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第七章

121:こいつ、未だに名前がねえの。ずっと、赤ん坊って呼ばれてんの。

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 手紙書きの練習や刺繍などに励んでいた女性らが一斉に僕らを取り囲む中、館に戻ると、アドリーはさっさと私室に籠もってしまった。
「あ~あ。相当お冠」 
と バットゥータが呟く。 
「もっと、言いようがあったんじゃねえの?アドリー様の元で尽くさせてくださいとか、さあ」
 そっか、と思ったが、時すでに遅しだ。
「あんた、口無しになる前は、余計な一言を言って失敗してきた方だな?」
と言って、広間から消える。
 赤ん坊は、ハリメと共に広間の隅にいた。
 また、少し大きくなったようだ。
 乳を飲ませてもらった直後らしく、背中を叩いてゲップをさせてもらっている。
 バットゥータ戻ってきて赤ん坊に近づいていくと、急にご機嫌になった。
 きちんと、彼のことを認識しているらしい。
 バットゥータが手に白い布を持っていて、それで赤ん坊をぐるりと包む。
 そして、赤ん坊が包まれた布と布の端を掴んで、左肩に掛け、背中に回った端を掴んで右の腹で固く結ぶ。
『何それ?』
「三角吊り。これだと、赤ん坊の顔を見ながら、仕事ができるんだと。女たちに習った。なかなかいい」
 赤ん坊は、僕に手を伸ばし、笑いかけてくる。
『何っ!!』
 すると、バットゥータが噴き出した。
「アドリー様とおんなじことを言う。いつも、赤ん坊が泣いているわけねえじゃねえか。笑いもするし、身体もバタつかせる。手ぐらい掴んでやったら?」
『いい』
 僕が即拒否すると、「根深えなあ」とバットゥータが言った。
「生きて帰ってきたんだから、感動の再会ってなるかと思ったが。あんたって頑なだな。はいはい。ようやく牢から出されたんだし、今日は休めよ」
と言って僕を与えられた部屋へと赤ん坊を伴って連れていく。
 広間ではできない話を、廊下でしたかったようだ。
「ムルサダの娘殺しは犯人不詳でうやむやになるが、ムラト三世からの褒美分は宮廷がなんとか取り戻すと言ってくれたし、ローマに帰る手筈だってアドリー様がと整えようとしてくれている。けれどさ、あんたの態度見ていると、ムルサダ娘殺しなんてただの上澄みみたいなもんで、問題って全然、解決してねえんじゃないのかなって思うんだよ。もしくは、あんたに人間としての情の欠片すらないとかな」
『情?』
 バットゥータが赤ん坊に向かって寂しげに笑いかけた。
「こいつ、未だに名前がねえの。ずっと、赤ん坊って呼ばれてんの。当事者じゃない俺ですら、愛おしいなって思いが湧きつつあるってのに」
 バットゥータが手を伸ばす赤ん坊に自分の指を握らせる。
「あとな、あんたがどんなにこの国にいたいって言い張っても、今んとこ、あんたはアドリー様の持ち物。つまり、奴隷。なぜ、この国にこだわるのかきちんとした理由が言えなければ、強引にでも船に乗せられると思うぜ」
 バットゥータが去っていく。
 僕は、寝台に倒れ込んだ。
 軌跡のような生還は果たせた。
 けれど、未来はまだ見えてこない。
 ---赤ん坊の名前。
 名前が付いていないことすら、忘れていた。
 そんなの付けたら、存在感と気持ちの悪さが増すじゃないか。
 付けなきゃいけないのかな?
 僕は、脱力感に襲われた。
 それが正しいんだろうな。
 僕が間違っているっていくら主張しても、人でなしがひどいことを言っているとしか思われないんだろうな。
『もう、考えるのが……嫌だ」
 泥のような眠りがやってきて、僕は暫く眠り続けた。
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