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第五章

72:決行日は一発でやるしかないな

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「警察に指紋も取られちゃったし、決行日は一発でやるしかないな」
と尚は前向きに捉えることにした。
 その後は逃げも隠れもしない。
 警察の世話になるか、自死するか、それとも教団の連中に殺されるか。
 たぶん、その三択だ。
 冷蔵庫は前の住人の置き土産で、大家が処分すると不動産会社の人間が言っていたので、もう粗大ゴミは無い。
 電気、ガス、水道会社に電話をし、契約を止めて貰う。
 普段着はTシャツをズボン、下着のワンセットだけ残してゴミ袋に入れた。手に入れた覚えのない喪服もだ。
 何のために喪服を手に入れ、どこに行ったのか。そして帰ってきたのか。
 未だに全然思い出せない。
 その後、時雨と出会って部屋で介抱を受けたことは思い出せてきているのに。
 それ以前のことは、ハサミでスパンと断ち切られたかのように、記憶が分断されている。
 だからなのか、蘇ってきたその後のキスの記憶とかは強烈だ。
 カーテンすらなくなった四畳半の部屋で、尚は畳の上に寝転がる。
 二十歳になって始めてこの部屋に引っ越してきた日は、誰にも脅かされないシェルターみたいな場所だと思った。
 住民票の閲覧制限をし戸籍を分籍し、救世教団と母親から逃れた。
 だからといって、体調が戻る訳でも、突然友人や恋人が出来る訳でも、いい仕事に恵まれる訳でもない。そして、何より、子供の頃にして然るべき経験も湧いては出てこなかった。
 そんなことは無理だと頭では分かっているのに、虚しい。
 運動会。
 競争が禁じられているためできなかった。
 学芸会。 
 演技をするのは神様を騙す行為とされ、参加を許され無かった。
 放課後。
 誰とも遊べない。
 母親が小学校まで迎えに来て、街の清掃活動に連れて行かれるからだ。
 ゴミ袋とゴミを拾うトングを持って、タバコの吸い殻を拾ったり、道に吐かれた痰を持たされた雑巾で拭わされる。
 大抵の一般人は、街の美化に務める集団を市から依頼された業者やボランティア団体だと思っている。でも、ひっそりと新興宗教組織が活動していたりするのだ。
 だから、尚は今でも、清掃活動している集団を見ると、その道を通らない。信号がなくても道路を突っ切り、急いで側から離れる。
 これも、時雨が言うトラウマという奴なのかもしれない。
 トラウマ。
 かたかなで記すと、なんだか軽い。
 漢字で書けば心的外傷と重々しいのに。
 そう。自分は傷を追っているのだ。
 一生治らない大きな傷を。
 清掃活動は終われば駅前で、教祖の教えが書かれた本を読み上げたり、教団の歌を歌わせられたりした。
 当然、その様子を同級生に見られる。
 さらに最悪なのは、その同級生の家に布教活動に行かなければならないことだ。
 大人だけだと話も聞いてくれないが、子供がいれば十人に一人は不憫に思って話だけでもと聞いてくれるからだ。パンフレットを渡すのが尚の役目だった。
 尚は信仰熱心な二世だったが、やはり、それはものすごく嫌だった。
 他人の親が自分に向けてくる哀れみ。そして、母親に向けられる嫌悪の視線。
 でも、それは、自分が弱くて信仰が足りないせいだと思い込もうとした。
 母一人、子一人の生活は、この女に捨てられたら死ぬしかないと尚を容易に洗脳状態にしていたのだ。
 今となってはそう思う。
 自分は、相当異常な状況に置かれていたのだということを。
 飛騨の教団本部には、週一回足を運んでいた。
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