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第三章
45 5人分
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それを実感したのもつかの間、ベスカがヒスイの腕を引いて背中に隠し、彼らの視線からヒスイを遮る。
「ヒスイは渡さない。……なぜなら、あんたたちはもうヒスイは必要ないからだ」
ベスカが、そう言った。
「何?」
バリトンの男が怒気をにじませた声で一歩前に出る。彼がこれ以上近づくのを遮るように、ベスカが爆弾発言をした。
「あんたたちが求めていた薬が完成した」
その声に、部屋の空気が変わったのが、話を理解していないヒスイにもわかった。
「薬だと?」
ルイスの声に、ベスカが頷く。
「俺が不老不死になった時に作った薬の再現に成功した。あんたたちも不老不死になれる」
その場にいた誰もが息を飲んだ。
まさか、そんな。
「出まかせで言い逃れようと……」
掠れた声がしたが、ベスカは即座に否定した。
「本当だ。証拠を見せよう」
「その証拠を確かめるには何年もかかるんじゃないのかね?」
ベスカを疑いつつ、興奮を抑えきれない声がそう問いかける。男たちは一様に強く興奮していた。
「すぐ分かる。不老だけじゃない、不死だとも言っただろう。――隣の部屋に行って、マウスのケージを持ってきてくれ」
ベスカの指示に、研究仲間なのだろう眼鏡をかけた白衣の男がそろそろとドアを開けて外へ出た。
本当にベスカが薬を開発したのだとしたら、そんなものを奴らに渡せばとんでもないことにならないか。世界を我が物顔で牛耳り、世界中の人々を対象に人体実験をしたような奴らだ。息を飲みつつ何も言えないでいるヒスイを置き去りに、眼鏡の男がどこかからかゲージを持ってくる。キュウキュウと鳴くネズミの声がした。
「このマウスには、再現した薬を与えている、彼らも不老不死だ」
その場にいる誰もが息を飲んだ。ヒスイもそっとベスカの後ろから顔を出す。大きな台の上に置かれたケージの中には、二匹のネズミがいた。
「見ろ」
ベスカはおもむろにケージの上の上を開けると無造作に手をつっこみ、一匹のネズミを掴んで取り出した。
ベスカの手の中で小さな獣が四つの足をバタバタさせている。
ベスカはテーブルの引き出しを開けると、そこから銀の刃物を取り上げた。
――まさか……。
「ベスカ!」
ヒスイが止める間もなく、ベスカはその刃物をネズミの体に押し当てて強く引いた。
断末魔のようなキィィ!という叫び声がして柔らかな毛とベスカの手がみるみる間に血で染まる。
それがぽたぽたとテーブルの上に落ちた。
「……!」
凍り付くヒスイの視線の先でネズミは力を失くしぐったりと力尽きる。
誰もが息さえひそめ、固唾をのんでベスカとネズミを見守った。
ベスカもネズミを手にしたままじっと動かない。重い沈黙に支配された数十秒後。
だらりと垂れていたネズミの尻尾が小さく揺れた。
続けてもがくように前足が動き、「キィ」と小さく鳴く。
「……え?」
ベスカがネズミをケージに戻すと、血で被毛を汚しながらも、ネズミはケージの中をよたよたと歩いた。
「俺の体と同じだ。俺も、怪我をしてもすぐに回復する。ただ、このマウスのほうが回復の速度が速い。俺は治癒にもっと時間がかかる」
淡々とベスカは言い、テーブルのサイドにあるシンクに向かうと血に濡れた手を洗った。
ジャァジャアと水を出しながら静かに口を開く。
「このマウスに打ったのと同じ薬をあんたたちにも打ってやる。
その代わり、もう俺とヒスイを放っておいてくれ。セルゲイにも手を出すな」
静かに、けれどきっぱりとそう言い切ったベスカは、男たちを睨むように見据えた。
「……その薬が本当に完成しているなら」
「今のがなにか手品のようなものだとも限らないしな」
「その通りだ。ヒスイを連れて逃げたお前を信用できない」
顔を見合わせた後もそう言い始めた男たちに、セルゲイが呆れたような目を向けた。
「そもそも、俺たちに毒を渡すかもしれんだろう」
ルイスがベスカをねめつける。反射的に反論しようとするヒスイの前に腕を出してベスカが遮った。
