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その後も他の模擬授業を聞いたりしたけど、特に楽しいと思える授業はなかった。
機嫌悪いからかもしれないけどね。
まぁこんなもんか、と帰ろうとして自転車に乗った時、後ろから声がした。
「伊藤?」
伊藤なんて苗字の人は俺以外にもいっぱいいる。
俺じゃないかも、とは思いながらもふりむいた。
「おお、下田。」
立っていたのは高校のクラスメイトだった。
下田は俺と違って高校の制服で来てたから、すぐにわかった。
「伊藤も今から帰るとこ?」
「うん。」
「まじか、一緒じゃん。」
別にどちらが言ったわけでもなく、俺たちは一緒に自転車を押し始めた。
「伊藤もここ受けるの?」
先に沈黙を破ったのは下田だった。
「伊藤も」っていう言い方から、下田がここを志望してるのは明白だった。
もう、進路決まってるのか。
いいなぁ。
焦りがあるからか、邪念ばっかりが浮かんでくる。
「いや、まだ決めてない。」
オープンキャンパスに来てる以上、受けないって言い切るのもなんか変だなって思った。
「なるほどね。どこ行きたいとかあるの?」
あえてはぐらかしたのに、下田はさらに核心を突く質問を投げてくる。
「…決めてない。」
もう色々考えるのも嫌になって、うつむいたまま正直に答えた。
「そうなんだ…。」
俺の雰囲気を察したのか、下田は黙り込んでしまった。
今日の俺、本当にどうしたんだろうか。
夢が見つからない不安と焦りで、ずっといらいらしてる。
さすがに教授にあんな態度をとったのは不遜だったな…。
まぁ、これから絶対行かないからもう会わないだろうけど。
「下田はどの学部志望なの?」
俺と一緒にうつむいてしまった下田にばつが悪くなって、俺の方から質問を投げかけた。
「俺は医学部志望。父さんもじいちゃんも医者だから、俺も順当に医者かなと思って。」
そうだよな…。
高校が進学校だからか、こういう人は周りにいっぱいいて、住む世界が違うってことには慣れているはずだった。
でも、今日は焦燥感のせいか、その違いに狼狽えてしまう。
俺の家にはそんな家業はない。
父さんは大学退学して会社員してるし、じいちゃんは八百屋だった。
「へぇ…。」
また、黙り込んでしまった。
「もしよかったら、俺相談乗るよ。」
「うん。ありがとう。」
「他の大学のオープンキャンパスは行ったの?」
「行ってない。」
「伊藤は確か理系だったよね。どんな学部がいいの?」
「わかんない。」
ああ、下田は大学に行くことが当たり前なのか。
「そもそも、俺は大学に行くかどうかも迷ってる。」
「そうなんだ…。」
「…失礼だったらごめんだけど、それはどうして?家の事情?」
「ううん。やりたいことがない。」
「どんな仕事に就きたいとかもないの?」
「うん。」
「そっかぁ…。」
下田はとてつもなく優しいんだと思う。
でも、今の俺にはそれを素直に受け取れるだけの余裕がなかった。
もう進路も決まってて、高校の成績もよくて、エリート家庭に育ったやつなんか、俺の気持ちがわかるわけない。
「じゃあ、俺こっちだから。ありがとね。」
「あ、うん。また夏休み明けに高校でね。」
いつもより早めに角を曲がって、下田から逃げるように家に帰った。
「おかえり。どうだった?」
もう母さんのパートは終わったらしく、帰ってきていた。
「あんまり、よくなかった。」
「そう…。」
母さんは一瞬困った顔をしたけど、それ以上突っ込むことはなかった。
自分の部屋に戻ってベッドにもぐる。
もう何も考えたくない。
「建都?とりあえず水分とかは取っておきなさい。ここにスポーツ飲料置いておくから。」
「うん、ありがとう。」
ドアの外に母さんが置いてくれたスポーツ飲料を飲む。
上を向いた時に頬を涙が逆走する感触がして、俺は初めて泣いてることに気づいた。
どうして俺だけ進路が決まらないのか。
頭の中がごっちゃごちゃに散らかっていて、片付ける気すら起きなかった。
「建都?そろそろ起きないと夜眠れなくなるぞ。」
いつの間にか帰ってきていたらしい父さんに起こされたとき、時計は19時を指していた。
「はぁっ…。」
あれ、寝るつもりなんてなかったのに。
頬の上で涙が乾いていて、表情筋の動きをちょっとだけ阻む。
「母さんから聞いたぞ。あんまりよくなかったか?」
