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第九章

158:ねえ。アドリー様。このまま、街中に行かない?

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『その後も呼ばれはしたんだよ。けれど、褒美の件のみで。ムラト三世が僕のために褒美の記録をわざわざ手書きして残してくれたんだ。だから、プロフに取り上げられたのも、ちゃんと戻ってきた。それが巡り巡ってアドリー様の足の治療に使われようとしているなんて、不思議』
「父上かあ」
 アドリーが小鳥を見ると、『何?怒った?』と少し動揺した。
「オレよりもお前のほうが父上のことを知ってるだろうなと思って。あ、これ、皮肉じゃねえぞ?」
『ムラト三世は、アドリー様のこと、よく知っていたよ。ちょっと変わり者だけど正直者らしいって』
「それって、側仕えから聞いた話だろ?」
『そうかもしれないけれど』
「まあ、いいさ。オレに一切興味が無いと思っていたから、そういう些細な事でもオレにとっては驚きだ」
『あとね、本が好きなことは知っていたよ。贈ってやりたいが他の兄弟を刺激することになるから出来ないって残念がっていた。アドリー様って難しい本を読む時、文字を指で追いながらブツブツ言うでしょ?あのクセも知っていた。たぶん、聞いたんじゃなくてこっそり見たんだと思う』
 アドリーはもう小鳥の唇が読めなくなって枕に顔を埋める。
 そして、「なんてこった」と呟いた。
 夏の宮殿にいる九歳の小鳥を救いに行ったはずが、実際に救われたのは十一歳の自分だった。
 小鳥に肩を揺さぶられたが、顔をあげることができない。
 そのままの姿勢でアドリーが寝てしまったと小鳥は勘違いしたようだ。
 高音部がかすれた美しい歌声をアドリーの耳元に吹き込むと、寝台に投げ出された手を探し出して、指を絡めてきた。

 そこからさらに二年が経過した。
 秋になり、マルキの船団がイスタンブール港に戻ってくる季節を迎えていた。
 館を飛び出していった使用人は、積荷をじゃんじゃん送ってくるが、手紙は添えてこない。
 腹立たしいことに、小鳥や文字が書けるようになったスレイヤーとはやり取りしているようなのだが、アドリーにはあのローマの手紙以来一度として送ってこないのだ。
 代わりに送られてきたのは、足の医者。
 イスタンブールで医者としてやっていきたい者の中に、何人か足専門の医者が混ざっていて、そのうちの一人がアドリーの足を診てくれることになった。
 手術しても歩ける可能性は半々。
 終わっても、固まった股関節をほぐし、歩行訓練も必要だ。
 それは泣き叫ぶほど痛いと言われたが、実際はそれ以上だった。
 経験したことのない痛みに、喚き吠えまくり、獣にでもなった気分だった。
 それでも、小鳥は側にいてくれた。
 アドリーが枕を投げたり、引っ掻いたりしたというのに、健気なヤツだ。
 自分には無い献身さに、口には出せないが多大なる尊敬を覚えた。
 幸い手術は成功し、小鳥の支えの元、杖無しで数歩、歩けるようになったのが今から半年前。
 現在は、足は少し引きずるが、ゆっくりなら杖は要らない。
 歩けるようになったことは、絶対にバットゥータには教えるなとアドリーは小鳥に言ってある。
 なんだか、悔しいじゃないか。
 今朝、小鳥と一緒に朝の散歩をしていたら、イスタンブールの街全体がざわざわしていた。
 特に港の方が騒がしい。
 きっとマルキの大船団が帰ってきたのだろうが、バットゥータからこの国へ戻るという頼りは無いので、期待はしない。
 さすがに帰国のときぐらいは、連絡はあるはずだ。
 無かったら、全くの他人じゃないか。
「ねえ。アドリー様。このまま、街中に行かない?」
 港の方向をぼんやり見ていると、珍しく、小鳥が誘ってくる。
 三十代手前になった彼は男盛りの最中。
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