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第六章

110:彼方。引き換えに君は未来を失うぞ

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「僕のことをよく思ってなかった秘書が、僕の耳を壊した。そしたら、あんたは僕を捨てようとした。すがってくるのを期待して。でも、人形が期待通りの動きをしなくて、やきもきしたろ?あんた好みに育てられた人形は、男と寝たよ。とても良かった。あんたは彼の醜聞を流すと僕を脅した。まだ、その気はあるの?最近、世間はその手のことにうるさいみたいだよ?人権団体のやり玉に上げられてしまうよ?」
「……」
「ねえ、答えなよ」
「私の元に帰ってくるなら、その男のことは忘れてやる」
 それが、プライドの高い堀ノ堂の精一杯の答えのようだ。
「あんたが、覚えてようが、忘れてようが、そんなのどうだっていいんだよ。だって、僕があんたを捨てるんだから。用済みだよ。ご苦労さん」
 彼方は「ウエイタアアアアアー」と大声で叫んだ。
「炭酸水っ!」
 千山がぱっと入ってきて、彼方に炭酸の入った緑の瓶を放り投げた。
 栓を開けると、泡が溢れ出し、彼方の手とテーブルクロスを濡らす。
 それを一気飲みした。
 そして、胃から食道を伝って上がってくるガスを、我慢すること無く一気に吐き出す。
「グアッ」という音が響いた。
 堀ノ堂が目を見開き、武田は完全に虫けらでも見る目で彼方を見ている。
「ずーっと思ってた。ジンに出会うずっと、ずっと、ずっと前からだ。あんたの前でゲップしたらどんな顔をするんだろうって。ああ、すっきりした。想像以上の顔だった。最高だ!!」
 彼方は腹を抱えて笑い出す。
「どんなに金を掛けて僕を育てたって、結果はこんなもんだ。ザマアミロ。ほら、これでも連れ戻すか?従順になる薬でも打って黙らせるか?今度は、小便とクソまみれになってやるから覚悟しとけ」
 最後に、彼方は特大の笑顔を見せた。
「あとさ、盗撮カメラ。本物はココ」
 そう言って、シャツの第二ボタンをくるくると回して見せる。
「偽物は四つ。本物は一つ。あんたの秘書ってホント、使えないね。ジンとマンツーマンで会ったときもきっとボロカスに言われんだろ?」
 彼方は武田に笑いかける。
「でも僕はあんたに同情もするよ。選挙に落ちじゃえば、一蓮托生であんたも無職だもんね。データはすでに飛んでいる。あんたのセンセーのライバルにすぐバラ巻けるってジンの友達が。僕が惚れた男は交友関係も凄いんだ」
「それをよこしなさいっ」
と武田が怒鳴る
「取引するつもりがあるなら」
「よこしなさい。よこせと言ってるんだ!」
「なら、僕の出生が記載されている公的な書類を今、ここに出せ」
「その前に、カメラを切れ」
 さすがに堀ノ堂は落ち着き払っていた。
 いや、もう、彼方に一切の興味を失ったのかもしれない。
 最高にして最悪の別れが、今まさにやって来ようとしていた。
「ああ、いいとも」
 彼方は、ボタンを引きちぎって、机に置いた。
 そこに手で蓋をする。
「早く出せ」
「彼方。引き換えに君は未来を失うぞ」
「逆だね。未来を得るんだよ。堀ノ堂さん。渋るならまたゲップしてやろうか?今度はあんたの眼前で。ピアノだって弾いてやるよ。なんなら教えてやろうか。本当にスタイリッシュな弾き方ってやつを」
 堀ノ堂が武田に茶色い封筒を出させた。
 さらに、もう一つ、小さい封筒が足される。
「上のは戸籍の証書だ」
 彼方は指先で盗撮カメラを弾くと、堀ノ堂と武田が慌てている隙に、二種類の書類を奪った。
 そして、旅行バックからジンのダウンジャケットを取り出し羽織る。
 もう旅行バックいらない。
 持ち帰るものは、書類だけなので、空の旅行バックはこの店に放置させてもらう。
 捨てるなりしてくれるはずだ。
 彼方は書類を小脇に抱え、ダウンジャケットのポケットに手を入れる。
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