ベッドの下に胡坐をかいて座った父さんが、俺に向かって言う。
ああ、気を使ってくれてるんだな。
いつもの父さんの顔つきじゃなくて、ガラスでできた工芸品を触る時みたいな、緊張とやさしさが入り混じった顔。
「うん。」
「何が良くなかったと思うんだ?」
「なんでみんなが楽しそうにしてるのかがわかんなかった。いらいらした。」
「何も楽しくなかったのか?」
「うん。」
「そうか。じゃあ、質問を変える。今日は何をしてきたんだ?」
「模擬授業をいくつか受けた。あとは、大学の中をいろいろ見て回って、外でやってたサークルの紹介みたいなのもちょっと見た。」
「それだけか?」
「うん。」
「他には何かなかったのか?」
父さんはできるだけ優しい声で、俺を刺激しないように話している気がした。
まるで立てこもり犯と喋るみたいに。
父さんはそのあと、俺が貰ってきたパンフレットやら今日のスケジュールが書かれた紙やらをさっと眺めて、こう付けくわえた。
「キャンパスツアーとかは行かなかったのか?」
責めてる感じじゃなくて、現状確認みたいな、あくまで事務的なトーンだった。
「行かなかった。」
「なんか理由があるのか?」
「別に。自分でも回れるし、いいかなって思ったから。」
「そうだな…あ」
父さんが何か言いかけたとき、下で母さんの声がした。
「二人ともー!ご飯できたわよ!」
父さんは胡坐の足を重たそうに起こしながら、「今行く!」と返した。
「また後で話そう。とりあえず、今は飯だ。」
俺もうなずいて、まだ寝起きで熱くなっている体を外に連れ出した。
夕飯中、父さんと母さんは俺に話題を振ることはなかった。
その気遣いが、ちょっとありがたかった。
食べ終わると、母さんは「穂乃果と電話してくる。」と言ってリビングを出て行って、俺は父さんと二人きりになった。
食器を片付けながら、父さんが言う。
「明日、一緒に父さんの会社行ってみるか?」
「え?」
「大学行くだけじゃつまらないだろ?」
父さんが言ってくれてるなら、行ってみる価値はあるかもしれない。
そこに就職するかはわかんないし、興味も別にないけど、進路についてちゃんと考えてるっていう姿勢は見せないといけない。
父さんと母さんに見捨てられることが、今の俺には一番怖いから。
機嫌悪いからかもしれないけどね。
まぁこんなもんか、と帰ろうとして自転車に乗った時、後ろから声がした。
「伊藤?」
伊藤なんて苗字の人は俺以外にもいっぱいいる。
俺じゃないかも、とは思いながらもふりむいた。
「おお、下田。」
立っていたのは高校のクラスメイトだった。
下田は俺と違って高校の制服で来てたから、すぐにわかった。
「伊藤も今から帰るとこ?」
「うん。」
「まじか、一緒じゃん。」
別にどちらが言ったわけでもなく、俺たちは一緒に自転車を押し始めた。
「伊藤もここ受けるの?」
先に沈黙を破ったのは下田だった。
「伊藤も」っていう言い方から、下田がここを志望してるのは明白だった。
もう、進路決まってるのか。
いいなぁ。
焦りがあるからか、邪念ばっかりが浮かんでくる。
「いや、まだ決めてない。」
オープンキャンパスに来てる以上、受けないって言い切るのもなんか変だなって思った。
「なるほどね。どこ行きたいとかあるの?」
あえてはぐらかしたのに、下田はさらに核心を突く質問を投げてくる。
「…決めてない。」
もう色々考えるのも嫌になって、うつむいたまま正直に答えた。
「そうなんだ…。」
俺の雰囲気を察したのか、下田は黙り込んでしまった。
今日の俺、本当にどうしたんだろうか。
夢が見つからない不安と焦りで、ずっといらいらしてる。
さすがに教授にあんな態度をとったのは不遜だったな…。
まぁ、これから絶対行かないからもう会わないだろうけど。
「下田はどの学部志望なの?」
俺と一緒にうつむいてしまった下田にばつが悪くなって、俺の方から質問を投げかけた。
「俺は医学部志望。父さんもじいちゃんも医者だから、俺も順当に医者かなと思って。」
そうだよな…。
高校が進学校だからか、こういう人は周りにいっぱいいて、住む世界が違うってことには慣れているはずだった。
でも、今日は焦燥感のせいか、その違いに狼狽えてしまう。
俺の家にはそんな家業はない。
父さんは大学退学して会社員してるし、じいちゃんは八百屋だった。
「へぇ…。」
また、黙り込んでしまった。
