかなかった。
「死ぬ前に守に会いたかったの。でも守の充実してる生活に影を落としたくなかったの…。」
「影だなんて…。」
僕は戻って有給を確認した。幸い一日たりとも使っていなかった。
「帰ります。日本に!」
僕はその日のうちにチケットを用意した。

出発前にしずくから電話があった。
「自分の気持ちに嘘つくな!以上!」
僕はそういうのではないんだけどなぁ、としずくに返した。
思えば日本に帰るのは何年ぶりだろう。言葉も通じない国で歯を食いしばって生きてきた。
騙されることもあった。それでも美鈴さんが側で笑っていてくれるような気がして色んな事を受け入れていった。
空港のロビーで美鈴さんを見つけた。子どもたちが一緒だった。
「母がお世話になっております。」
ああ、子どもたちもこんなに大きくなったんだ…僕はそう思った。
「美鈴さん…。」
美鈴さんは帽子を深く被って俯いたままだった。
「守には、ずっと前だけ向いてて欲しかったんだけど…。」
美鈴さんの肩は震えていた。
「わざわざアメリカから母に会いに来てくれてありがとうございます。」
子どもたちは僕のことを覚えていた。
「もう病院に居なくてもいいんですね?」
美鈴さんは頷いた。
「お寿司でも食べに行くかぁ~?」
昔の美鈴さんのノリだった。しかし、心から笑ってはいなかった。
子供の頃、僕は美鈴さんに頼った。でも美鈴さんも頼りたいことがあったんじゃないかと振り返った。僕は美鈴さんの手を握って目を見た。
美鈴さんの目は泣いた目だった。
「どこでもついていきますよ。」
そう言って僕は笑った。

僕達の関係は何だったのだろう?タクシーに揺られながら考えていた。親子でも兄妹でも無いのだ。接点は母親。それでも僕は母親の残してくれた大切な友人だと思った。
「宿はどうするの?」
美鈴さんが口を開いた。
「ああ、そうでしたね。」
僕はチケットを取るのにいっぱいいっぱいで、宿のことを考えていなかった。
「守さん、俺の部屋使ってください。俺、弟と寝るんで。」
僕は美鈴さんの家に泊まることになった。
「夜になれば旦那も帰ってくるから会ってほしい。」
なんの権限があって僕はそんな偉そうなことが出来るのか…。
そう言いかけて辞めた。
僕にとって美鈴さんがかけがえのない存在であると同時に僕も美鈴さんにとってはかけがえのない存在なのかもしれない。
確かめる事は出来なかったがそうだと思った。

夜になり子どもたちが夕食作りを始めた。僕も手伝いますと言ってワイシャツの袖をまくった。仕事でもないのにスーツで来たことを後悔した。
どのくらい美鈴さんは家に帰ってこれなかったんだろう…。
家の中を見渡してそう思った。
夕食はちらし寿司だった。美鈴さんが考えていたらしい。僕は配膳をしながら美鈴さんを見ていた。
「本当に気が付かないものなんだね。」
美鈴さんは少し笑った。
「ステージとか言われても分からないよね~。」
「分からないよ、分からないよ…。」
そう言って泣き崩れた。
美鈴さんは本当はこんなに弱々しい人だったのか、それとも会ってないうちにこうなったのか…僕はティッシュを差し出した。
美鈴さんは鼻をかんで、少し落ち着きを取り戻した。
「本とかでさ、最期は笑顔だってあるけどそんな簡単なものじゃないんだね~。」
生きていきたいと思うことの何がいけないと言うのだろう…最後まで悪あがきすればいい…。
僕はそう言おうとして涙ぐんだ。
玄関の方から音がした。子どもたちが走っていく。
「守さん来てるよー。」
そう言ってワイワイしていた。
「お久しぶりです。」
「こちらこそお久しぶりです。」
結婚式以来だと思った。美鈴さんの旦那さんだ…。
「僕から電話すれば良かったんですけど、癌は今では治る時代だからといって聞かなくて…。」
旦那さんは下を向いて話した。
「そうですね…。」
僕は医師なのに何も言えなかった。
それにペラペラと話したところで美鈴さんの病状が回復するわけでもない。
「セカンドオピニオンは利用しましたか?」
「何件か周りましたけど、どこの診断も同じでした。」
僕は旦那さんとリビングに移動して詳しく話を聞いた。美鈴さんはソファーでテレビをぼんやり見ていた。
「美鈴は貴方がいたから頑張って来れたんです。」
旦那さんは泣いた。
僕は戸惑った。何もしてない僕は。僕はしてもらった側だ。
「美鈴、ちゃんと話をしよう。」
旦那さんは美鈴さんの方を向いて話した。
「してるけど入ってこない。」
美鈴さんはテレビから目を逸らさなかった。
「アメリカの生活ってどうだったの?」
美鈴さんは少し明るい調子で話しだした。
「お医者さんになって苦労したことってなーにー?」
矢継ぎ早に質問が飛んできた。
「らしくないですよ。」
僕は言った。
「美鈴さんはいつも相手が話すまで待ってくれるんです。聞いていいこと悪いこと。話したいこと話したくないこと。全部ひっくるめて。」
旦那さんが飲み物を取りに席を立った。
「美鈴さん、らしくないですよ。」
「らしくないって何?守は私の何を知ってるって言うの?」
宿を取らなかったことを後悔した。旦那さんはビールを持ってきて一言、
「飲んでください。」
そう言った。そして僕は美鈴さんの子どもたちの部屋で眠った。
朝になると子どもたちは学校に行き旦那さんは休みだと言った。
3人で話しましょうと言われて僕は承諾した。

