こ、と、だ、ま。

とよきち

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こ、と、だ、ま。

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 駒子の将来の夢は、警察官になることだった。
 いつか大泥棒みたいな悪い人を捕まえるんだといつも空想していたし、口に出してもいた。駒子はお気に入りの中折れ帽子を被り、秘密の警察手帳(中にキャラクターシールや菓子パンについていたシールが無数に貼られている)、スマートフォン(お菓子の箱の紙製の玩具)、それから犬用のジャーキーをポケットに入れて台所にいるママのところへ向かった。
「ママ、パトロールしてくるー」
 ガシャガシャと忙しなく洗い物をしているママは手を止めずに顔だけ振り返る。
「お散歩ね。寄り道はダメよ、特にコンビニ」
「……コンビニには泥棒がいるかもなので」
「またそんなこと言って。本当になったらエライことよ。駒子は言霊って言葉を知ったほうがいいわね」
「こ、と、だ、ま?」
「言ったことが本当になるってことよ」
 よくわからなかったので、駒子はくるっと回れ右をして『銭形ー』と犬の名前を呼んだ。のそっとした大きなバーニーズマウンテンドッグの『銭形』は、駒子に呼ばれると尻尾をぶんぶんと振って近寄ってくる。駒子がポケットからジャーキーをとりだして『回れ』と号令すると、銭形はぐるっと回ってハッハッと舌を出した。ご褒美のジャーキーをぽいっと投げたら物凄い速さで追いかけていく。銭形をひとしきり撫で回した後にリードをとりつけ、駒子は玄関から飛び出していった。
 

「まったくあの子ったら」
 ぶつぶつと文句を言いながらママが洗い物をしてると、ポケットのスマホが鳴った。濡れた指先でつまみだし、相手の名前を確認してからボタンを押してスマホを首と肩に挟めた。
「もしもし、お父さん? 駒子なら今さっき出かけたわよ」
『用があるのはお前のほうだよ。早合点しおって、誰に似たんだか」
 父親の小言に眉を顰めながら、ママはガシャガシャと忙しなく洗い物を続ける。
「あたしに何の用なの」
「何って、今日はお前の誕生日だろう。寿司でもとってやろうと思ってな。そうだ、駒子は何が好きだったっけか」
「ああ、駒子は――」
 とママが言いかけた時、手が滑って皿をシンクに落としてしまった。パリンッと音を立てて割れてしまう。
「あ、皿割れちゃった。……あっ!」
 割れた皿に注意が向いた拍子に、挟めていたスマホを洗い物用の泡だらけの桶の中に水没させてしまう。慌てて食器と泡をかき分けて救出した時にはすでに電源が落ちていて、ボタンを押してもぴくりとも動かず事切れている。
 ママは天を仰いで額に手を当てた。
「……今日は最高のバースデーね」


「こ、駒子がだと? おい、おい、どうしたんだ!」
 娘から電話が急に途切れ、徳郎は声を上げた。駒子がさらわれたと、たしかにそう言っていた。何かが割れる音がし、おまけに不自然に電話が切れて、掛け直しても繋がらない。これは一大事だと徳郎は思った。リビングを行ったり来たりしながら、女房に知らせるか、いや、その前に警察か――と思案した矢先、古くからの友人に刑事がいたことを思い出す。善は急げとばかりに徳郎は躊躇わず電話した。思いのほかすぐに相手はでた。
『徳さんか? 久しいな。急にどうした』
「団さん。ええと、すまないが折り入って頼みがあるんだ。急を要するんだが」
『なんだ。ぎっくり腰でもやったか?』
「違う! 孫がさらわれたんだ! 急いで警官を寄越してくれないか。場所は――」
『待て待て、落ち着いてくれ。警察だってそう簡単には動けるものでもなし、まずは話を……」
 徳郎は顔を真っ赤にして捲し立てる。
「拳銃を持った髭面の大男が孫娘を誘拐したんだぞ! あの子を死なせたらお前を呪ってやるからな!」
 言ってしまってから、徳郎はハッと冷静になる。相手を煽るためにかなり誇張をしてしまったが、さすがに言いすぎたと反省した。犯人の顔なんて知る由もないが、こうでも言わなければ動かないと思ったのだ。何か他に交渉材料になるものはないかと考え、財布の中を調べてみる。徳郎は低い声で呟いた。
「お食事券……」
『なっ、……徳さん、アンタ――。いやわかった。警官を出動させよう。場所を教えてくれ』
「え? あ、ああ。わかった。恩にきる」
 高級ホテルの食事券だったが、団さんはそんなに欲しかったんだろうかと徳郎は訝しむ。いや、そんなことより駒子だ。徳郎は思い直し、団刑事に駒子の家の場所を教えた。
 

