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第三章

41:特別みたいな感情。それは信仰と同じだ。信じて騙される

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 尚が首を横に振った。その仕草に時雨は嬉しくなる。
「ここは居心地良すぎる」
 さらに嬉しい回答に、「いいことじゃないか」とつい声も大きくなる。
「だから、いつまでもいちゃあ、帰り辛くなるんだろっ!何で分かってくれなんだよ!俺にはやらなくちゃいけないことがあるんだってっ!絶対に失敗できないし、やり遂げなくちゃならない。あんたの目にはただの貧苦に喘いでいる病弱もんだと映っているだろうけれどっ」
「そんなことない。確かに最初はそう思ってコンビニの食材を差し入れたこともあったけれど、尚がいろいろ語ってくれたから。やらなきゃいけないことって何?」
「時雨さんには関係ない。もうほっといてくれ」
「じゃあ、最後に一つだけ。日付は?アパートの退去期限までにやること?」
「その日だ」
 時雨を見つめる尚の目には怒りが宿っていた。
「なら、その日は引き止めない。約束。でも、絶対に失敗できないんでしょ?僕の家で体力を温存していけばいい」
「だから、何で俺なんか……」
「芙蓉さんを亡くして、誰かとこんなに長くいたの尚が初めてだから」
 口説き文句ならいくつも知っているが、どれも尚には逆効果な気がして本音を告げた。
「そういうの、困る」
 尚がぐいっと首を捻って視線を逸らす。
 これは拒否ではない。最大限に照れている証拠だ。
「そういうのって?」
「特別みたいな感情。それは信仰と同じだ。信じて騙される」
 尚が踵を返し、玄関を出ていこうとして、時雨は腕を掴む。
「僕が尚を信じて騙されるってこと?それとも、尚が僕を信じかけているってこと?」
 振り向いた尚の唇が震えたその時、
「おーら!来てやったぞ」
 ガラッと玄関の引き戸を開けて、翠雨がなだれ込んできた。手には浴衣には少し不似合いなカジュアルなバックを持っている。それは翠雨が大学に持っていく用のものでノート型パソコンなどがいつも入っている。別の手には、コンビニ袋。パンパンに缶が詰まっている。きっとアルコールだろう。 
 玄関に置かれていたスニーカーに履き替えようとしている尚に、翠雨が絡みに行く。
「どこ行こうとしている?」
 スニーカーを履き終えた尚が無言で翠雨と氷雨の間を通ろうとする。
 それを翠雨が阻んだ。
「氷雨が、スイカを持ってきたてくれたんだぞ。わざわざ家に戻って」
 氷雨が駄目押しでスイカを叩く。
「悪尚用。重かった」
「……」
「よし、スイカ切るね。わあ、いい感じに冷えてる。ほら、尚。中に」
 翠雨と氷雨は我が物顔で部屋に入っていき、玄関先に取り残されている尚を時雨は誘う。
 彼はちょっと忌々しそうに履いたばかりのスニーカーを脱いだ。
「氷雨と翠雨の顔を立ててくれてありがとうね」
と礼を言うと、
「明日は帰るからな」
と念押しされた。

「飲んだの?」
 スイカを皆で平らげた後、枝豆を茹で終わって台所から戻ると居間のテレビではスポーツ番組がやっていて、座敷用テーブルの上には、アルコールやジュースの缶が十本近く置かれていた。どれもプルタブが開いている。
 尚は時雨と出会った夜みたいに、缶酎ハイを抱くようにして目を瞑っていた。
 今はすっかり尚専用となった座椅子に持たれている。
「さっきまで起きてたんだぜ?」
 時雨は、尚の顔を覗き込む。
「どっちが酒を勧めたの?」
「オレも時雨も勧めてねえよ。好きなの飲めって言っただけ」
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