神さまのプレゼント

とよきち

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神さまのプレゼント

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 私は血眼になってコンビニを訪れた。
 これで十軒目だ。今年で七十八歳になる老いたこの身体はすでに限界を迎えていた。頼むからあってくれと神に懇願する。息を切らせて額の汗をハンカチで拭いながらドアを潜ると、目的の物はすぐ目に飛び込んできた。
「あ、あった、あった……!」
 我ながらこっ恥ずかしいことだが、心持ちは欣喜雀躍のそれだった。十軒回ってようやく見つけたのだ。
 それは一番クジと呼ばれるものだった。
 一軒目のコンビニで店員が説明していたが、クジを引いて、該当する番号によって貰える景品が異なる。物によっては一つしかなく、なくなり次第他の購入者は手に入らなくなる仕様らしい。
 老体を引きずりながら私が探し求めていたもの。
 それは『美少女フィギュア』だった。

 苦い思い出がある。
 何の因果か巡り合わせか、その『美少女フィギュア』にだ。昔、息子とそれについて大喧嘩をした。
 大学生の頃、あいつはいわゆるアニメやゲームに没頭していた。私の若かりし時代にはそんなものは皆無だったこともあり、当然心良く思ってなどいなかった。木彫りをして生計を立てていた私は息子に仕事を継いで欲しかったが、あいつはそっちの気でアニメやゲームに現を抜かしてばかり。気に入らなかった。
 ある日、私は息子に用があって部屋に行くと、そこで悪夢のような光景を目の当たりにした。
 少女を模った人形が――――それもどれもこれも酷く肌を露出した破廉恥極まりない代物が棚という棚にぞろりと並べられていた。私は絶句し、そして次の瞬間には憤怒していた。
 息子にこれは何だと詰め寄ると、『美少女フィギュアだよ』と奴は綽々と答えた。こんなものを集めるくらいだったら木彫りでもしたらどうだと言うと、息子は渋面を作りこう言ったのだ。
「親父だって、あんな古臭いもの。もう時代遅れだろ」
 その後は取っ組み合いだった。帰宅してきた長女が仲裁に入る頃には、私も息子の服もボロボロに破れていた。
「俺、親父みたいな父親にはならねえから」
 そう吐き捨てて、息子が出て行ったのはその翌月。
「フン、お前が父親になどなれるものか」
 と私も負けじと言い返し、それっきりだ。
 それから月日は二十年も経とうとしていた。

 コンビニのレジは思いの他混んでおり、軽い行列を作っていた。私はクジ引きの引換券を手にとり最後尾に並ぶ。この中にあのクジを買う客がいないか気を揉みながら待つのは心臓に悪かった。
 途中から別の店員が二つ目のレジを稼働したこともあり列も順調に減り、くじ引きをする客も幸い見えず、ついに私の番が回って来ようとしていた。しかしその瞬間、私の前にいた若い女性客が引換券を店員に渡しているのを見てギョッとした。おい頼む、当てるな、当てないでくれ、と再び私は神に祈った。
 そしてその若い女性客は店員に言った。
「これ、全部下さい」

「待って、ちょっと待ってくれ!」
 私が夢中で追いかけると、店を出たその女性は振り返った。黒いワンピースから覗く細く生っ白い両手に、パンパンに膨らんだビニール袋を二つ下げている。すべてあのクジの景品だ。私が息せき切って近づくと、きょとんとした顔で私の顔を覗きこんでくる。よく見るとずいぶんと器量のいい別嬪さんだ。
「その……不躾で申し訳ないのだが」
 私は女性の下げている袋から覗く、ほとんど水着同然の美少女フィギュアの箱を指さした。
「そのフィギュアを、私に譲ってはくれないか」
 お金なら払う、いくらでも払うからと私は必死に頼みこんだ。ここまで来たのだ。手ぶらで帰るわけにいかなかった。
 しかし女性は怪しむ素振りも私の気迫に気圧されることもなく、私の指先を目で追って、
「神さまをですか?」
 と緩く首を捻った。
「……は、神様?」
 今度は私が首を捻る番だった。女性はもう一度首を傾げた後、片方の袋を肩にかけて、もう片方の袋から件のフィギュアを取り出した。あどけない表情をした黒髪の少女は、身体の線をこれでもかというくらい強調した白い水着のような短いワンピースを纏っている。そのフィギュアを私に向けて、女性は説明した。
「これ、『神さま』っていうキャラクターなんです」
「……はあ」
 こんな露出狂みたいなのが、神様だと? 世も末だと私は思った。しかしたとえ露出狂の神だろうが私は手に入れなければならない。
「でも、どうしてですか?」
 女性は私に問うた。
 当然の疑問だ。こんないい年した老人が美少女フィギュアをここまでして求めるなど、正気の沙汰ではない。
 だが、それもこれも孫娘のためだった。
 長女の5歳になる娘の誕生日が近かったから、何が欲しいかと以前に聞いたら、このフィギュアが欲しいと言っていたのだ。孫娘は可愛く、それこそ目に入れても痛くない。喜ぶ顔が見てみたかった。
 勢いこんで事情を説明しようと思ったが、急にさっきまでの私の気力は嘘のように萎んでいった。いくら事情があるからと言って、人様に迷惑を――それもこんなうら若い女性に捲し立ててまでやるものではないと冷静になったからだ。
 私は女性に平謝りし、その場を後にした。