「……そうだな。まずはその薬を、そこにいるヒスイにも打ってもらおう。さすがにヒスイに毒は打てないだろう」
バリトンの男がそう言うと、大柄な男が慌てたようにバリトンの男の腕を掴んだ。
「そんなことを言って、もしヒスイの体液の質が変わってしまったらどうする。アレックスの話が嘘だった時に頼れるものがなくなる。ヒスイを危険にさらすわけにはいかない」
「それもそうだ」
男達は顔を見合わせる。
「ベスカは嘘なんてつかない!」
男たちの態度に腹を立てたヒスイは、ついに耐えきれなくなってそう叫んだ。
けれど男たちはヒスイをちらりと見ただけで頭を寄せ合って何やらひそひそと囁き合う。
そしてセルゲイを目で示した。
「その薬をまずそいつに打て。話はそれからだ」
「……」
セルゲイが困惑したようにベスカを見る。ベスカも戸惑った顔で見返した。
「……僕は別に、不老不死になんてなりたくないんだけど」
控えめに言うセルゲイを、娼館の元客たちが嘲笑した。
「聖人ぶるな、永遠の若さと命を望まない人間がどこにいる」
「お前だって腹の底では望んでいるはずだ。それを分けてやるのだからありがたく思え」
品性のかけらもないその言葉にセルゲイが眉をひそめて閉口する。ベスカは冷たい視線で彼らに向け口を開いた。
「今ある薬はちょうど五人分だ。セルゲイにそれを使うと、あんたたちの誰かひとりが薬を使えなくなるが、それでいいのか」
「……」
思いがけない情報に、男達は沈黙した。けれどすぐにルイスが声をあげる。
「五人分は作ったんだ、増産できるだろう」
ベスカは肩を竦めてマウスの入ったケージを撫でた。
「この薬の開発には時間がかかる。特定の動物のホルモンを使うが、特殊な環境下で一定期間培養させなくてはいけない。そして次も今回と同じ成功作になるとは限らない。――あんたたちも分かってるはずだ。ノヴァテラの研究施設で俺は何十年もかけて研究を重ね、それでも結果を出せなかった。俺の体に入ったあの試作と、今回成功した薬。それ自体が奇跡みたいなものだ」
「……」
男たちが顔を見合わせる。その目は、誰もが自分が薬を受け取るべきだと主張していた。
お互いに牽制しあうように空気を窺う男たちを、セルゲイもヒスイも黙って見つめる。
「ヒスイは渡さない。……なぜなら、あんたたちはもうヒスイは必要ないからだ」
ベスカが、そう言った。
「何?」
バリトンの男が怒気をにじませた声で一歩前に出る。彼がこれ以上近づくのを遮るように、ベスカが爆弾発言をした。
「あんたたちが求めていた薬が完成した」
その声に、部屋の空気が変わったのが、話を理解していないヒスイにもわかった。
「薬だと?」
ルイスの声に、ベスカが頷く。
「俺が不老不死になった時に作った薬の再現に成功した。あんたたちも不老不死になれる」
その場にいた誰もが息を飲んだ。
まさか、そんな。
「出まかせで言い逃れようと……」
掠れた声がしたが、ベスカは即座に否定した。
「本当だ。証拠を見せよう」
「その証拠を確かめるには何年もかかるんじゃないのかね?」
ベスカを疑いつつ、興奮を抑えきれない声がそう問いかける。男たちは一様に強く興奮していた。
「すぐ分かる。不老だけじゃない、不死だとも言っただろう。――隣の部屋に行って、マウスのケージを持ってきてくれ」
ベスカの指示に、研究仲間なのだろう眼鏡をかけた白衣の男がそろそろとドアを開けて外へ出た。
本当にベスカが薬を開発したのだとしたら、そんなものを奴らに渡せばとんでもないことにならないか。世界を我が物顔で牛耳り、世界中の人々を対象に人体実験をしたような奴らだ。息を飲みつつ何も言えないでいるヒスイを置き去りに、眼鏡の男がどこかからかゲージを持ってくる。キュウキュウと鳴くネズミの声がした。
「このマウスには、再現した薬を与えている、彼らも不老不死だ」
その場にいる誰もが息を飲んだ。ヒスイもそっとベスカの後ろから顔を出す。大きな台の上に置かれたケージの中には、二匹のネズミがいた。
「見ろ」
ベスカはおもむろにケージの上の上を開けると無造作に手をつっこみ、一匹のネズミを掴んで取り出した。
ベスカの手の中で小さな獣が四つの足をバタバタさせている。
