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【ROUND5】父と娘

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「あの日闘ったライバルを探し求めて、か。青春だなぁ」
 西北に浮かぶ牡牛座を眺めながら、革靴を響かせて歩く。
 自分のことを「師匠」と呼び慕う少年の眩しさを北斗七星の輝きに重ねながら、男は街灯が灯る夜道を歩く。
 少年が初めてゲームセンターを訪れたのは、彼が中学生のときだった。
 中学生は中学生でも低学年だということは、袖の長い学生服と背丈からすぐに察しがついた。
 丁度夏休みの時期だったから、塾か補修の帰りに親の目を盗んで来たということも。
 床に足をつけて座ることもできない中学生がゲーム画面に食いつくようにしてボタンを連打していたら、目立たないはずがない。
 人気のない格闘ゲームコーナで「ざこざこざこが!」「くっそ!」と口悪く騒いでいるのを、通りがかった店員や一見さんはチラチラと遠巻きに視線を送るばかりで関わろうとはしなかった。
 他の常連客も思考は同じようで、少年の興味が削がれるのを待っている。
 ただ、男は一人の子供を持つ親としてどうしてもそれを放っておけなかった。
 少年の耳にはピアスの跡もないし襟は綺麗なものだったが、放置子や幼くして不良行為に走っている可能性も否定できない。
 「君、格闘ゲーム好きなの?」
 「……おじさん、誰ですか」
 「誰がオジサンだ。
 僕はまだアラフォーでもないぞ」
 (小生意気に足をぶらつかせやがって)
 昔の癖で思わず喧嘩を買いそうになり、表情筋に力を入れてぐっと喰らえる。
 相手は、まともに敬語も使えない警戒心を隠せない子供だ。 だがその未熟さが許せない辺り、男もまた若かった。
 素直に年長者に教えをこうなり、作り笑顔で適当にあしらえば良いものを。
 子供扱いされてむきになる幼さを抱えた、生い出てからあまり年を経ていない木が二人。生まれた時代は異なるが、少なくとも男は少年に自分と近しいものを感じた。
 「僕はね、このゲームセンターで一番強いプレイヤーさ」
 「嘘くさっ」
 「うぐっ、じゃ、じゃあ対戦しようよ。
 やり方はわかる?」
 「知らない」
 「何だよ、そんなことも知らな……いや、いいよ。
 設定は僕がやるから」
 「何?何で俺に構うわけ?」
 「……何でって、また生意気な。
 そうだなぁ、でも」
 かわいくない、そんな言葉も飲み込む。
 確かに、少年がもう少し年齢を重ねてからゲームセンターに来ていれば、男は声をかけることも視線を送ることもなく、ただの普通の対戦相手として関わっていた。
 もしくは近くに親がいて子供が暇つぶしでゲームをしているようなら、いつも通り安心して放っておけた。
 「でも一番の理由は、このゲームが好きだからかな。
 やり方がわからなくて初心者が離れていくのは、もう見たくないからね」
 「ふーん」
 「キャラはどうする?初心者ならおすすめは」
 「リュウ!リュウがいい!」
 「あぁ、リュウが好きなのか。
 いいね、僕もこのキャラクター好き」
 「本当?」
 初めて、少年が虚勢や嘘偽りのない表情を見せた。
 男はそれを見て、可愛さよりも先に虚しさを感じた。
 あぁ、きっと彼には好きなキャラクターに共感してくれる相手すらいなかったのだと。
 このゲームを作った会社が設立してから70年、格闘ゲームが出て40年近く経つ。少年が生まれた時、身の回りには家庭用ゲームからスマホゲーム、さらにはSNSや動画サービスと娯楽が溢れていただろう。
