真っ白な君は

紐下 育

文字の大きさ
上 下
1 / 41

しおりを挟む
「あなた、誰?」
「本当に忘れちゃったのか、さつき」
「ごめんね、思い出せない」
「俺だよ、夏希だよ」

学校でも家でも、常に持ち歩いて書いてきたこのノートを、びりびりに破いた。

「なんで、」

何が起こっているのか、何に怒っているのか。自分でもわからない。
口をついて出た「なんで」は、二酸化炭素と溶け合って消えた。

「建都?お母さんは行ってくるわよ。沙羅ちゃんも心配だけど、穂乃果のことも心配だから。様子見てくる。」
「わかった。様子、わかったら教えて。」

母さんがいなくなって、家には俺しかいなくなった。
静寂の中で冷房が静かに呻る。さっき聞いた母さんの声が反芻された。

「―建都?落ち着いて聞いてほしいんだけど。」
「―沙羅ちゃん、事故に遭って記憶がなくなちゃったみたい。一命はとりとめたみたいだけど、今は病院にいるって。」

沙羅は、俺の幼馴染だ。
沙羅のお母さん、穂乃果さんとうちの母さんが仲良くて、家も近かった。
その上同い年だった俺たちは、ずっと一緒に遊ばされていた。
人見知りで内向的な俺だけど、沙羅と遊ぶのだけは不思議と嫌じゃなかった。

小学校に上がると、活発な沙羅は女の子の友達をたくさん作って遊ぶようになった。一方、沙羅と対照的な性格の俺は、友達と言えるような子はできなかった。
勉強だけが取り柄。
休み時間は本を読むか、勉強をやるか。
でも、そんな俺を沙羅は見放さなかった。本を読んでたら「何読んでるの?」と顔をのぞきこんできたし、勉強してたら「こんな難しい問題解けるのすごっ!」と言って笑った。
沙羅がいる空間だけが、俺の居心地のいい場所だった。
沙羅に頼ってばっかじゃだめだ、と思った俺は中学受験をして、無事に合格することができた。
入学したのは中高一貫の男子校。
そこそこ頭がいいと言われる進学校だった。
毎日沙羅と会うことはなくなったけど、それでもたまに会ったり、通話したりした。
会うたびに、沙羅は俺にこう言った。
「建都はなんでもできてすごいなぁ」
俺からしたら、そんなことはなかった。
友達と体育祭で盛り上がったり、人並みに恋愛したりしてるらしい沙羅の方がよっぽど人らしいと思ったし、うらやましかった。
勉強ができるからって、社会に出てえらくなれるとは限らないことは薄々わかってきたのもこの時期だ。
学歴より、人と上手にコミュニケーションをとる力の方が大切だって気づいた。
エスカレーター式に高校に入学すると、それを如実に感じるようになった。
生徒会に入ってる生徒は、勉強ができるだけじゃなくて友達も多い。
先生に頼み事をするのもうまくて、本音と建前を上手に使い分ける。
それら全部、俺は満足にできなかった。
自分の将来を心配するようになって、勉強のモチベーションも下がった。
勉強が嫌いになったわけではないけど、何のためなのかわからない勉強をすることが苦しくなった。
この間なんて、二者面談で先生に「このままじゃ大学に行けないぞ」と諭されたばっかりだ。

「この二年生の夏休みの間に志望校決めとけよ、二学期始まったら本格的に受験勉強だからな」

あまりにもやる気のない俺を見て、先生は強くそう言った。
でも、俺は志望校を決めるつもりなんてなかった。
大学なんて行かなくていいんじゃないかと思い始めたからだ。

そんな俺が、高校に入ってから熱中していたのが、小説を書くことだった。
学校でも家でも、時間を見つけてはちょこちょこ書き溜めていた。
高校卒業したら、フリーランスになって小説を続けたい。
本音を言えば、それが俺の進路だった。
でも、進学校の中でそんな志望出してるやつは他にいなくて、俺はだんだん疎外感を覚えていた。

「いいんじゃない?建都はなんでもできるよ」

小説家になりたい、と俺が唯一漏らしたのが、沙羅だった。
中学に入ると沙羅は一気に大人びて、俺の相談を聞いてくれるようになっていた。

「好きなこと見つかってるなら、それを頑張ればいいと思う」

大学は現役じゃなくても入れるし、と沙羅は付け加えた。
沙羅と話している時に、これが決め手、という何かがあったわけではない。
でも、不思議と心が安らいだ。
ちょっと覚悟が決まったのも、今考えれば沙羅のおかげだったんだろう。