 団刑事は電話を切って、頭を抱えた。
だと……?)
 どこからその情報が漏れたのだろうか。前にあった政治絡みの事件に自分も関わっていたことを、なぜ徳郎が知っているのかわからなかった。目の前が急に真っ暗になったようだった。目眩がするが、そうも言っていられない。早く現場に向かおう。孫娘を保護しなければ、自分の人生が終わってしまうからだ。中折れ帽子とコートを羽織り、団刑事は急いで部屋をでた。
 

 一方、駒子は銭形と一緒にコンビニに向かっていた。
 好きなアニメの『怪盗ルパン』のテーマソングを鼻唄で歌いながらコンビニに着くと、駒子はリードをポールにくくりつけて銭形をそこで待たせた。ふとお店に入ろうとした時に、誰かの視線を感じた。見上げてみると、大きな男が駒子のことをじっと見ていた。立派な髭を蓄えていて、黒いリュックを肩にかけている。目が合うとニコリと笑った。
「お嬢さん、アイスクリームを食べたくないかな?」
 駒子は普段人見知りではあったが、アイスクリームを食べたいほうが勝った。控えめにこくこくと頷く。
「よし、好きなものをおじさんが買ってあげよう」
 一緒にお店に入って、駒子はチョコレートのアイスを選んだ。すると大男に「買っておいてあげるから、向こうで漫画でも読んでいなさい」と言われた。駒子は一度レジに行って自分の用を済ませると、言われた通り雑誌コーナーへ向かった。でも何か変な感じがしたので、大男の様子を窺うことにした。大男は辺りをそれとなく見回すと、アイスを持ってレジに行くのではなく、その反対方向、ドリンクコーナーへと向かった。彼はいかにもジュースを選ぶフリをして、さっき駒子が選んだアイスを自分のリュックの中にしまいこんだ。
(泥棒だわ……!)
 駒子は目を見開き、大男がこちらに気づく瞬間に危うく顔を引っこめる。彼はわざわざ遠回りをして会計を済ませたような顔で近づいてきた。駒子は漫画雑誌を真剣に読む振りをして、今気づいたみたいにパッと顔を上げる。
「待たせたね。公園にでも行ってアイスを食べよう」
 駒子は大人しく従った。どうやって捕まえようか頭の中で考えるが、こんな大きな大人を捕まえる方法なんて思いつかなかった。手錠だってない。大男は外で繋がれていた銭形には少し驚いたような顔をしていたものの、銭形のほうは元々人懐っこく、リュックの中から出てきた駄菓子を貰って尻尾を振っていた。
「ワンちゃんにはここでちょっと待ってもらおうか。なに、アイスを食べるだけだから時間はとらないよ」
 近場の寂れた公園に着くと、二人はベンチに座った。大男はリュックからさっき盗んだアイスをとりだすと、駒子に差しだした。駒子はこのアイスを貰っていいものかどうかじっと見つめて考えていたが、ふと、大男の開いた黒いリュックの中に何かを見つけた。
「どうかしたかい?」
 大男が怪訝に思って駒子の視線の先を辿ると、ハッとした。同時に駒子もパッと離れる。
 リュックの中には、拳銃が入っていた。
 鉄製のものではなく3Dプリンターで作られたものだったから玩具みたいに見えるが、駒子もそれが本物の銃なんだとわかった。
 駒子はとっさにポケットからスマホを出して耳に当てた。
「もしもし、警察ですか。銃を持っている人がいるのですぐきてください!」
 大男はぎょっとした。が、よくよく見たらスマホは紙製の玩具だとわかった。あんなもので誰かを呼べるわけがないと知り、口元に安堵の笑みを浮かべて駒子ににじり寄る。大人しくさせて、さっさと家に連れ帰ろう。大男はそう考えた。
 しかしその時、遠くからサイレンが聞こえた。
 大男は目を丸くする。パトカーだとすぐにわかった。サイレンの音はまっすぐにこちらに近づいている。駒子とサイレンの方角を交互に首を振って、
「そんな馬鹿な!」
 と叫んだ。すると、公園の入り口から突然大きな犬が飛びこんできた。リードを引きずりながら全速力で駆けてくる。
「銭形!」
 駒子が歓喜の声をあげた。
 銭形の後ろから、遅れてパトカーが到着する。乗っていた警官たちと団刑事がぞろぞろと公園の中に押し寄せてきた。銭形が連れてきてくれたに違いなかった。
 大男はすぐさまリュックから拳銃をとりだし駒子を抱き上げた。その銃口を駒子のこめかみに突きつける。
「く、来るな! 撃つぞ!」
 震える声で大男が警官たちを威嚇する。警官たちもそれぞれ銃を構え、薄氷の上に立ったような緊迫した状態が作られた。駒子は大男に抱えられながら真下にいる銭形に目で助けを訴えたが、『どうしたの?』という風に銭形は首を傾げのんきに尻尾を振っている。駒子は必死に銭形に左手を伸ばし、その首についているリードを手にとって右手に持ち替え、左ポケットからジャーキーを取りだした。それから銭形に向かって、
「回れ!」
 と号令をかける。銭形はその場でぐるっと回った。大男や警官たちは駒子の行動に困惑しているようだった。駒子はそれでもめげずに何度も『回れ!』と号令をかける。すると、何度目かで銭形は大男の周りをぐるりと回った。その瞬間に、駒子は後ろに向かってジャーキーを放り投げた。銭形が嬉しそうにそちらへ走り、リードの紐が勢いよくピンと張った。
「う、うわっ」
 足にリードが巻きつき身動きがとれなくなった大男は、そのまま銭形に足を掬われる形で前に倒される。弾みで拳銃は手から離れ、駒子もその隙に大男の手から逃れた。一拍遅れて警官たちが取り囲む――それは一瞬の出来事だった。
 

