90 / 183
第五章
89:僕が、ムルサダの館から奪ってきたんじゃない。生きていることだって知らなかった
しおりを挟む
アドリーが苛立つ。
「こっちは、お前の話によってはすぐに、対策を練らなきゃならねんだぞ。もたもたすんな、小鳥っ!!」
バットゥータとは比べ物にならないほどピシリッとした言い方に、僕の身体が震え上がる。
やがて、バットゥータが夜着と紙の束を持って戻ってきた。
夜着の上に置かれた紙の束に添えられていた鉛を掴んで、文字を書き始める。
だけど、手が痙攣したように言うことをきかなくてミミズがのたくったような線が引かれただけだった。
「アドリー様。こいつ、ひどく怯えてます」
「ったく」
不機嫌そうにアドリーは言って「赤ん坊を見てくる」と部屋から出ていく。
緊縛から解かれたように、僕は息をついた。
だが、まだ身体は震えている。
バットゥータは、僕の真向かいにあぐらをかいて座った。
「あんた、ムルサダの館で何かあった?怯え具合が尋常じゃない。まあ、何もない奴隷なんてこの世にはいないかもしれないけれど」
正直、バットゥータは苦手なタイプだ。
自信に満ちあふれていて、率直に物を言う。
言いたいことを飲み込んでしまう僕とは真逆な性格。
弱者の気持ちなんて分からないと決めつけていたから、こんな風に気遣われるとは思っていなかった。
「俺はコーカサスの生まれで、七歳の頃からアドリー様の元に。奴隷になったのは五歳の頃だが、アドリー様に出会うまではさんざんだった。宿にいたエミルを覚えているか?あいつも、あそこに貰われるまではひどかったみたいだ。背中の肉とかえぐられるほど鞭打たれたって。傷も残っている。大きな音とか怒鳴り声に弱いとこが一緒だから、聞いてみた」
僕は、右手首を左手で抑えながら、真実を伝えるためになんとか文字を書いた。
余計な感想は一切挟まない。
早くしないと自分がおかしくなりそうだからだ。
『宿の扉前に置かれていた』
「置かれていたって、赤ん坊が?」
『僕が、ムルサダの館から奪ってきたんじゃない。生きていることだって知らなかった』
紙にぼたぼたと涙が垂れる。
こんな姿をアドリーに見られたら、泣くなっ!とまた怒鳴られる。
彼が戻ってくる前に涙を止めたいのに、止まらない。
「あんたさ、昼にムルサダの館の周りをうろついてたよな?絶対に近寄りたくないのに、行かなきゃいけないみたいな顔をしいてた。プロフっていう先生には、あんた、殴りかかっていったんだろ?なのに、さっきは何であそこまで弱腰だったんだ?まさかムルサダを恐れてるわけはないよな?あいつは、反抗的な使用人には厳しいが、低姿勢なのには甘い。あんたは、使用人がよく死ぬあの館にそこそこの期間いたんだからわからないはず無いし」
怯えていた理由は……言えない。
情けなくて、死にたくなるから。
身体が勝手に動き、左手で右肘を押さえていた。
そんな僕を見てこれ以上は聞き出せないと悟ったのか、「まあ、答えは今度でいい」とバットゥータが言った。
彼は、想像以上に頭が回るようだ。
気を付けなければいけない。
バットゥータの前でボロを出せば、彼はアドリーに報告する。
僕は、これ以上、彼に軽蔑されたくない。
身分を白人宦官と偽わらされて、それを訂正できない間抜けぶりより、僕が赤ん坊を作ったことに対してかなり冷ややかに思っているみたいだから。
「とにかく着替えろ。ずぶ濡れのままにはさせとけない」
バットゥータが急かしてきた。そして、絨毯に落ちていたタオルを拾った。
「これ、アドリー様が?優しいところあるね」
どこが、と僕が思っていると、また赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
耳を塞いでしまいたい。
「こっちは、お前の話によってはすぐに、対策を練らなきゃならねんだぞ。もたもたすんな、小鳥っ!!」
バットゥータとは比べ物にならないほどピシリッとした言い方に、僕の身体が震え上がる。
やがて、バットゥータが夜着と紙の束を持って戻ってきた。
夜着の上に置かれた紙の束に添えられていた鉛を掴んで、文字を書き始める。
だけど、手が痙攣したように言うことをきかなくてミミズがのたくったような線が引かれただけだった。
「アドリー様。こいつ、ひどく怯えてます」
「ったく」
不機嫌そうにアドリーは言って「赤ん坊を見てくる」と部屋から出ていく。
緊縛から解かれたように、僕は息をついた。
だが、まだ身体は震えている。
バットゥータは、僕の真向かいにあぐらをかいて座った。
「あんた、ムルサダの館で何かあった?怯え具合が尋常じゃない。まあ、何もない奴隷なんてこの世にはいないかもしれないけれど」
