塞翁が馬、相棒のまま

紐下 育

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あの夏のこと 正臣side

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「うち、来るか。」
探良にそう声をかけたのは、俺が大学を卒業する年の夏だった。
一年留年した探良は大学三年生。それでも、探良の行動は大学一年生の頃と何ら変わっていないようだった。
課題は出している?インターンはいかなくていいの?サークルもやってないの?バイトもしてないの?
色々なことを聞きたくなったけれど、しゅんとした探良を見たらそんなことできなかった。
ひと昔前の、入水自殺しそうな小説家みたいな雰囲気で。
昔の頼りがいのある背中は、今じゃただ人型をなすためだけのか弱い骨組みでしかなくなって。
かわいそう、という気持ちがなかったわけではない。
だけど、それよりも、探良をどこかにやりたくなかったのだと、今になって思う。
あの時、探良が何と答えたのか、俺は覚えていない。

そもそも、何か言葉を交わしたのだろうか。
だけど、今ここに、俺と探良は暮らしている。
初めて探良が家に来てから、もう一年が経った。

当時俺が起業した会社は成功していたではなかったけれど、それがむしろ、向上心をかき立てた。
若手の起業家は珍しいということもあって、それなりに取材の申し込みがあったり、メディア出演の依頼が来たりもした。イケメンともてはやされたりもして。
絶対に成功する、そう思っていた。
成功して探良を養うことくらい、すぐにできそうな気がした。
実際はそう簡単ではなかったのだけど、それに気づいたのは同級生が就職して、すぐに俺の収入を追い越していった時。後悔しても遅かった。
ひたすらに働いた。
探良を養わなくては、という思いがあったから、後悔してもやめることはできなかった。あの時俺が強くいられたのは、間違いなく探良のおかげだっただろう。

「ひろいね。」
初めて探良が家に来た日のことは、今でも鮮明に覚えている。
ほぼ身一つでうちに来て、一言ぽつりとつぶやいた。
嬉しいのか、悲しいのか、悔しいのか。
どんな感情なのかわからなくて、俺は何も答えられなかった。

とはいえ、俺も、探良も、この共同生活に馴染むのは早かった。
特に頻繁に言葉を交わすわけでもなかったが、別にお互いがお互いを避けているわけでもなかった。
ただ、各々自分の時間を生きている。
探良の腕は少しだけ豊かさを取り戻して、探良の母親は俺に何度も頭を下げた。
「まぁくん、ありがとうね。本当に本当に、ありがとう。」
俺は別に何もしていない。
そう言っても、「ありがとう」は押し付けられた。だから最後はもう諦めて、その感謝を甘んじて受け入れることにした。
探良を養えている俺。
そんな俺のことを、俺は大好きになった。
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