「見つかったわよ」
 家に帰ると、妻はそう言った。
 精魂尽き果ててコンビニからの帰り際に妻に電話で事情を説明すると、『私も探してみるわね』と言って切れた。それがものの三十分前だ。私が汗水垂らして何時間も探していたというのに、妻は労せずこんな短時間で見つけだしたというのか。
「あのフィギュアをか」
 私が唖然として問いただすと、「ええ」とこともなげに妻は返す。ただフィギュアはまだ手元にはなく、誕生日の当日に長女の家に直接届けることになったと妻は言った。あれが手に入るのならそれくらい構わなかった。
 よしよし、これで一安心だ。孫娘の笑顔は守られた。力が抜けたせいか、疲労がどっと押し寄せ、私はそのままソファーで泥のように眠った。

 そして、孫娘の誕生日当日。
 私と妻は夕方に長女の住む一軒家に向かった。玄関に入ると孫娘が『じいじ、ばあば!』と叫びながらトタトタと出迎えてくれる。手を繋いで一緒にリビングに入ると、長女が夕食の準備を進めているところだった。妻は『手伝うわね』と言ってさっさと台所へ行くものだから、私は孫娘と一緒にアニメを観た。見覚えがあると思ったら、例のフィギュアの『神さま』が出てくるアニメだった。
 私は時計をチラチラと伺っては、台所の妻に視線を投げた。やがて辛抱堪らなくなると、熱中してる孫娘の隣からそっと抜け出し、台所の妻のもとへ向かった。
「……おい、まだか」
 もちろんフィギュアのことだ。孫娘の喜ぶ顔を早く見たくて仕方がない。妻はもうちょっとで来るわよ、と言って野菜を切っていた。それを四、五回ほど繰り返していると、ついに玄関のチャイムが鳴る。
「私が出よう」
 誰にも有無を言わさず、喜び勇んで玄関に向かう。
 ドアを開けるとそこには宅配業者がいるかと思いきや、見知った顔があった。
「久しぶりだな、親父」
 私は目を疑った。
 少し老けて顔も丸くなってはいたが、まごうことなく二十年前に家を出て行った息子だった。バツの悪そうな顔をしている。なんでお前が、と言いかけたところで、その後ろにいる女性の姿に私は気づいた。
「あ、あんたは、この前の……」
 そう。コンビニでクジの景品を掻っ攫っていったあの別嬪さんだった。彼女は軽く会釈する。
「やっぱりお父さんだった。写真では見てたから、そうかなって思いました」
 私が息子と女性を交互に見比べると、息子は頷いた。
「俺、この人と結婚するんだ」
「そうか……」
 私が言葉に詰まっていると、息子は急に唇を真一文字にして、勢いよく私に頭を下げた。
「ごめん、親父。あの時酷い言を言って。ずっと謝りたかったんだ」
 一瞬の間、静寂が包む。私は顔を上げてくれと息子に言って、今度は私が頭を下げた。
「いや。こっちこそ……すまなかった。頭ごなしにお前を否定してしまった。私も本当は、ずっと後悔を……」
 息子は首を振ると、これ、と言って紙袋を手渡してきた。中身はきっと、あの『神さま』だろう。妻はあの時、フィギュアに詳しい息子に電話していたのだ。頭が回るからこういう状況を作り出す算段もしていたのかもしれない。
「プレゼントしたかったんだろ」
「いいのか」
 息子と女性は笑顔で頷く。笑った顔がよく似ていた。
「親父。子どもが産まれたら、遊びにきてくれないか」
 私は息を呑んだ。
「……子どもって、まさか」
 息子は頷いて女性を振り返った。彼女は自分の膨らみかけたお腹を愛おしげに撫でる。
 ……ああ、今日はなんて日だ。
 息子が、父親に。
 神からの贈り物だろうか――そう思えた。
 目から溢れる熱い涙を掌で拭い、嗚咽を漏らしながら、私は何度も何度も頷いた。
 
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