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November
先生の独り言
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人生で、こんなに慌てたことがあっただろうか。
ふと振り向いた瞬間に、僕の大切な宝物がばた、と倒れた。
魂が抜けたように。
全部を放り出すようにして駆け寄った。
保健室のベッドに寝かしたゆうを見て、思わず顔をゆがめた。
真っ白なベッドにそのまま溶けていってしまうんじゃないか、と思うくらいに血の気がなかった。
体中の血液がマグマみたいに熱くなったのがわかった。
俺の優馬に何をしてくれたんだ。
痴漢をしてくれた輩。
倒れたゆうに困惑して、助けに行かなかった学生。
全部に腹が立つ。
学務課に駆け込むと、職員が全員こちらを向く。
「すみません、今日このあとの授業全部休講にするので掲示板に流しておいてください。」
「あっ…わ…かり、ました。」
どうして休むのか、代替課題はどうするか。
必要な情報が明らかに欠如した申し出に、職員も首をかしげる。
でも、そんなことはあとでメールで送ればいい。
ごめんね、学生たち。
帰ってゆうを落ち着かせたらメールを送ろう。
最短距離で、最速で。
ゆうの寝ている保健室へと飛んで行った。
「帰ろう」
捨て犬を家に連れて帰るような心地だった。
本当は僕が抱えていきたかったのだけれど、ゆうは学校で抱えられるのがどうやら不満らしい。
万が一倒れても大丈夫なように手を繋いで、ずっと支えながら、車まで向かった。
その様子をあの人が見ているなんて、思ってもみなかった。
車に乗ったゆうは、すぐさま目をつむった。
命が消えていくその瞬間のことを想像して、わけもわからず泣きそうになる。
ごめんね、という気持ちがこみあげてきた。
辛いのはゆうのはずなのに。
ちゃんと正直に、痴漢に遭った、と言ってくれたことは嬉しかった。
でも。
僕が電車通学を許可しなければ。
痴漢被害を教えてくれたあの時に、今日は休みな、と一言言っていれば。
後悔してもしきれない。
とりあえず気持ちを落ち着かせて、ゆうを安心させなければいけない。
深呼吸をして車を発進させた。
「ゆう?」
声を発して、自分の喉がからからに涸れていることに気づいた。
「…ん?」
ゆうは、眠っているわけではなかったのだろう。
いつもの寝起きのとろとろした瞳ではなかった。
そうか、眠れないよね。
怖い思いをしたあとで、眠れないのかもしれない。
そう思うと本当にかわいそうで、喉がぎゅっとしまった。
「家に着いたよ。」
「ありがとう、ございます…。」
おんぶしていこうかと思って「背中に乗る?」と聞いてみたけれど、「いや、大丈夫です」としっかり目に断られた。
さっと起き上がるゆうの足元がしっかりしていることに、とてつもない安心感があった。
家に着くと、ゆうはまず着替えた。
部屋着姿になったゆうは、僕の方を申し訳なさそうに見上げる。
「ごめんなさい…大学、中抜けさせてしまって。」
「大丈夫だよ。今日は僕、ずっと家にいるからね。」
「えっ、いやっ、でも」
「いいの。ゆうは気にしなくて。」
やや逡巡するようなそぶりを見せたあと、ゆうはもう一度「ありがとうございます」とつぶやいた。
「ちょっと、寝てきます。」
「うん。僕もいた方がいい?」
「あっ…じゃあ、お願いします…。」
断られるかと思ったから、少しだけ驚く。
やっぱり、怖いのだろう。
学生にメールできるようにノートパソコンだけを持って、僕らは寝室に向かう。
横になって頭まで布団をかぶるゆうを横目に、僕はパソコンを開く。
早く、学生たちにメールをしなくては。
「久しぶり。話したいことがあるので、都合のいいタイミングで連絡ください。」