ベスカはテーブルの引き出しを開けると、そこから銀の刃物を取り上げた。
――まさか……。
「ベスカ!」
ヒスイが止める間もなく、ベスカはその刃物をネズミの体に押し当てて強く引いた。
断末魔のようなキィィ!という叫び声がして柔らかな毛とベスカの手がみるみる間に血で染まる。
それがぽたぽたとテーブルの上に落ちた。
「……!」
凍り付くヒスイの視線の先でネズミは力を失くしぐったりと力尽きる。
誰もが息さえひそめ、固唾をのんでベスカとネズミを見守った。
ベスカもネズミを手にしたままじっと動かない。重い沈黙に支配された数十秒後。
だらりと垂れていたネズミの尻尾が小さく揺れた。
続けてもがくように前足が動き、「キィ」と小さく鳴く。
「……え?」
ベスカがネズミをケージに戻すと、血で被毛を汚しながらも、ネズミはケージの中をよたよたと歩いた。
「俺の体と同じだ。俺も、怪我をしてもすぐに回復する。ただ、このマウスのほうが回復の速度が速い。俺は治癒にもっと時間がかかる」
淡々とベスカは言い、テーブルのサイドにあるシンクに向かうと血に濡れた手を洗った。
ジャァジャアと水を出しながら静かに口を開く。
「このマウスに打ったのと同じ薬をあんたたちにも打ってやる。
その代わり、もう俺とヒスイを放っておいてくれ。セルゲイにも手を出すな」
静かに、けれどきっぱりとそう言い切ったベスカは、男たちを睨むように見据えた。
「……その薬が本当に完成しているなら」
「今のがなにか手品のようなものだとも限らないしな」
「その通りだ。ヒスイを連れて逃げたお前を信用できない」
顔を見合わせた後もそう言い始めた男たちに、セルゲイが呆れたような目を向けた。
「そもそも、俺たちに毒を渡すかもしれんだろう」
ルイスがベスカをねめつける。反射的に反論しようとするヒスイの前に腕を出してベスカが遮った。
「……そうだな。まずはその薬を、そこにいるヒスイにも打ってもらおう。さすがにヒスイに毒は打てないだろう」
バリトンの男がそう言うと、大柄な男が慌てたようにバリトンの男の腕を掴んだ。
「そんなことを言って、もしヒスイの体液の質が変わってしまったらどうする。アレックスの話が嘘だった時に頼れるものがなくなる。ヒスイを危険にさらすわけにはいかない」
「それもそうだ」
男達は顔を見合わせる。
「ベスカは嘘なんてつかない!」
男たちの態度に腹を立てたヒスイは、ついに耐えきれなくなってそう叫んだ。
けれど男たちはヒスイをちらりと見ただけで頭を寄せ合って何やらひそひそと囁き合う。
そしてセルゲイを目で示した。
「その薬をまずそいつに打て。話はそれからだ」
「……」
セルゲイが困惑したようにベスカを見る。ベスカも戸惑った顔で見返した。
「……僕は別に、不老不死になんてなりたくないんだけど」
控えめに言うセルゲイを、娼館の元客たちが嘲笑した。
「聖人ぶるな、永遠の若さと命を望まない人間がどこにいる」
「お前だって腹の底では望んでいるはずだ。それを分けてやるのだからありがたく思え」
品性のかけらもないその言葉にセルゲイが眉をひそめて閉口する。ベスカは冷たい視線で彼らに向け口を開いた。
「今ある薬はちょうど五人分だ。セルゲイにそれを使うと、あんたたちの誰かひとりが薬を使えなくなるが、それでいいのか」
「……」
思いがけない情報に、男達は沈黙した。けれどすぐにルイスが声をあげる。
「五人分は作ったんだ、増産できるだろう」
ベスカは肩を竦めてマウスの入ったケージを撫でた。
「この薬の開発には時間がかかる。特定の動物のホルモンを使うが、特殊な環境下で一定期間培養させなくてはいけない。そして次も今回と同じ成功作になるとは限らない。――あんたたちも分かってるはずだ。ノヴァテラの研究施設で俺は何十年もかけて研究を重ね、それでも結果を出せなかった。俺の体に入ったあの試作と、今回成功した薬。それ自体が奇跡みたいなものだ」
「……」
男たちが顔を見合わせる。その目は、誰もが自分が薬を受け取るべきだと主張していた。
お互いに牽制しあうように空気を窺う男たちを、セルゲイもヒスイも黙って見つめる。
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