小説家で食っていくには、何か新人賞に応募した方がいいと思った。
そこで書き始めたのが青春小説。
主人公が記憶をなくして、幼馴染に助けられる話。
沙羅のことが書きたいとかそういうわけじゃなくて、幼馴染がいるという自分の体験を書くことで、その強みを生かしたいと思った。
でも、主人公のさつきは、俺も知らないうちに沙羅に似てきた。
活発で純粋で、強い少女。
いつの間にか俺は、主人公を沙羅に、幼馴染の夏希を自分に当てはめてしまっていたのかもしれない。

母さんから沙羅の記憶喪失を聞かされた時、俺は怖かった。
沙羅が沙羅でなくなってしまうのも怖かったし、沙羅が俺の小説の通りになってしまっていることにぞっとした。


「穂乃果も相当ショック受けてたわ。喋ってるうちに無意識に泣き出したりして。」

夕食の時、母さんは伏し目がちにそう言った。

「うーん、そうか。まぁ、無理もないだろうな。」
一緒に食卓を囲む父さんも、渋い顔をしている。
俺は、何も言えなかった。
言いたいことは山ほどあるのに、何を言ったらいいのかわからない。

「それで、沙羅ちゃんの様子はどうだったんだ?穂乃果さんは何か言ってたか?」
「本当に何にも覚えてないみたい。自分の名前も年齢も、両親のことも。かろうじて話すことはできるけど、読み書きの仕方は忘れちゃってる。お医者さんも、ここまで全部の記憶が抜けるのは珍しいって言ってたわ。たいていの場合、部分的に記憶喪失することはあっても、そこまでひどくはないって。」
「そうかぁ…自然に治るのか?」
「ここまで生活に支障が出るレベルだと、リハビリが必要になるみたい。まずは身体を治して、落ち着いてからになるみたいだけど。」
「かなり時間がかかりそうだな。建都は会いに行ったりできるのか?」
「もし建都が行きたいなら、行けるわよ。でも、ちょっと、いや、かなりショッキングな状況だから、強制はしないわ。」

会うのは怖い。そう思った。
沙羅として接していいのか、沙羅じゃないものと接することになるのか。
何もわからない。

でも、と箸を止めて考える。
俺が中学で好成績だった時も、高校に入って落ち込んだ時も、いつも沙羅は俺を見ていてくれた。
見放さなかった。
今度は、俺が沙羅のそばで寄り添うべきなんじゃないのか。
それに、今会わなかったら、もう沙羅とは疎遠になっていく気がする。
それは、絶対に嫌だと思った。

「明日、病院空いてるの?」
声がかすれた。
でも、覚悟を決めなくちゃいけない。


その夜、俺は夢を見た。
俺の書いた言葉が全部、本当になっちゃう夢。

小学校の時、俺をよく揶揄ってきたクラスメートがいた。
ずっとおどおどしていて、声も小さい俺は、はっきりいじりの対象にされた。
後ろから大声でおどかされたり、ノートを取られたりもした。
その度に、沙羅はその子を注意してくれていた。
夢の中で、俺は日記に「あんなやつ、いなくなればいいのに」と書いた。
そしたら、次の日からその子が来なくなった。
揶揄われているのを見ても知らないふりをしている先生のことも、日記に書いた。
「違う先生のクラスがよかった」
その瞬間、担任とは違う先生がクラスに来て、「担任の先生が病気になってしまったので、今日から私が担任を務めます」と言った。

ここまで夢を見たところで、俺はがばっと起き上がった。
額の汗を拭う。
ことばが、呪いみたいだ。
怖い。

「どうして…」
誰に言うでもなく、つぶやいた。
結局、朝までよく眠れなかった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】箱根戦士にラブコメ要素はいらない ~こんな大学、入るんじゃなかったぁ!~

テツみン
青春
高校陸上長距離部門で輝かしい成績を残してきた米原ハルトは、有力大学で箱根駅伝を走ると確信していた。 なのに、志望校の推薦入試が不合格となってしまう。疑心暗鬼になるハルトのもとに届いた一通の受験票。それは超エリート校、『ルドルフ学園大学』のモノだった―― 学園理事長でもある学生会長の『思い付き』で箱根駅伝を目指すことになった寄せ集めの駅伝部員。『葛藤』、『反発』、『挫折』、『友情』、そして、ほのかな『恋心』を経験しながら、彼らが成長していく青春コメディ! *この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件・他の作品も含めて、一切、全く、これっぽっちも関係ありません。

