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第六章
46:お前をやり込める日が来るとはな。非常に気分がいい
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スフォルコ城には、レオナルドが装飾を手掛けた大広間がある。ミラノにやってきて最初に手掛けた仕事で、巨大な桑の木が天井まで伸びる様を描いた。その絵を見たイル・モーロがレオナルドを気に入ってくれて、絵描きとパトロネージュの親密な関係が始まった。
鞄に入ったレリーフを持って、レオナルドはその部屋にいた。
イル・モーロとの謁見を待っているのだ。
いくらイル・モーロに気に入られているレオナルドであっても、急な謁見は難しいことが分かっていた。あちらはミラノの支配者、こちらは一介の職人。しかも、今、イル・モーロは、ロレンツォの大葬へ向かう準備で目が回る程忙しい。
それでも、レオナルドはイル・モーロに謁見を願い出ずにはいられなかった。
レオナルドは鞄の中から、若い憲兵から無理やり奪った文書を取り出し見つめる。
長く見ていたのは、人相の悪い若者でもレリーフの絵でもなく、ピエロ・ディ・メディチと記された部分だった。
一国の支配者が、一人の人間を呼び出すために隣国まで署名入りの文書を出すなど前代未聞のことだ。
メディチ家の面子にかけて意地でもピエロはアンジェロを、いや、ミケランジェロ・ブオナティーを見つけ出したいのだろう。
いつまでも見つからなければ、ミケランジェロの生死は問わない、レリーフさえあれば、なんてことにもなりかねない。
早急にアンジェロをフィレンチェに帰さなければ。
きっと、世間知らずなアンジェロはミラノにいたいと言うだろう。
ロレンツォがいないフィレンチェにいても意味がないと思っているだろうから。
しかし、ロレンツォがいようがいまいが、フィレンチェにいる意味は充分にある。
フィレンチェは絵でも彫刻でも、常に一流の作り手達で溢れていて、メディチ家を筆頭に芸術に明るいパトロネージュがわんさといる。また手法は日進月歩で進化を遂げ、古臭いセンスがまかり通っているミラノとは比べものにならない。
ロレンツォに目を掛けられたのなら、その才能は間違いない。一流の作り手に囲まれ、パトロネージュから潤沢な援助を受け、腕を磨けばきっと爆発な伸びを見せる。
手負いの獣みたいだったアンジェロを最初は疎んで、でも、彼の優しく繊細な心を知るようになっていつしか惹かれていった。
手元に置きたいという思いは今も変わってはいない。
けれど、レオナルドは喉から手が出るほど欲していたフィレンチェの環境を、同じ作りてとして逃して欲しくないのだ。
月が天高く上がる頃になって、ようやくイル・モーロが大広間に姿を見せた。
「普段、逃げ回っているお前が会いたいと言うなど、空から槍でも降ってくるのか?」
「閣下にお願いがあって参りました」
「お願い? パトロネージュの希望を今まで散々無視してきた分際でか?」
浅黒い肌に皮肉気な笑みが浮かんだ。さすがのレオナルドも、言い返せなかった。
「お前をやり込める日が来るとはな。非常に気分がいい。話だけでも聞いてやろう」
ようやく許しを得て、レオナルドは、話し始めた。
「閣下はミケランジェロ・ブオナティーというフィオレンティーナをご存知ですか?」
レオナルドは、文書をイル・モーロに見せた。
「フィレンチェ政府から連絡を受けて、この件は知っている。メディチ家の連中は、躍起になって彼とレリーフを探しているらしいな。霊廟に収めたいとロレンツォが望む作品を盗み出して行方不明になるなんて大した職人だ」
笑うイル・モーロの目の前で、レオナルォドは鞄を開けた。幼子を抱いて階段に座る女性のレリーフを見せると、ぴたりと笑い声は止んだ。
イル・モーロは驚き、レリーフと文書の絵を見比べる。
「本物か?」
「おそらく」
「どうしてお前が持っている?闇で流れているのを買ったのか? ミラノでこんな売買があったとピエロに知れたら……」