正直、バットゥータは苦手なタイプだ。
自信に満ちあふれていて、率直に物を言う。
言いたいことを飲み込んでしまう僕とは真逆な性格。
弱者の気持ちなんて分からないと決めつけていたから、こんな風に気遣われるとは思っていなかった。
「俺はコーカサスの生まれで、七歳の頃からアドリー様の元に。奴隷になったのは五歳の頃だが、アドリー様に出会うまではさんざんだった。宿にいたエミルを覚えているか?あいつも、あそこに貰われるまではひどかったみたいだ。背中の肉とかえぐられるほど鞭打たれたって。傷も残っている。大きな音とか怒鳴り声に弱いとこが一緒だから、聞いてみた」
僕は、右手首を左手で抑えながら、真実を伝えるためになんとか文字を書いた。
余計な感想は一切挟まない。
早くしないと自分がおかしくなりそうだからだ。
『宿の扉前に置かれていた』
「置かれていたって、赤ん坊が?」
『僕が、ムルサダの館から奪ってきたんじゃない。生きていることだって知らなかった』
紙にぼたぼたと涙が垂れる。
こんな姿をアドリーに見られたら、泣くなっ!とまた怒鳴られる。
彼が戻ってくる前に涙を止めたいのに、止まらない。
「あんたさ、昼にムルサダの館の周りをうろついてたよな?絶対に近寄りたくないのに、行かなきゃいけないみたいな顔をしいてた。プロフっていう先生には、あんた、殴りかかっていったんだろ?なのに、さっきは何であそこまで弱腰だったんだ?まさかムルサダを恐れてるわけはないよな?あいつは、反抗的な使用人には厳しいが、低姿勢なのには甘い。あんたは、使用人がよく死ぬあの館にそこそこの期間いたんだからわからないはず無いし」
怯えていた理由は……言えない。
情けなくて、死にたくなるから。
身体が勝手に動き、左手で右肘を押さえていた。
そんな僕を見てこれ以上は聞き出せないと悟ったのか、「まあ、答えは今度でいい」とバットゥータが言った。
彼は、想像以上に頭が回るようだ。
気を付けなければいけない。
バットゥータの前でボロを出せば、彼はアドリーに報告する。
僕は、これ以上、彼に軽蔑されたくない。
身分を白人宦官と偽わらされて、それを訂正できない間抜けぶりより、僕が赤ん坊を作ったことに対してかなり冷ややかに思っているみたいだから。
「とにかく着替えろ。ずぶ濡れのままにはさせとけない」
バットゥータが急かしてきた。そして、絨毯に落ちていたタオルを拾った。
「これ、アドリー様が?優しいところあるね」
どこが、と僕が思っていると、また赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
耳を塞いでしまいたい。
0
お気に入りに追加
62
あなたにおすすめの小説
壁穴奴隷No.19 麻袋の男
猫丸
BL
壁穴奴隷シリーズ・第二弾、壁穴奴隷No.19の男の話。
麻袋で顔を隠して働いていた壁穴奴隷19番、レオが誘拐されてしまった。彼の正体は、実は新王国の第二王子。変態的な性癖を持つ王子を連れ去った犯人の目的は?
シンプルにドS(攻)✕ドM(受※ちょっとビッチ気味)の組合せ。
前編・後編+後日談の全3話
SM系で鞭多めです。ハッピーエンド。
※壁穴奴隷シリーズのNo.18で使えなかった特殊性癖を含む内容です。地雷のある方はキーワードを確認してからお読みください。
※No.18の話と世界観(設定)は一緒で、一部にNo.18の登場人物がでてきますが、No.19からお読みいただいても問題ありません。
身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
新しいパパは超美人??~母と息子の雌堕ち記録~
焼き芋さん
BL
ママが連れてきたパパは超美人でした。
美しい声、引き締まったボディ、スラリと伸びた美しいおみ足。
スタイルも良くママよりも綺麗…でもそんなパパには太くて立派なおちんちんが付いていました。
これは…そんなパパに快楽地獄に堕とされた母と息子の物語…
※DLsite様でCG集販売の予定あり
僕が玩具になった理由
Me-ya
BL
🈲R指定🈯
「俺のペットにしてやるよ」
眞司は僕を見下ろしながらそう言った。
🈲R指定🔞
※この作品はフィクションです。
実在の人物、団体等とは一切関係ありません。
※この小説は他の場所で書いていましたが、携帯が壊れてスマホに替えた時、小説を書いていた場所が分からなくなってしまいました😨
ので、ここで新しく書き直します…。
(他の場所でも、1カ所書いていますが…)
侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる