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第十二話

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 最初に感じたのは冷たさだった。
 次いで体中を襲う激しい痛み。
 顔を伝う血だけが温かい。

「いっ……!」

 あまりの痛みに、痛い、とすら口にすることができなかった。
 一応、止まりはしたようだ。
 辺りを見回すが雪に覆われた山の斜面しか見えない。
 手当たり次第に綿でも千切っているかのように大雪だ。
 腹が妙に熱い。
 見てみれば、木の枝が腹に突き刺さっていた。

「が、はっ……っ」

 それを見た瞬間に口から血を吐き出す。
 これは流石に、駄目だ。
 諦めが頭を過ぎる。
 まさかこんなところで、という思い。
 いや、今まで運がよかっただけなのだ。魔物と戦うのは命懸けだ。コインを投げて常に表を出せるわけがないように、こうなるのも時間の問題だっただろう。
 手が自然と胸元に伸びる。
 骨にひびでも入っているのか、ただ動かすだけなのに激痛が走る。
 痛みを乗り越えてそれを掴む。
 常に胸から提げていた、赤く輝く石。
 クルキと自分を繋いでくれた運命。

 ――まだだ。

 消えかけていた意志に火がつく。
 記憶を掘り返して気付いた。
 ここ最近のクルキは、ずっとどこか不安そうだった。
 自分が情けなかったから。
 自分にもっと力があったら。
 クルキが戦わなくてもいいくらいに自分が強ければ。
 そう思うと、こんなところで死んでいられない。
 クルキを悲しませたくない。
 体中の痛みに耐えて、何とか体を起こす。
 助けを呼ばなければ。
 立ち上がろうとしたが無理だった。右足が関節ではないところで曲がっていた。
 また心が折れかける。
 意志だけあったってどうなる。
 普通の人間であることを恥じることはない、とか。誰かが言っていたけれど。
 普通の人間は簡単に死ぬんだ。
 何かないか。この状況から助かる一手が。
 また周囲を見回す。
 雪で視界が利かない。ちらちらと視界を遮る雪が鬱陶しい。
 もうどうしようもないのか。
 そう思った瞬間だった。
 ふと視線を下すと、箱のようなものがあった。
 その箱を見た瞬間に怖気が走る。
 さっきまでこんなものはなかった。
 まさか、目を離した隙にどこかから現れたとでもいうのか。
 五角形で構成された面を持つ小さな箱。
 自然のものではない。明らかに誰かが意志を持って作ったものだ。

 ――お前は、■■■■。

 また虫の羽音のような音がする。自分に話しかけているかのように。

 ――お前は、何を望む。

 今度は明瞭に音が聞こえた。
 この箱からだ。なぜかはわからないがそう感じた。
 この箱は言っている。願いを叶えたいならば手に取れと。
 だが、こんなものは明らかに手にしていいものではない。
 本能がこれに触れるなと警鐘を鳴らしている。

 ――お前は、何を望む。

 箱は語りかける。
 何を望む。考えるまでもない。
 答えは一つだ。



「コスティ! どこだ! 返事をしてくれ!」

 クルキはそう言いながら斜面を駆け降りる。
 降りしきる雪で視界が悪い。
 コスティは目の前で氷塊の波に飲まれて流されていった。
 ああ、なぜ彼を助けられなかったのだ。
 自分には彼を助けるだけの力はあったはずなのに。

「コスティ……!」

 この雪だ。早く助けなければ命に関わる。
 彼がいなければ自分はここにいなかった。ただ消えゆくだけだった。
 彼が自分の存在を証明してくれた、だからクルキ・ムラッティ・ルーネベリの名前を取り戻すことができた。
 その彼が絶体絶命の危機に陥っている。
 命と引き換えてでも助けなければ。
 しかし、何も見えない。何も聞こえない。
 もっと自分に力があれば、簡単に彼を見つけるくらいはできたのに。

「待てクルキ! 一人でどこ行くんだ!」

 後ろからアカートに肩を掴まれる。アカートの後ろにはイングヴァルが暗い顔をしている。
 当たり前だ、自分の攻撃の巻き添えを食らって仲間が行方不明になっているのだ。

「止めないでください!」

 叫んで手を振り払う。
 わかっている。この大雪の中で森の中を行くのが自殺行為なことくらい。
 コスティを探しに行って自分も遭難したら本末転倒だ。
 でも、同じ死ぬなら、せめてコスティの隣がいい。
 そう思った瞬間だった。
 芯から冷えるような恐怖が体を襲う。先程の魔物より冷たい気配。
 見れば、いつの間にか降る雪が黒く染まっている。

「何、これ……」

 黒い雪は白い雪を汚していく。異様な光景に足が竦む。

「馬鹿な……、悪魔の気配だと……!」

 アカートが困惑の声を上げる。
 だって、魔物は一通り殺したはずなのに。どこから悪魔が現れたというのか。
 身体を襲うのが寒さなのか恐怖なのかわからない。
 わかるのは身体が凍えていることだけ。
 悪魔が現れたなら、尚更コスティを助けないと。
 そう思うのに体が動かない。
 これ以上進んだらいけない。本能がそう叫んでいる。
 そのときだった。
 前方に人影が見える。
 雪の中でも目立つ薄紅色の髪。

「コスティ……!」
「やめろ、近付くな!」

 アカートの制止の声も無視して影に駆け寄る。
 だって全身がぼろぼろだ。服も破れて、血だらけで。立っているのがやっとのようにふらついている。
 何より腹には深々と木の枝が刺さっている。
 足が雪に取られるのがもどかしい。
 早く彼を連れ帰って手当をしなければ。
 そして違和感に気が付いた。
 彼は何か長いものを手に持っている。
 それを手に取って構えた。
 その一連の動きで彼の持つものが大きな銃だと把握する。
 なぜそんなものを持っているのだ。

「クルキ君、伏せろ!」

 イングヴァルがそう叫び、目の前に氷の壁が築かれる。戸惑いで身体が動かない。
 火薬の爆ぜる甲高い音と共に氷の壁は砕けた。 
 薄紅色の光が迸る。光は急に軌道を変えてクルキの横を通っていった。

「ぐ、ぅ……っ」

 後ろでイングヴァルの呻く声と、どさり、という音が聞こえる。
 そんな。まさか。
 恐る恐る後ろを振り向くとイングヴァルが倒れていた。

「クル……キに、近付く……、な……」

 風に乗って微かにコスティの声が届く。確かにコスティのものだった。
 コスティの薄紅色の前髪が風で乱され、額が露わになる。そこには悪魔の象徴である逆さの五芒星をした紋章が浮かび上がっていた。

「クルキ、一旦引くぞ! あいつは悪魔に憑かれてる!」

 アカートがイングヴァルを抱き起こしながら言った。
 コスティが悪魔に憑かれているなんて。
 信じがたかったが、彼が正気ならイングヴァルを撃つ理由がない。
 だとすると、やはり悪魔に憑かれているというのか。
 コスティの影は銃を下ろし、足を引きずってこちらに近付いてくる。
 そして、こっちに来い、とでも言うように手を差し出した。

「コスティ……」

 わからない。彼が何を考えているのか。
 クルキは思わず後ろに引いた。
 コスティはこちらに手を差し出したまま止まっている。

「逃げるなら今のうちだ! 早く!」

 アカートの声が聞こえる。
 コスティが悪魔に憑かれているというなら、彼を救うための準備が必要だ。
 クルキは唾を飲み込んだ。

「コスティ、絶対に君を助ける……!」

 それだけ告げてクルキはイングヴァルを背負うアカートの後に続いた。
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