「お手柄だったね、お嬢さん」
 団刑事はベンチに座っていた駒子に話しかけた。駒子はまるで映画から出てきたような団刑事の格好に目を輝かせ、これが本物の刑事だとわくわくした。
「非常に勇敢だった。君のような子が警察に入ってくれたら未来が明るくなるんだがな」
 駒子は胸をばくばくさせながら、おずおずと答える。
「……わたし、おじさんみたいなかっこいい警察官になりたい」
「――格好いい、か」
 真っ直ぐな目に、真っ直ぐな言葉。
 小さな子供にそう投げかけられ、その純真な心に触れ、団刑事はいつかの自分もこんな気持ちを持っていたことをふと思い出した。カッコいい刑事になりたいと本気で思っていた時期が、たしかにあったのだと。
 団刑事は首を緩く振る。
「……いや、君はもっと立派な警察官になれるよ。私なんかよりもずっとね」
 やり直しだな、と独り呟く団刑事に駒子は首を傾げるも、遠くから誰かの呼ぶ声が聞こえたのでそちらを向いた。
 ママたちだった。徳郎に引っられるようにママが息咳切って走ってくる。
「駒子!」
 会うやいなや、ママは駒子を思いきり抱きしめた。
 徳郎はそれを横目に、団刑事に声をかけ、頭を下げた。それから思い出したように財布から高級ホテルの食事券を団刑事に手渡すと、彼は腹を抱えて大笑いした。
「ママ、これ。お誕生日のプレゼント」
 駒子はベンチに置いておいたビニール袋をママに渡す。その袋の中には四角く平たい箱が入っていて、パッケージには何かのイラストが映っていた。
 それは、『怪盗ルパン』が描かれたお皿だった。
 菓子パンなどについてくるシールを集めるとコンビニで交換してくれる景品の一つで、駒子は手帳に貼って集めていたシールをレジで渡し、これを受けとっていた。
 駒子の言っていたコンビニにいるというのは、これのことだったのかとママはようやく理解したのだった。
「……ほんと、今日は最高のバースデーだわ」
 ママは呟いて、駒子の頭を優しく撫でた。
 
 
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