イル・モーロは慌て始めた。フィレンチェとミラノの力関係が彼の態度でよく分かる。
「いいえ。この鞄の持ち主が所有者です。偽名を使ってミラノに滞在していました。閣下は、夏の夜の宴で会ったアンジェロという若者を覚えてらっしゃいますか?」
「ワインを被っても怒らなかったあの優し気な若者だな。……もしや、アンジェロがミケランジェロ・ブオナティなのか?」
「俺もついさっき知ったばかりで」
暫く口を開けてレリーフを眺めていたイル・モーロはレオナルドを見た。
「どうして、ミケランジェロ・ブオナティがお前の弟子に?」
「身投げしようとしているところを偶然拾いました。手に怪我をし声も出せず身寄りがないというので、居場所を与える意味で弟子に。彼がなぜ、ミラノにやって来たのか理由はわかりません。ロレンツォが霊廟に収めたいと考えていたレリーフを持ちだした理由も謎です」
「即刻、フィレンチェに帰さねば」
「ですので閣下にお願いにやって参りました。ピエロは相当頭に来ているはずです。閣下の力で、アンジェロを無事にフィレンチェに帰してやってくれませんか」
「随分、すんなり手放すのだな。ほとぼり冷めるまで匿おうとは考えなかったのか?夏の夜の宴の時、髪を結ってやる可愛がりようだったではないか」
「ピエロから逃げたら、アンジェロは一生、表の世界に出て来られなくなります。お願いします。どうか、早急に手紙を」
「ハッ、ハハハハッ」
突然、イル・モーロは大声で笑い出す。
「こんなに、余裕のないお前を見るのは初めてだ。どうしてそう真っ向から私に願おうとする?ミラノがフィレンチェと強い繋がりを持ちたがっていることは、当然、知っているだろう。しかも、あの国はロレンツォからピエロに代替わりし、ミラノに対してどういう出方をしてくるか分からない」
イル・モーロは、レオナルドの顔を楽しそうに眺める。
「いつものお前だったら、こう言うはずだ。ミケランジェロ・ブオナティーとレリーフの行方を知っています。大葬に間に合うようフィレンチェに無事に戻せば、フィレンチェから感謝されます。だから、閣下、取引をしませんか。記念騎馬像を後脚で立ち上がるデザインで、そして、食堂の壁画制作は是非、このレオナルドに内定を、と。ミケランジェロ・ブオナティーを出汁として扱うはずだ」
鞄に入ったレリーフを持って、レオナルドはその部屋にいた。
イル・モーロとの謁見を待っているのだ。
いくらイル・モーロに気に入られているレオナルドであっても、急な謁見は難しいことが分かっていた。あちらはミラノの支配者、こちらは一介の職人。しかも、今、イル・モーロは、ロレンツォの大葬へ向かう準備で目が回る程忙しい。
それでも、レオナルドはイル・モーロに謁見を願い出ずにはいられなかった。
レオナルドは鞄の中から、若い憲兵から無理やり奪った文書を取り出し見つめる。
長く見ていたのは、人相の悪い若者でもレリーフの絵でもなく、ピエロ・ディ・メディチと記された部分だった。
一国の支配者が、一人の人間を呼び出すために隣国まで署名入りの文書を出すなど前代未聞のことだ。
メディチ家の面子にかけて意地でもピエロはアンジェロを、いや、ミケランジェロ・ブオナティーを見つけ出したいのだろう。
いつまでも見つからなければ、ミケランジェロの生死は問わない、レリーフさえあれば、なんてことにもなりかねない。
早急にアンジェロをフィレンチェに帰さなければ。
きっと、世間知らずなアンジェロはミラノにいたいと言うだろう。
ロレンツォがいないフィレンチェにいても意味がないと思っているだろうから。
しかし、ロレンツォがいようがいまいが、フィレンチェにいる意味は充分にある。
フィレンチェは絵でも彫刻でも、常に一流の作り手達で溢れていて、メディチ家を筆頭に芸術に明るいパトロネージュがわんさといる。また手法は日進月歩で進化を遂げ、古臭いセンスがまかり通っているミラノとは比べものにならない。
ロレンツォに目を掛けられたのなら、その才能は間違いない。一流の作り手に囲まれ、パトロネージュから潤沢な援助を受け、腕を磨けばきっと爆発な伸びを見せる。