メールボックスを開いて一番上にあったのは、現紺星大学学長でもある恩師からの連絡。
胸の奥で鳥肌が立つような感覚がした。
ふと振り向いた瞬間に、僕の大切な宝物がばた、と倒れた。
魂が抜けたように。
全部を放り出すようにして駆け寄った。
保健室のベッドに寝かしたゆうを見て、思わず顔をゆがめた。
真っ白なベッドにそのまま溶けていってしまうんじゃないか、と思うくらいに血の気がなかった。
体中の血液がマグマみたいに熱くなったのがわかった。
俺の優馬に何をしてくれたんだ。
痴漢をしてくれた輩。
倒れたゆうに困惑して、助けに行かなかった学生。
全部に腹が立つ。
学務課に駆け込むと、職員が全員こちらを向く。
「すみません、今日このあとの授業全部休講にするので掲示板に流しておいてください。」
「あっ…わ…かり、ました。」
どうして休むのか、代替課題はどうするか。
必要な情報が明らかに欠如した申し出に、職員も首をかしげる。
でも、そんなことはあとでメールで送ればいい。
ごめんね、学生たち。
帰ってゆうを落ち着かせたらメールを送ろう。
最短距離で、最速で。
ゆうの寝ている保健室へと飛んで行った。
「帰ろう」
捨て犬を家に連れて帰るような心地だった。
本当は僕が抱えていきたかったのだけれど、ゆうは学校で抱えられるのがどうやら不満らしい。
万が一倒れても大丈夫なように手を繋いで、ずっと支えながら、車まで向かった。
その様子をあの人が見ているなんて、思ってもみなかった。
車に乗ったゆうは、すぐさま目をつむった。
命が消えていくその瞬間のことを想像して、わけもわからず泣きそうになる。
ごめんね、という気持ちがこみあげてきた。
辛いのはゆうのはずなのに。
ちゃんと正直に、痴漢に遭った、と言ってくれたことは嬉しかった。
でも。
僕が電車通学を許可しなければ。
痴漢被害を教えてくれたあの時に、今日は休みな、と一言言っていれば。
後悔してもしきれない。
とりあえず気持ちを落ち着かせて、ゆうを安心させなければいけない。
深呼吸をして車を発進させた。
「ゆう?」
声を発して、自分の喉がからからに涸れていることに気づいた。
「…ん?」
ゆうは、眠っているわけではなかったのだろう。
いつもの寝起きのとろとろした瞳ではなかった。
そうか、眠れないよね。
怖い思いをしたあとで、眠れないのかもしれない。
そう思うと本当にかわいそうで、喉がぎゅっとしまった。
「家に着いたよ。」
「ありがとう、ございます…。」
おんぶしていこうかと思って「背中に乗る?」と聞いてみたけれど、「いや、大丈夫です」としっかり目に断られた。
さっと起き上がるゆうの足元がしっかりしていることに、とてつもない安心感があった。
家に着くと、ゆうはまず着替えた。
部屋着姿になったゆうは、僕の方を申し訳なさそうに見上げる。
「ごめんなさい…大学、中抜けさせてしまって。」
「大丈夫だよ。今日は僕、ずっと家にいるからね。」
「えっ、いやっ、でも」
「いいの。ゆうは気にしなくて。」
やや逡巡するようなそぶりを見せたあと、ゆうはもう一度「ありがとうございます」とつぶやいた。
「ちょっと、寝てきます。」
「うん。僕もいた方がいい?」
「あっ…じゃあ、お願いします…。」
断られるかと思ったから、少しだけ驚く。
やっぱり、怖いのだろう。
学生にメールできるようにノートパソコンだけを持って、僕らは寝室に向かう。
横になって頭まで布団をかぶるゆうを横目に、僕はパソコンを開く。
早く、学生たちにメールをしなくては。
「久しぶり。話したいことがあるので、都合のいいタイミングで連絡ください。」
メールボックスを開いて一番上にあったのは、現紺星大学学長でもある恩師からの連絡。
胸の奥で鳥肌が立つような感覚がした。
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