「もしよかったら、俺相談乗るよ。」
「うん。ありがとう。」
「他の大学のオープンキャンパスは行ったの?」
「行ってない。」
「伊藤は確か理系だったよね。どんな学部がいいの?」
「わかんない。」
ああ、下田は大学に行くことが当たり前なのか。
「そもそも、俺は大学に行くかどうかも迷ってる。」
「そうなんだ…。」
「…失礼だったらごめんだけど、それはどうして?家の事情?」
「ううん。やりたいことがない。」
「どんな仕事に就きたいとかもないの?」
「うん。」
「そっかぁ…。」
下田はとてつもなく優しいんだと思う。
でも、今の俺にはそれを素直に受け取れるだけの余裕がなかった。
もう進路も決まってて、高校の成績もよくて、エリート家庭に育ったやつなんか、俺の気持ちがわかるわけない。
「じゃあ、俺こっちだから。ありがとね。」
「あ、うん。また夏休み明けに高校でね。」
いつもより早めに角を曲がって、下田から逃げるように家に帰った。
「おかえり。どうだった?」
もう母さんのパートは終わったらしく、帰ってきていた。
「あんまり、よくなかった。」
「そう…。」
母さんは一瞬困った顔をしたけど、それ以上突っ込むことはなかった。
自分の部屋に戻ってベッドにもぐる。
もう何も考えたくない。
「建都?とりあえず水分とかは取っておきなさい。ここにスポーツ飲料置いておくから。」
「うん、ありがとう。」
ドアの外に母さんが置いてくれたスポーツ飲料を飲む。
上を向いた時に頬を涙が逆走する感触がして、俺は初めて泣いてることに気づいた。
どうして俺だけ進路が決まらないのか。
頭の中がごっちゃごちゃに散らかっていて、片付ける気すら起きなかった。
「建都?そろそろ起きないと夜眠れなくなるぞ。」
いつの間にか帰ってきていたらしい父さんに起こされたとき、時計は19時を指していた。
「はぁっ…。」
あれ、寝るつもりなんてなかったのに。
頬の上で涙が乾いていて、表情筋の動きをちょっとだけ阻む。
「母さんから聞いたぞ。あんまりよくなかったか?」
ベッドの下に胡坐をかいて座った父さんが、俺に向かって言う。
ああ、気を使ってくれてるんだな。
いつもの父さんの顔つきじゃなくて、ガラスでできた工芸品を触る時みたいな、緊張とやさしさが入り混じった顔。
「うん。」
「何が良くなかったと思うんだ?」
「なんでみんなが楽しそうにしてるのかがわかんなかった。いらいらした。」
「何も楽しくなかったのか?」
「うん。」
「そうか。じゃあ、質問を変える。今日は何をしてきたんだ?」
「模擬授業をいくつか受けた。あとは、大学の中をいろいろ見て回って、外でやってたサークルの紹介みたいなのもちょっと見た。」
「それだけか?」
「うん。」
「他には何かなかったのか?」
父さんはできるだけ優しい声で、俺を刺激しないように話している気がした。
まるで立てこもり犯と喋るみたいに。
父さんはそのあと、俺が貰ってきたパンフレットやら今日のスケジュールが書かれた紙やらをさっと眺めて、こう付けくわえた。
「キャンパスツアーとかは行かなかったのか?」
責めてる感じじゃなくて、現状確認みたいな、あくまで事務的なトーンだった。
「行かなかった。」
「なんか理由があるのか?」
「別に。自分でも回れるし、いいかなって思ったから。」
「そうだな…あ」
父さんが何か言いかけたとき、下で母さんの声がした。
「二人ともー!ご飯できたわよ!」
父さんは胡坐の足を重たそうに起こしながら、「今行く!」と返した。
「また後で話そう。とりあえず、今は飯だ。」
俺もうなずいて、まだ寝起きで熱くなっている体を外に連れ出した。
夕飯中、父さんと母さんは俺に話題を振ることはなかった。
その気遣いが、ちょっとありがたかった。
食べ終わると、母さんは「穂乃果と電話してくる。」と言ってリビングを出て行って、俺は父さんと二人きりになった。
食器を片付けながら、父さんが言う。
「明日、一緒に父さんの会社行ってみるか?」
「え?」
「大学行くだけじゃつまらないだろ?」
父さんが言ってくれてるなら、行ってみる価値はあるかもしれない。
そこに就職するかはわかんないし、興味も別にないけど、進路についてちゃんと考えてるっていう姿勢は見せないといけない。
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