 同年代はきっと別のゲームをしている中、このゲーム一つを選んでここに来て、お金を払ってまで遊ぼうとしている。それも一人で。
 これに応えられない奴は、漢じゃない。
 「じゃあ、この場は奢るから。
 僕とやってみようか」
 「いいよ」
 「全力でかかっておいで」
 こちらも全力で応じるから、と続ける。
 どのボタンを押してどの方向にレバーが引けばコマンドを出すことができるのか、どんな技があってどんな防御方法があるのか。
 学ぶなら、直接見せて技を受けるのが一番手っ取り早い。
 そして、上達に最も欠かせないもの。敗北の味を叩き込む。
 「あぁもう、何だよその技!卑怯だ!」
 「はははっ、悪いねぇ。
 同じリュウ使いとしてリュウ使いには手加減できないよ」
 「もう一回!もう一回やれよ!」
 「君、本当に口が悪いなぁ。
 じゃあ、次に僕が勝ったら今後は敬語を使ってもらうよ」
 「はっ、余裕だから!じゃあ、俺が勝ったらもう一戦やって!」
 「いいよ、その代わりもしその次も僕が勝ったら……。
 そうだな、僕のことは『師匠』とでも呼んでもらおうか」
 「わかった!いいよ!」
 あれから、6年が経った。
 中学生だった少年は中学を卒業して高校生になり、しゃがまないと目が合わなかった背丈は、今では同じ目線になるまで成長した。
 波動拳も出せなかったのに、ゲームセンターでは五本指に入る実力を身につけた。
 高校を卒業したら働くのか大学に進学するのかはわからないが、社会に出る日も近いだろう。
 「まったく、他人の子供の成長は早いもんだ」
 マンションのオートロックを解除して自動ドアを開くと、大理石を模した廊下を歩く。
 エレベータよりも先に共同ポストを確認するのは家庭の決まりだった。碁盤の目のように並ぶ集合住宅用ポストの一つ、『鷲崎』と表札がかかった郵便受けの中身を空けて確認する。
 広告チラシや市内の新聞を回収していると、入り口からカタコトの日本語で声がかかった。
 「オゥ、ワシザキさん!コンニチハ!」
 「おや、小熊さんこんばんは」
 「アッと、この時間ではコンバンハでした……」
 「いえいえ、コンニチハなら朝でも夜でもどちらにも使えますよ。
 あぁ、そういえば今日は燃えるゴミの日でしたね」
 入り口の天井に雄黄色の頭をぶつけないように腰を曲げて、赤みがさした顔に眩しいくらいの笑顔を浮かべる。
 日本では平均的な身長の鷲崎は、小熊と話すときだけは天井を見上げるようにして首を曲げる必要がある。国籍を聞いたことはないが、彼の娘も身長が高いのできっとお国柄と言うやつなのだろう。
 集合ポストの奥には共用のゴミ捨て場がある。
 小熊は丸太のような腕で、一番大きなサイズの有料ゴミの服を3つ鷲掴みにして持ち上げてみせた。
 「はい!ワシザキさんはシゴトガエリですか」
 「えぇ、そうです」
 「ワシザキさんにはいつもオセワニなっています」
 「いやいや、こちらこそいつも娘が学校で仲良くしてもらっているようで」
 「HAHAHA!こちらのセリフです。
 リリィは鷲崎さんが大好きみたいです」
 小熊家と鷲崎家には、それぞれ同い年の娘がいる。
 リリィは小熊の娘の名前で、鷲崎の娘の織姫とは高校まで同じ二人は学校でもプライベートでもよく一緒に遊んでいるようだ。
 とはいえ鷲崎の方は娘があまり学校の出来事を話してくれないので、具体的なことは何も知らない。だから「大好き」と言う表現は、少々大袈裟にも聞こえる。
 「大好き、ですか?
