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第五章
39:お前は俺の傍から離れるなよ
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ミラノの市場は、花屋やチーズ屋、それに魚屋、肉屋がそれぞれ小さな出店を構え大通りの通路をいっぱいに埋めていた。活気があって見ているだけで楽しい。
レオナルドはどんな人込みでも自分の理想に近いユダを見つめると、素描帳を広げ描き始める。そして、モデルが動けばそのままついていってしまうので、アンジェロもぼやっとはしていられない。
あくびをしながら歩くサライは早くも暇そうだ。
「ねえ、マエストロ。夏を祝う宴の時、噂になっていたんだけど、ロレンツォ公の大葬が遅れたのは、霊廟に納めたい物が無くなったからなんでしょう?それって何?」
レオナルドは、歩きながら肩をすくめる。
「分からん。多分、思い入れのある物だろ。歴史的に価値があるとか、値打ちがあるとかそんなものに囚われる奴じゃないからな、ロレンツォは」
「じゃあ、マエストロの作品だったりして」
「俺の?」
レオナルドは意外な顔をする。考えたことも無かったようだ。
「フィレンチェに残してきたものは、師匠との共同作品か、未完の末、他の絵描きが仕上げたものばかりだ。多少、完成した作品もあるが、ロレンツォが大葬の日取りを伸ばしてまでも霊廟に入れたいと作品とは思えない」
「そうかな、思い入れってそういうものじゃないと思うけど」
「言うじゃねえか。一枚もまともな絵を描き上げてないくせに」
ああ、これは喧嘩になりそうな雰囲気だと、アンジェロは二人の間に割って入った。
『レオさんは、ロレンツォ様の大葬には行かないの?』
アレオナルドが答える。
「イル・モーロが行かせやしない。ロレンツォの大葬に参加したら、里心が付いてミラノに帰って来ないと思っている。記念騎馬像は、ミラノどころか隣国の工房でも作れる者がいなくて、この十年で二度も製作が頓挫している。是が非でも俺に作らせたいのさ」
真横を歩いていたサライが、急に方向を変えた。路地に入って行こうとする。回り込んで阻もうとすると「師匠と可愛い弟弟子との美術談議に、一枚も絵を描かない兄弟子なんか邪魔でしょ」とサライは言って、激しくアンジェロに体当たりをし押しのけた。
「放っておけ。そのうち、戻ってくる」
レオナルドは弟子の性格を見きっているようで全く動じず、パン屋の前で立ち止まると素描帳を広げた。日焼けした肌と真っ黒な髪の毛のパン屋の主人を描き始める。
レオナルドは顔は急に顔を上げ、アンジェロを見た。
「でも、お前は俺の傍から離れるなよ」
ドキッとする。
意識しすぎだ。
密入国の身だから、一人でいるところを憲兵に見つかると声をかけられ面倒なことになる。そういう意味だ。
『う、うん。わ、分かった』
挙動不審になりアンジェロにレオナルドは、「お前は、いつまでたっても慣れねえなあ」と大人の余裕風を吹かせる。そんな態度を取られて、ずんと気持ちが沈む。
『やっぱり、レオさん……』
「何だ。急に落ち込んで」
『……あの夜、オレのこと、からかったんだよね?』
「今度は被害妄想か」
レオナルドは渋い顔をする。
「お前をからかったり都合よく扱いたいなら、しょっちゅう師匠命令だと言って脱がせたり、無理やり口づけたりしている」
『う、……うん。そうだね』
アンジェロは真っ赤になる。
言われてみれば、そうだ。
その手のことを、レオナルドは全然してこない。
かといってそっけないわけではなく、出会った頃より、アンジェロを見つめる目は優しい。
だから、分からなくなるのだ。
『だったら、素っ裸にして、体を余すとこなく描きたいって。残りの対価をそれで払えって言ったのはどうして?』
「そうしてみたいという欲望を述べただけだ。お前の体を余すことなく描いたら、それだけじゃ止まらなくなる。師匠と弟子として一線を引くのが、俺の精いっぱいの誠実だ」
