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あの世の噺
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「貴方、同じ格好ですね。どこかで一緒だったのでしょうか。私を知っていますか。いやね、お恥ずかしい話ですが、前の事はどんどん消えていってしまって今はもうなにも覚えていないのですよ。昔の事はもうなにも。忘れないようにとずっとずっと繰り返していた大切な人の名前が、私にもあった筈なのに」
「此処まで来てまさか絶望するだなんて、無いと思ってた。どこかで上手くやってる筈だと偲んでいた相手が、幼い日の姿のまま、目の前で暢気に腰を下ろしているんだから、信じられない。ああ全く、なんて事だ。人事みたいな顔で覚えていないだなんて、悲しくなるような事言いやがって。お前の名前を耳元で大声で、叫んでやっても良いんだぞ」
「貴方がどんなに丁寧に私の事を話してくれたとしても、それはこの場限りで、きっと長くは覚えていないでしょう。此処では、それまでの事は不必要なものらしいので。貴方が私を知っているのなら、私もきっと貴方を知っていたのでしょう。そうだとしたら、惜しい事をした。私にも初め、向こうに呼ばれるまで、必死に放すまいとしたものがあったのです。多すぎたから名前一つにしたのに、それすらも落っことしてしまいました。今もまだ大事に抱えられていたら、貴方と共有出来たのかもしれないのに。だからどうか、貴方。無くしたくないものがあるのなら気をつけて。あってないようなものなんか、すぐに消えていきますよ」
「此処はおかしいよ」
「生きる為にある場所なんかではないですからね」
「悲しいな。空しいじゃないか」
「それもやがて感じなくなります」
「ああ、もうすぐ向こうから呼ばれますね。私は此処から消えるでしょう。貴方とはお別れです」
「ああ、そうか」
「消えると分かって、一つだけ思い出した事があるのです。貴方の名前を私は知っている気がする。答え合わせがしたい。最後に貴方の名前を教えてほしい」
「ごめん。自分の名前は、一番最初に捨てたから、覚えていないんだ。今はもう、これしか」
「じゃあ、貴方が覚えているたった一つの事はなんですか」
「笑わないかい」
「ええ」
「あのな、好きだって、ずっとずっと好きだったんだと伝えたかったんだ。誰に、って事は忘れちまったが。今になって、しまったと思うよ。感情ではなく名前を覚えておくんだったとね。どちらかで迷った時に、何故かは知らないが絶対忘れないと思ったんだ。絶対、だって、ソイツは、覚えていなくても、私の傍にずっといるんだからって、だから、忘れるわけ無いって思ったんだけど、おかしいな。どうしてそう思ったのだろう。私の傍には誰もいないのに。私は今一人だというのに。おかしいな。私の残そうとしていたものは、目の前にあった気がしたのだけれど。ああ駄目だ。一人は駄目だな。もう何も思い出せなくなってしまった」
いきがぽーんとさけた。
「此処まで来てまさか絶望するだなんて、無いと思ってた。どこかで上手くやってる筈だと偲んでいた相手が、幼い日の姿のまま、目の前で暢気に腰を下ろしているんだから、信じられない。ああ全く、なんて事だ。人事みたいな顔で覚えていないだなんて、悲しくなるような事言いやがって。お前の名前を耳元で大声で、叫んでやっても良いんだぞ」
「貴方がどんなに丁寧に私の事を話してくれたとしても、それはこの場限りで、きっと長くは覚えていないでしょう。此処では、それまでの事は不必要なものらしいので。貴方が私を知っているのなら、私もきっと貴方を知っていたのでしょう。そうだとしたら、惜しい事をした。私にも初め、向こうに呼ばれるまで、必死に放すまいとしたものがあったのです。多すぎたから名前一つにしたのに、それすらも落っことしてしまいました。今もまだ大事に抱えられていたら、貴方と共有出来たのかもしれないのに。だからどうか、貴方。無くしたくないものがあるのなら気をつけて。あってないようなものなんか、すぐに消えていきますよ」
「此処はおかしいよ」
「生きる為にある場所なんかではないですからね」
「悲しいな。空しいじゃないか」
「それもやがて感じなくなります」
「ああ、もうすぐ向こうから呼ばれますね。私は此処から消えるでしょう。貴方とはお別れです」
「ああ、そうか」
「消えると分かって、一つだけ思い出した事があるのです。貴方の名前を私は知っている気がする。答え合わせがしたい。最後に貴方の名前を教えてほしい」
「ごめん。自分の名前は、一番最初に捨てたから、覚えていないんだ。今はもう、これしか」
「じゃあ、貴方が覚えているたった一つの事はなんですか」
「笑わないかい」
「ええ」
「あのな、好きだって、ずっとずっと好きだったんだと伝えたかったんだ。誰に、って事は忘れちまったが。今になって、しまったと思うよ。感情ではなく名前を覚えておくんだったとね。どちらかで迷った時に、何故かは知らないが絶対忘れないと思ったんだ。絶対、だって、ソイツは、覚えていなくても、私の傍にずっといるんだからって、だから、忘れるわけ無いって思ったんだけど、おかしいな。どうしてそう思ったのだろう。私の傍には誰もいないのに。私は今一人だというのに。おかしいな。私の残そうとしていたものは、目の前にあった気がしたのだけれど。ああ駄目だ。一人は駄目だな。もう何も思い出せなくなってしまった」
いきがぽーんとさけた。
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