手負いの獣みたいだったアンジェロを最初は疎んで、でも、彼の優しく繊細な心を知るようになっていつしか惹かれていった。
手元に置きたいという思いは今も変わってはいない。
けれど、レオナルドは喉から手が出るほど欲していたフィレンチェの環境を、同じ作りてとして逃して欲しくないのだ。
月が天高く上がる頃になって、ようやくイル・モーロが大広間に姿を見せた。
「普段、逃げ回っているお前が会いたいと言うなど、空から槍でも降ってくるのか?」
「閣下にお願いがあって参りました」
「お願い? パトロネージュの希望を今まで散々無視してきた分際でか?」
浅黒い肌に皮肉気な笑みが浮かんだ。さすがのレオナルドも、言い返せなかった。
「お前をやり込める日が来るとはな。非常に気分がいい。話だけでも聞いてやろう」
ようやく許しを得て、レオナルドは、話し始めた。
「閣下はミケランジェロ・ブオナティーというフィオレンティーナをご存知ですか?」
レオナルドは、文書をイル・モーロに見せた。
「フィレンチェ政府から連絡を受けて、この件は知っている。メディチ家の連中は、躍起になって彼とレリーフを探しているらしいな。霊廟に収めたいとロレンツォが望む作品を盗み出して行方不明になるなんて大した職人だ」
笑うイル・モーロの目の前で、レオナルォドは鞄を開けた。幼子を抱いて階段に座る女性のレリーフを見せると、ぴたりと笑い声は止んだ。
イル・モーロは驚き、レリーフと文書の絵を見比べる。
「本物か?」
「おそらく」
「どうしてお前が持っている?闇で流れているのを買ったのか? ミラノでこんな売買があったとピエロに知れたら……」
イル・モーロは慌て始めた。フィレンチェとミラノの力関係が彼の態度でよく分かる。
「いいえ。この鞄の持ち主が所有者です。偽名を使ってミラノに滞在していました。閣下は、夏の夜の宴で会ったアンジェロという若者を覚えてらっしゃいますか?」
「ワインを被っても怒らなかったあの優し気な若者だな。……もしや、アンジェロがミケランジェロ・ブオナティなのか?」
「俺もついさっき知ったばかりで」
暫く口を開けてレリーフを眺めていたイル・モーロはレオナルドを見た。
「どうして、ミケランジェロ・ブオナティがお前の弟子に?」
「身投げしようとしているところを偶然拾いました。手に怪我をし声も出せず身寄りがないというので、居場所を与える意味で弟子に。彼がなぜ、ミラノにやって来たのか理由はわかりません。ロレンツォが霊廟に収めたいと考えていたレリーフを持ちだした理由も謎です」
「即刻、フィレンチェに帰さねば」
「ですので閣下にお願いにやって参りました。ピエロは相当頭に来ているはずです。閣下の力で、アンジェロを無事にフィレンチェに帰してやってくれませんか」
「随分、すんなり手放すのだな。ほとぼり冷めるまで匿おうとは考えなかったのか?夏の夜の宴の時、髪を結ってやる可愛がりようだったではないか」
「ピエロから逃げたら、アンジェロは一生、表の世界に出て来られなくなります。お願いします。どうか、早急に手紙を」
「ハッ、ハハハハッ」
突然、イル・モーロは大声で笑い出す。
「こんなに、余裕のないお前を見るのは初めてだ。どうしてそう真っ向から私に願おうとする?ミラノがフィレンチェと強い繋がりを持ちたがっていることは、当然、知っているだろう。しかも、あの国はロレンツォからピエロに代替わりし、ミラノに対してどういう出方をしてくるか分からない」
イル・モーロは、レオナルドの顔を楽しそうに眺める。
「いつものお前だったら、こう言うはずだ。ミケランジェロ・ブオナティーとレリーフの行方を知っています。大葬に間に合うようフィレンチェに無事に戻せば、フィレンチェから感謝されます。だから、閣下、取引をしませんか。記念騎馬像を後脚で立ち上がるデザインで、そして、食堂の壁画制作は是非、このレオナルドに内定を、と。ミケランジェロ・ブオナティーを出汁として扱うはずだ」
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