確かにレオナルドは師匠で、同胞で。そして、遥かの年上の男の人だ。
でも、他人を超えた存在になりつつある。
レオナルドはどんな人込みでも自分の理想に近いユダを見つめると、素描帳を広げ描き始める。そして、モデルが動けばそのままついていってしまうので、アンジェロもぼやっとはしていられない。
あくびをしながら歩くサライは早くも暇そうだ。
「ねえ、マエストロ。夏を祝う宴の時、噂になっていたんだけど、ロレンツォ公の大葬が遅れたのは、霊廟に納めたい物が無くなったからなんでしょう?それって何?」
レオナルドは、歩きながら肩をすくめる。
「分からん。多分、思い入れのある物だろ。歴史的に価値があるとか、値打ちがあるとかそんなものに囚われる奴じゃないからな、ロレンツォは」
「じゃあ、マエストロの作品だったりして」
「俺の?」
レオナルドは意外な顔をする。考えたことも無かったようだ。
「フィレンチェに残してきたものは、師匠との共同作品か、未完の末、他の絵描きが仕上げたものばかりだ。多少、完成した作品もあるが、ロレンツォが大葬の日取りを伸ばしてまでも霊廟に入れたいと作品とは思えない」
「そうかな、思い入れってそういうものじゃないと思うけど」
「言うじゃねえか。一枚もまともな絵を描き上げてないくせに」
ああ、これは喧嘩になりそうな雰囲気だと、アンジェロは二人の間に割って入った。
『レオさんは、ロレンツォ様の大葬には行かないの?』
アレオナルドが答える。
「イル・モーロが行かせやしない。ロレンツォの大葬に参加したら、里心が付いてミラノに帰って来ないと思っている。記念騎馬像は、ミラノどころか隣国の工房でも作れる者がいなくて、この十年で二度も製作が頓挫している。是が非でも俺に作らせたいのさ」
真横を歩いていたサライが、急に方向を変えた。路地に入って行こうとする。回り込んで阻もうとすると「師匠と可愛い弟弟子との美術談議に、一枚も絵を描かない兄弟子なんか邪魔でしょ」とサライは言って、激しくアンジェロに体当たりをし押しのけた。
「放っておけ。そのうち、戻ってくる」
レオナルドは弟子の性格を見きっているようで全く動じず、パン屋の前で立ち止まると素描帳を広げた。日焼けした肌と真っ黒な髪の毛のパン屋の主人を描き始める。
レオナルドは顔は急に顔を上げ、アンジェロを見た。
「でも、お前は俺の傍から離れるなよ」
ドキッとする。
意識しすぎだ。
密入国の身だから、一人でいるところを憲兵に見つかると声をかけられ面倒なことになる。そういう意味だ。
『う、うん。わ、分かった』
挙動不審になりアンジェロにレオナルドは、「お前は、いつまでたっても慣れねえなあ」と大人の余裕風を吹かせる。そんな態度を取られて、ずんと気持ちが沈む。
『やっぱり、レオさん……』
「何だ。急に落ち込んで」
『……あの夜、オレのこと、からかったんだよね?』
「今度は被害妄想か」
レオナルドは渋い顔をする。
「お前をからかったり都合よく扱いたいなら、しょっちゅう師匠命令だと言って脱がせたり、無理やり口づけたりしている」
『う、……うん。そうだね』
アンジェロは真っ赤になる。
言われてみれば、そうだ。
その手のことを、レオナルドは全然してこない。
かといってそっけないわけではなく、出会った頃より、アンジェロを見つめる目は優しい。
だから、分からなくなるのだ。
『だったら、素っ裸にして、体を余すとこなく描きたいって。残りの対価をそれで払えって言ったのはどうして?』
「そうしてみたいという欲望を述べただけだ。お前の体を余すことなく描いたら、それだけじゃ止まらなくなる。師匠と弟子として一線を引くのが、俺の精いっぱいの誠実だ」
確かにレオナルドは師匠で、同胞で。そして、遥かの年上の男の人だ。
でも、他人を超えた存在になりつつある。
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