「歩の描いた似顔絵あるんだよね。」
美鈴さんは、押し入れをガサガサと漁った。
「ほらー天才ー。」
そこには若い美鈴さんが描かれていた。確かに上手い。
「私は歩の代わりに守を守るのが仕事です!!」
美鈴さんは、僕の知っている美鈴さんに戻っていた。僕は言葉に出来ない想いを募らせた。
「美鈴さんにとって僕は何ですか?」
僕は泣きながら聞いた。
「歩の宝物でーす。」
そう言って美鈴さんは僕の頭をワシワシと掴んで泣いた。旦那さんも泣いていた。
僕は知らなかった。与えることで与えられるということを。
美鈴さんはやはり特別な人なのだ。
「次に来るときは葬儀かな?」
「そんな…。」
「何日も仕事休ませたら、歩に怒られちゃうよ~。」
「一週間ありますから。」
「逆に困っちゃうよ~。えへへ~。」

一週間、僕と美鈴さんはデートを繰り返した。旦那さんは知らないふりをしてくれた。
「僕がもう少し年が離れていなければ結婚してくれましたか?」
僕はどうしても聞きたかった。そして望んだ答えがあった。
「ないよ。ないない。」
美鈴さんは勝者の笑みを浮かべた。
「聖母マリア様なのだ~。」
ああ、もう大丈夫だ。そう思って僕は帰りのチケットを取った。
帰る前にしずくに電話した。
「僕を待っててくれませんか?」
「待つって皆が待ってるけど…。」
「意地悪しないでよ。」
「嫌よ。ババアが好きなんでしょう?」
「僕はしずくのそういうところが好きだよ。」
「待たないわよ。帰ってきて。」
僕は電話を切った。
帰りは旦那さんが空港まで送ってくれた。
「美鈴が美鈴らしくなりました…。ありがとうございました。」
僕の方こそお礼を言いたいことが山ほどあった。
「まだ子どもたちには母親が必要なんじゃないんですか?」
「考えてはいます。」
「僕は美鈴さんがいなければ死んでました。間違いのない人生を選んでください。」
そう言って旦那さんと握手した。
そして僕は元の職場に戻った。

時々、しずくをデートに誘った。3回に1回はデートしてくれたが最初、私を振ったでしょう?と言って聞かなかった。
しばらくして美鈴さんの旦那さんから葬儀が終わった連絡を貰った。
僕はしずくの前で泣いた。
「代わりは嫌だからね。私を見てよ。」
僕は永遠の恋を心にしまい、新たな愛を求めた。
しずくはそう簡単には付き合うと言ってくれなかった。
美鈴さんの一周忌が済んで、
「もういいわよ。付き合ってあげても。」
しずくは、そう言ってくれた。
「私は美鈴さんには勝てないわよ。」
僕は笑った。
「いつも自分が一番のしずくなのに?」
しずくは僕に蹴りを入れて仕事へ向かった。
いつか家庭を持ちたい。
僕はそう思って仕事へ戻った。
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