 えっと、よくわからないですが娘は愛されているようですね」
 「はい!これはまさにラブですね!」
 「は、はぁ……そうですか」
 「今後ともヨロシクオネガイシマス」
 「え?あぁ、よろしくお願いします」
 首を傾げながら、エレベータの上昇ボタンを押す。
 五階でおりてポケットから鍵を取り出して差し込むと、ノブを捻って引き開ける。扉が開いた空間から香辛料の効いた良い香りがして、空の胃袋を刺激した。
 今度は反対方向に首をひねる。
 妻からは今夜は飲み会だと聞いている。彼の娘はこういうときに料理の手伝いすらしてくれないので、これから仕事終わりの身体に鞭を打って料理をしようとしていたところだ。
 座り込んで靴を脱ぎながら思案していると、答えの方から顔をのぞかせた。制服の上からエプロンを来て、父親と同じ色の髪には三角巾を乗せたままキッチンから現れたのは、 
 「あ、お帰りなさい!お父さん」
 「ただいま、リリィちゃん。
 ……何で、君が我が家でカレーを作っているのかな?」
 「ヒメのお母さんが不在なのを聞いて、勝手に台所をお借りしました。
 迷惑でしたか?」
 リビングには出来立てのカレーが置いてあり、隣の野菜スープからゆらゆらと湯気がたち上っている。前々から賢そうな子だとは思っていたものの、盛り付けから素材の彩りまでどこを取っても料理の腕が高いのが伝わってくる。
 その肌艶や繊細な髪質は、栄養バランスの取れた食生活から来ているのかもしれない。
 幼いときに日本に越してきたリリィは父親よりも日本語が達者で、ほとんど母国語と同じように会話をする。当時から目を惹く顔立ちをしていると思っていたが、成長するにつれてさらに美しさに磨きがかかった。
 常識や配慮まで兼ね備えている彼女に娘が迷惑をかけていないか、鷲崎は親として肝を冷やす。
 「いや、そんなことはないよ!
 リリィちゃん家とはお互いの家でホームパーティーをする仲だし、僕もすごく助かるよ。
 ……で、友達が料理してくれている間、僕の娘は連絡一つせずに何をしているのかな?」
 「ヒメなら、自分の部屋で。あ、丁度出てきましたね」
 「ん、お帰り」
 「ただいま、織姫、友達が遊びに来ているなら言ってよ。
 そうしたら、帰りに食後のアイスでも買ってきたのに」
 自室からやっと出てきた娘に苦言を呈す。
 中学時代のジャージ姿で出てきた娘の織姫は、誰に似たのか鋭い目つきで父親を出迎えた。髪を臙脂の派手な色に染めたのも自分の高校時代を見ているようだ。
 ただ夜遅くまで遊んだり悪い友達や恋人の影響を受けているわけではないというから、最近の子はわからない。
 冬眠から目覚めたヤマカガシのように頭を気だるげにかき上げる娘の後ろでは、テレビの明かりが煌々と部屋を照らし、聞いたことのあるBGMが流れている。
 すぐに格闘ゲームだとピンと来た。
 あれだけ嫌いだった自分の親と同じように、ついつい言わなくてもいい小言まで言ってしまう。
 「ゲームしてていいの?テスト期間なのに」
 「別に問題ない。
 それより親父、一戦しよう」
 娘を厳しくしすぎた自覚も甘やかし過ぎた記憶もないのだが、物心がついたころには彼女は荒々しく大胆不敵な性格に育っていた。勉強が得意で進学校に進んだのがせめてもの救いというところか。
 「いいけど、先にリリィちゃんにお礼言いな」
 「おぉ、カレーか。
 リリィ、ありがとう」
 「さ、ご飯にしよう。
 リリィちゃんも食べてくでしょ?」
 「いえ、私はこれで。
 パパとママが家で待っていますし」
 「え!帰っちゃうの?」
 「はい、お邪魔しました」
 「あの、本当にありがとうね。
 あと、うちの娘がごめんね」
 「いいえ、いつもヒメにはお世話になっているので」
 お世話になっているのはこちらの方だ、親子揃って礼儀正しいものだ。
 一礼して扉を閉めるリリィを見送る途中、キッチンには料理に使用した包丁やまな板が綺麗に洗って干してあった。
 織姫は遠くから軽く手を振るだけで、父親を置いて食卓に座ると既にカレーに手をつけていた。                                                                              
 「もしかして、ずっとゲームの練習してたの?」
 「……帰ってしばらくは勉強もしていた」
 「テスト前に何でそんな。
 あっ、もしかしてこの間僕にコテンパンに負けたの、まだ根に持ってるの?」
 「……」
 父の無神経な発言に、織姫のスプーンを持っていた手が止まった。
 鷲崎家のリビングのテレビ台には、ガラス戸の向こう側に国産、海外産問わず著名な家庭用ゲーム機が並んでいる。
 全て己が買ってきたもので、隣には両手を使っても数えられない数のソフトが積まれている。そのうち、娘が父親に勝てたことのあるゲームはほんの数本だ。
 「それで、この短期間で何をしてきたの?
