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第九章

153:もう、取り消さないで。

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 宿につくと、すぐにエミルが寄ってきた。
 子供っぽさは消え、背も伸びて、宿の看板使用人として頑張っている。
「アドリー様!部屋の準備をするから、ちょっと待って」
と言ったのち、
「ああ。分かったよ。そっちの準備も必要なんだね」
と何も言わないのに勝手に納得して行ってしまった。
 部屋の準備が整ったと言われて向かうと、机に全ての物が用意されてあった。
 小さなタライに張られた水。タオルが数枚。火の付いたろうそく。香炉。それにたっぷりの香油。
「あいつ、やるねえ。もしかしたらバットゥータより気が回るかも。うちの館に欲しいな」
 半分冗談、半分本気でアドリーは言うが、扉の前に佇む小鳥は何も言わない。
「小鳥?おい、小鳥って」
『……』
 無言で、左手で右肘を押さえる小鳥を見て、アドリーは寝台に腰掛けながら言った。
「ファトマにこっちに泊まるって使いを出して、もう休むか」
 すると、小鳥が焦ったようにこちらに向かってくる。
 そして、アドリーの肩を掴んだ。
『する』
「まだ怖いんだろ?別に無理しなくていい。さっき、雰囲気に流されただけだと言ったって」
 小鳥の手が肩から離れたので、アドリーは寝台に腰掛ける。
『する』
 再度言って、小鳥が寝台に飛び乗った。
 ドスンと部屋が揺れる。
「自分の身体の大きさを考えろって」
『ごめん』
 アドリーが笑うと、小鳥も照れたように笑う。
 かなり緊張しているようだ。
 アドリーは、再び人差し指を小鳥の唇に押し当てた。
「するぞ、小鳥。本気のヤツ。いいのか?」
 コクンと頷いた小鳥は、逆にアドリーに人差し指を押し付けてきた。
「二人して、唇の指を押し付け合って、何してんだって感じだ」
 小鳥の唇が動く。
『もう、取り消さないで。アドリー様は、---ラシード様は、言ったんだ。無理やり口付けたくせに、僕の唇こうやって指で拭って、口付けたことも、お前を好きな気持ちも全部取り消……』
 小鳥の唇から自分の指を離すと同時に、小鳥の手首を掴んで、唇に付けられていた指を離させる。
 謝罪の前に口付けていた。
「もう、取り消すって言わないからさ、機嫌直してくれ」
『不意打ち、ひどい』
 そう言って小鳥は寝台に顔を突っ伏す。
 耳まで赤くなっているのは、怒りのせいか、それとも?
「我慢できなかったんだ。許して、小鳥?なあ、小鳥って」
 アドリーも小鳥の体勢を真似て横たわると、首を傾け涙に濡れた目で小鳥が視線を合わせてきた。
『ラシード様』
「ん?」
『ラシード様っ』
「ここにいるって」
 手を伸ばし、抱き寄せる。
 後頭部に手を添えて、再び口付けた。
『んっ』
と小鳥がかすれ声を出す。
 めったに聞けない声に、アドリーの気持ちが高ぶる。
 伺いながら、刺激を強めていく。
 でも、何だか、変だ。
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