恋とは落ちるもの。

藍沢咲良
青春
恋なんて、他人事だった。 毎日平和に過ごして、部活に打ち込められればそれで良かった。 なのに。 恋なんて、どうしたらいいのかわからない。 ⭐︎素敵な表紙をポリン先生が描いてくださいました。ポリン先生の作品はこちら↓ https://manga.line.me/indies/product/detail?id=8911 https://www.comico.jp/challenge/comic/33031 この作品は小説家になろう、エブリスタでも連載しています。 ※エブリスタにてスター特典で優輝side「電車の君」、春樹side「春樹も恋に落ちる」を公開しております。

冬の水葬

束原ミヤコ
青春
夕霧七瀬(ユウギリナナセ)は、一つ年上の幼なじみ、凪蓮水(ナギハスミ)が好き。 凪が高校生になってから疎遠になってしまっていたけれど、ずっと好きだった。 高校一年生になった夕霧は、凪と同じ高校に通えることを楽しみにしていた。 美術部の凪を追いかけて美術部に入り、気安い幼なじみの間柄に戻ることができたと思っていた―― けれど、そのときにはすでに、凪の心には消えない傷ができてしまっていた。 ある女性に捕らわれた凪と、それを追いかける夕霧の、繰り返す冬の話。

曙光ーキミとまた会えたからー

桜花音
青春
高校生活はきっとキラキラ輝いていると思っていた。 夢に向かって突き進む未来しかみていなかった。 でも夢から覚める瞬間が訪れる。 子供の頃の夢が砕け散った時、私にはその先の光が何もなかった。 見かねたおじいちゃんに誘われて始めた喫茶店のバイト。 穏やかな空間で過ごす、静かな時間。 私はきっとこのままなにもなく、高校生活を終えるんだ。 そう思っていたところに、小学生時代のミニバス仲間である直哉と再会した。 会いたくなかった。今の私を知られたくなかった。 逃げたかったのに直哉はそれを許してくれない。 そうして少しずつ現実を直視する日々により、閉じた世界に光がさしこむ。 弱い自分は大嫌い。だけど、弱い自分だからこそ、気づくこともあるんだ。

私の隣は、心が見えない男の子

舟渡あさひ
青春
人の心を五感で感じ取れる少女、人見一透。 隣の席の男子は九十九くん。一透は彼の心が上手く読み取れない。 二人はこの春から、同じクラスの高校生。 一透は九十九くんの心の様子が気になって、彼の観察を始めることにしました。 きっと彼が、私の求める答えを持っている。そう信じて。

俺に婚約者?!

ながしょー
青春
今年の春、高校生になった優希はある一人の美少女に出会う。その娘はなんと自分の婚約者といった。だが、優希には今好きな子がいるため、婚約は無効だ!そんなの子どものころの口約束だろ!というが彼女が差し出してきたのは自分の名前が書かれた婚姻届。よくよく見ると、筆跡が自分のとそっくり!このことがきっかけに、次々と自分の婚約者という女の子が出てくるハーレム系ラブコメ!…になるかも?

漫才部っ!!

育九
青春
漫才部、それは私立木芽高校に存在しない部活である。 正しく言えば、存在はしているけど学校側から認められていない部活だ。 部員数は二名。 部長 超絶美少女系ぼっち、南郷楓 副部長 超絶美少年系ぼっち、北城多々良 これは、ちょっと元ヤンの入っている漫才部メンバーとその回りが織り成す日常を描いただけの物語。

Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説

宮 都
青春
幼なじみへの気持ちの変化を自覚できずにいた中2の夏。ライバルとの出会いが、少年を未知のスポーツへと向わせた。 美少女と手に手をとって進むその競技の名は、アイスダンス!! 【2022/6/11完結】  その日僕たちの教室は、朝から転校生が来るという噂に落ち着きをなくしていた。帰国子女らしいという情報も入り、誰もがますます転校生への期待を募らせていた。  そんな中でただ一人、果歩(かほ)だけは違っていた。 「制覇、今日は五時からだから。来てね」  隣の席に座る彼女は大きな瞳を輝かせて、にっこりこちらを覗きこんだ。  担任が一人の生徒とともに教室に入ってきた。みんなの目が一斉にそちらに向かった。それでも果歩だけはずっと僕の方を見ていた。 ◇ こんな二人の居場所に現れたアメリカ帰りの転校生。少年はアイスダンスをするという彼に強い焦りを感じ、彼と同じ道に飛び込んでいく…… ――小説家になろう、カクヨム(別タイトル)にも掲載――

処理中です...