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第二章

29: お前、できる男だね

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 バットゥータは長衣のポケットから銅貨を取り出し、エミルの手のひらに押し付ける。
「あ、そうだ。そいつに、詫びの品を渡すなら、何がいいと思う?無難に、バクラヴァか?それとも、ロクムあたりか?」
 相手は女だとばかり思っていたし、その手の買い物は得意なのだが、今回の相手は白人男だ。何を詫びの品として持っていけばいいのかすぐには思いつかない。
「アドリー様、何かしたの?」
「俺にも分からん」
「謝罪の内容にもよると思う。いや~うっかり、悪かったねえ、程度の謝罪に、バクラヴァが一ホールだと仰々しすぎない?ロクムなら、珈琲飲むときにつまめるし、他の人に分けるときも手間がかからなくていいと思う」
 バクラヴァは何層もの薄い生地を溶かしたバターを塗りながら重ねたもので、ナッツやクルミが間に挟まれている。ロクムは、砂糖とデンプンを使った柔らかく弾力のある甘い菓子だ。
「お前、できる男だね」
 エミルを面と向かって褒めると、定宿の小さな使用人はふふんと得意げな顔をした。そして、バットゥータを見上げる。
「うちの主は、バットゥータがいいっていつも言ってる。アドリー様が手放すことがあるなら、ぜひうちにって。ボクもバットゥータが来てくれたら嬉しいな」
「そりゃ、どうも」
「自由民になったら、うちに来ないか」という誘いは、最近、うるさいぐらい多い。
 この国では、奴隷として異国から連れて来られた者でも、平均七、八年働けば、解放される。宗教上、主は、そうしなければならないのだ。だから、大幅に年数が過ぎているバットゥータは、明日にだって解放されてもおかしくない。
 控えめに言っても、自分でも、目端が効いて優秀な方だと思う。
 しかしそれは、「お前のことを誰よりも信頼してる」と要所要所でアドリーがバットゥータを持ち上げるからだ。
 つまり、主の手のひらの上で、自分はいつも踊らされているようなもの。
 帰る家どころか故郷自体がないのだから、小柄で愛嬌ある人たらしのいる所が、バットゥータの居場所だ。
「なら、ロクムでいっか」
 店先で、三十個ほどのロクムが入った袋を二つ作ってもらう。そして、倍の六十個入った袋を一つ。
 一つは、詫びの品で、もう一つは、エミルとその主用。余ったら、宿の客へのつまみに使ってもらってもいい。最後のは、館に持って帰る用だ。
 アドリーの館には、転売を待つ奴隷がいつも数十人いる。
 悲壮感漂う奴隷は売値を下げてしまうから、笑顔を忘れないようにしてもらわなければならない。土産一つで奴隷たちが元気になるなら、安いものだ。
 エミルと別れ、薬商の元へと向かう。
 青空市場から今度は、旧市街のグランドバザールへと入っていく。
 家根がかかった店だけでおよそ四千軒。絨毯やチャイ・ポットを売る店。黄金の皿が軒先に吊り下がっている店。ランプや石鹸の店など種類は多岐にわたる。 
 洞窟のような通路は六十本を数え、行きなれていないと簡単に迷う。
 何度となく来ているバットゥータだって、最初、アドリーに連れて行ってもらった時、はぐれてしまい大泣きしたことがある。
 そんなほろ苦い思い出のある迷路のような小道を奥へ奥へと進んでいくと、薬商の店にようやく辿り着く。
 店先は、大人の男が両手をいっぱいに広げたぐらいの広さで、さほど大きくないが、奥行きはその数倍。両棚は、いつの頃のものなのか不安になるぐらい古い小瓶が何段にも渡ってずらりと並んでいる。
 中を覗き込むと、勘定台の後ろに、男が座っていた。
 白い肌。透き通るような青い目をしている。
 金色の髪が雑に結われていた。
 エミルが案内したのはこの男で間違いないはずだ。
 生き馬の目を抜くようなイスタンブールでは、生きるのに苦労しそうだ。
 伏し目がちだし、撫肩の猫背だし、全体的に幸薄そう。
 そして、繊細さがにじみ出ている。
 ---こいつが、あの人と夜を越えた相手。
 そう思うと、
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