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第五章 アーサー

108:だって、君、初めて会った晩、泣いていたじゃないか。こんなの嫌だって

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シファーチェの口から出たバロンという名は、鹿の園にいる男娼で、アーサーも何度か世話になったことがある。
気弱で優しそうな顔をした青年で、万年、最低の騎士ランクの古株男娼だ。
客が寒くないよう暑くないようとても気を使うし、寂しげだがいつも笑顔を見せる努力をしている。
その割に客に評価されないのは、緊張しやすい体質のせいだとアーサーは思っている。あまりにも緊張が激しすぎて、身体が硬く抱いている側は全力で拒否されている気分になるのだ。
肌は重ねても、心は絶対に重ねないというような余韻を、彼は無意識に客に残している。
シファーチェはその彼から、どこかの部屋を連れ出され、ここにやってきたのだという。
「ちょっと待って。じゃあ、君の所有者は?」
アーサーは、シファーチェとベッドに寝そべりながら話を聞いていた。
オールドドメイン男娼が、他のドメインを誘拐だなんて聞いたことがない。もし、それが本当なのだとしたら、シファーチェの所有者は必死になって探し回っていることだろう。
「鹿の園のオーナー。イタリア人」
「だろう。じゃあ、前所有者は?」
「イーサン伯爵。でも、死んじゃったからここに来たってオーナーに言われた」
「じゃあ、バロンがそこに出てくるのはおかしいよね?」
「そうなんだけど」
とシファーチェは不服そうだ。
ドメインは売買されるとき、前所有者がスクリーニングして記憶や細胞情報を削除する。根深い記憶は取りきれないというが、シファーチェの場合はスクリーニングで前後の記憶が混濁してしまったのかもしれない。
「その部屋を出てから、バロンがずっと世話をしてくれた」
「そうだったんだね」
それは多分、新人男娼を古株が教育したってことかな?と内心思いながら、アーサーは相槌を打つ。
「でも、最近は、話もしてくれない」
「それは、最近、君のランクがまた上がったからじゃないかな?」
騎士・準男爵・男爵・子爵・伯爵・侯爵 ・公爵・王のランクのうち、バロンは騎士階級で、シファーチェは鹿の園にきて二か月だが、すでに伯爵のランクにいる。あまりにもランクが上がるのが早すぎて、鹿の園側もシファーチェに見合った部屋をすぐに用意できないのが現状だ。
鹿の園には珍しい、黒目黒髪の東洋人風のルックス。きめ細かい肌。人形のように細くて長い手足などなど、魅力はたくさんあるが、やはり一番は、透明感のある純粋無垢なところだろう。
アーサーが宝石学の勉強をしていると、黙って見ているだけでなくあれこれ質問もしてきて知識欲が高い。
明らかに他の男娼とは質が違う。
アーサーの体温と温かなブランケットに包まれて、シファーチェは、フワアッとあくびをする。
「ごめん」
アーサーは、シファーチェのこういうさらっとした謝り方も好きだ。
多くの男娼は、極端に卑屈かどこまでも高飛車か、その二タイプに別れるが、シファーチェはとても自然だ。兄弟がいたらこんな感じなんだろうと、気持ちが和む。
きっと他の客も、シファーチェを息子や弟に近いと感じているのでないだろうか。
「いいよ。色んなお客の相手をして疲れているだろう。鹿の園もロクな休憩時間も与えず君を働かせているみたいだし、寝ちゃいなよ」
「アーサー。この前も、その前も、そう言ってしなかった」
「だって、君、初めて会った晩、泣いていたじゃないか。こんなの嫌だって」
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