 参考に僕も聞いてみようかな」
 「彼れを知りて己を知れば、百戦して殆うからず。
 私も親父と同じように、リュウを使って対戦してきた」
 「へぇ、織姫が!
 リュウってさ、ベタだけど男が憧れる漢そのものだと思わない?
 他のキャラクターに比べると背も低いし迫力に欠けるけど、真っすぐかつ不器用な性格とか。純粋な強さを追い求め続ける姿勢とか。
 いやぁ、何だかんだお父さんはリュウが一番好きだなぁ」
 「知ってる」
 「そ、そう?
 あぁ、でも僕は対戦のときにはリュウしか使わないもんね」
 興奮で饒舌になる父親の発言を一刀両断して、織姫は空になった皿をシンクへ運ぶ。
 そのリュウの拳で何度上空に放られ、何度地面に沈められたことか。泥を啜って立ち上がってすぐに同じように敗北して、やっと掴んだ勝利も次のラウンドで取り返され、いつしか織姫は父親が好きなキャラクターが、この世で最も憎い相手となっていた。
 テレビの液晶とゲーム機の電源を入れてコードを延ばしていく。
 勝手にゲームのセッティングを進めていく娘を横目に、父はため息と共に色彩豊かなスープを啜った。
 「本当、負けず嫌いだなぁ。
 誰に似たんだろう?」

 「いた!こいつだ!」
 見覚えのある三連撃のコンボとドライブゲージを出し惜しみしない攻撃型のスタイル。
 やっとの思いでベガを見つけたのは、とある動画配信サイトだった。
 格闘ゲームのプレイ動画の中でも、リュウを使っているプレイヤー、さらにランクをダイヤ以上にまで絞ってようやく尻尾がつかめた。
 『はいどうも~、格闘チャンネルのレオです!
 今日もランクマッチやっていきましょう!』
 その動画は、偶然オンライン対戦でベガと当たってしまった実況者のものだった。
 俺と同じようにすぐに壁際まで追いつめられて、あっという間に2ラウンドを取られる。
 『なんだよコイツ、強すぎだろ!
 てか俺、何コンボ食らった?手も足も出なかったんだが!?』
 実況者の賞賛と罵倒に共感しながら、再生速度を変えて何度も何度も確認する。ゲームセンターを回っても成果は上がらなかったが、今日はついている。これでさらにベガの研究が出来る。
 たった一回でいい、再戦に備えて練習を重ねる。
 「昇龍拳、昇龍拳、昇龍拳、昇龍拳……」
 ただ技を出すのではなく相手に当てられるように、ただの通常攻撃よりもダメージの大きい必殺技に、意識的にではなく目を瞑っていても出せるように。
 師匠のお陰で、ベガは恐らく俺と同じ高校一年生だということがわかった。
 そうなれば、テストの日程もそう変わらないはずだ。あのXデーは放課後に委員会も部活もない日で、テストまで余裕もあるから息抜きにでも訪れたのかもしれない。
 いいさ、しばらくは好きなだけテスト勉強に励めばいい。どちらにせよ、あれだけの廃ゲーマーならすぐにまた格闘ゲームをしたくなるに決まっている。
 そうなれば、次にゲームセンターベガが来る日も予想がつく。
 テスト最終日、勉強から解放されたとき。
 溜まりにたまった鬱憤を発散させるべく、奴はここに来る。
 反対にもし奴がその日に部活や習い事、用事の一つや二つがあってゲームセンターに来なければ、もう二度と俺は奴に会えない気がした。仮に、奴にとって格闘ゲームがその程度だとしたら、俺がその程度の相手よりも弱い敗北者だったということだ。
 だから学校が終わってすぐに自転車を走らせてゲームセンターに入った時、俺は。
 「いない、か」
 魂が漏れ出る勢いのため息をついた。
 そして、足を組んで座り込んだ台で三人ほど倒したときのことだ。背後の自動ドアが開いて誰かが入ってきた。
 そいつは淀みない歩みで俺の後ろの通路を通り、そしてひな壇の台に座った。
 顔を上げてその黒ずくめの姿を見て、頭の先からつま先まで電流が駆け抜ける。
「やっと見つけたぞ……ベガ!」
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