恋とカクテル

春田 晶

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ブルームーン

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 通い慣れたいつものバーで飲んでいると、私を見つけた途端耳と尻尾が見えるんじゃないかと思うほど、歓喜の表情を見せた男性が近づいてくる。
 それで、挨拶もそこそこ、こう切り出す。
「祥子さん、いつになったら俺と付き合ってくれるんですか?」
 最近、彼は会うたびに口癖のように交際を申し込んでくる。
「何度も言っているけど、恋人になりたいなら諦めて。友人としてなら大歓迎」
 私も決まって同じセリフを返す。
 友人では不満足だからこうして何度も告白しているのに。彼は小声で文句を言うけれど、それ以上食い下がることもなく一呼吸入れると、最近友達に誘われて行ったという水族館の話題に切り替えた。

 若いのだから、八歳も年上の私にいつまでも構っていないで、同じ年頃の女性と恋をすれば良いのに。きっと今「見てくださいよこのペンギン、かわいいでしょ?」と私に写真を見せてくれている水族館だって、女の子から誘われて行ったに違いないのだから。
 私は一杯目のビールを早々に飲み干して、「マスターおかわりください!」なんで元気にグラスを差し出す彼に目をやった。
 髪型や服装にきちんと気を遣っていて、明るくポジティブ、引き際を見極める力ももっているし、時折聞く仕事に対する姿勢は真面目で、それでいて野心がある。
 そんな爽やか好青年が、この半年何度断ってもめげずに自分に恋心をぶつけてくるのは、正直に嬉しいし、可愛らしいと思う。
 別に彼に興味がないとか、好みじゃないとかそういうのはない。歳が下過ぎるとは思うけれど、それを差し引いても魅力的な男性だと思っているら、これは単純に、私に恋愛をする気がないだけだ。
 遊びの相手なら問題ないのに、真剣だなんて言うから迂闊に手も出せない。
「祥子さん、ぼーっとして、何考えてるんです?」
 頬杖をついて、少し拗ねたように彼が言う。しまった少し放っておきすぎたか。
「鹿島くんがどうやったら諦めてくれるか、かしら」
「えー、ひどいなあ。まあ確かにしつこくしてる自覚はありますけど、諦めませんよ?」
「諦めないのかあ」
 言いながら、私は口角が上がってしまうのを抑える。彼がいつまでこちらを見ているかはわからないけれど、諦めないでいてくれるのが心地いいなんて、我ながら悪い大人だと思う。
「祥子さんは、どれくらい待てば恋愛する気になってくれるんですか?」
「そうねえ、あと十年くらいしたら?」
「十年かあ」
 若い彼にとっては、途方もない時間だろう。私は視線を落として短く息を吐きだす。

 十年も経てば、夫の十七回忌が終わっている頃だろうか。

 別に故人に操を立てて、十七回忌が終わったら恋愛解禁などと思っているわけではなく、十年も経てば、今とは気持ちが違うかもしれないと言う憶測があるだけだ。
 結婚生活はたった四年、夫はある日突然天国へ行ってしまった。当時は何も手につかず、現実を受け入れられず、後を追いたいと何度も思った。けれどいつしか悲しみは薄れ、夫は思い出に変わった。
 それでも、もう一度誰かと恋愛を、という気持ちにはまだなれそうにない。
「十年経ったら、俺きっと今よりいい男になりますよ」
 彼が自信ありげにこちらを見る。
「そうね、十年後の鹿島くんはきっと良い男になっているわ、それで私はアラフィフっていう歳になるのよ」
「今よりもっと歳の差を気にしなくて良くなりますよ、きっと」
「ふふ、どうかしらね」
 彼から視線を外して、かわりに注文していたカクテルを彼の前に置いた。
「私の奢り、よかったらどうぞ」
「祥子さん、俺このカクテル知ってますよ」
「あらそうなの、いつもビールだから、こういうのは飲まないのかと思ってた」
「飲まないですけどね、祥子さんがよく飲んでるから、少し勉強したんだ」
「ふうん」
 じゃあきっと、カクテルに込められた意味もお勉強したのね。彼の複雑な表情を見て、私はさらに困らせてあげたい気持ちになる。
「実際にブルームーンを頼んだのは私もはじめて」
「飲んだこともない酒を俺に渡すの?」
「そう、意地悪だから」
 くすくすと笑って彼を見る。
 告白を断る時のお酒であり、奇跡が起こる予感を示すお酒でもあるブルームーン。私としては、どちらで捉えてもらっても構わない。このまま彼が去ってもそれは仕方ないし、もう少し私との時間を楽しんでくれるなら、それでも良い。
 彼は唇を尖らせて少し考えていたようだけれど、青紫の美しいカクテルをひと口飲むと、ニッと笑って私に言った。
「俺、知っての通りポジティブなんで、良い方の意味だけもらっておきますね」
 前向きな彼に、思わず私は笑みが溢れる。
「十年待つことになっても?」
「待ちますよ」
「嘘は嫌いよ」
「嘘じゃないです」
「期待しないでおくわね」
「きっと祥子さんは、俺のこと好きになりますよ」
「自信家なんだから」
「それも取り柄です」
 こんな調子の彼だから、私は安心して拒むことができてしまうのだろう。

 でも、そう。いつかまた私が恋をする日が来るのなら、それは彼のような人が良いのかもしれない。
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