104 / 120
第三章
37 出発
しおりを挟む
馬と防寒具を貸してくれた男に礼を言い、馬との別れを惜しんでから、部下たちとアイダイの屋敷へ戻った。ちょうど屋敷にいたラフマンが大喜びでヒスイに抱きつく。ラフマンの頭を撫でながら、ヒスイはアイダイにルイシーの民からもらった不思議な実について話した。一粒取り上げアイダイの手のひらに乗せる。
「この実がベスカの研究を助けるかもしれない。ベスカのところへ行かせて」
アイダイはアククルの実を興味深く眺めて、しばらくしてから頷いた。
「わかった。実はお前がルイシーへ行っている間にベスカの近況が届いたんだ。セルゲイと会えたベスカは寝る間も惜しんで研究をしているそうだから、傍へ行ってちゃんと休憩を取るように言ってやれ。明日、セルゲイの家まで送らせよう」
思いがけない話にヒスイの目が丸くなる。それはすぐに弾けるような笑顔に変わった。
「アイダイ……ありがとう!」
思わず駆け寄って抱きつくと、アイダイが目を白黒させる。そんなヒスイの腰にラフマンが抱きついてコロコロと笑った。
「パパ、びっくりしてる!」
苦笑しているアイダイを、満面の笑みを浮かべたヒスイが見つめる。
「本当にありがとう」
「この世界を我が物顔で牛耳る奴らの鼻をあかしてやってくれ。――明日の朝、出発だ。今夜はゆっくり休め」
アイダイに肩を叩かれ、ヒスイは抑えきれない笑みを湛えたまま頷くと、ラフマンを抱き上げた。
ベスカと離れてから一年。もっと長くかかると思っていたから、一年でまた会えるのは嬉しい。けれど、ベスカと出会ってからはほぼ毎日一緒で、こんなに長い間離れたことはなかった。アイダイの屋敷にいる人たちは皆ヒスイに親切にしてくれたけれど、本当はずっと寂しかった。会いたかった、触れたかった。
だからヒスイはその晩、酷く疲れていたにも関わらず興奮でほとんど眠れなかった。
だって、もうすぐベスカに会える。
翌朝、寝不足の真っ赤な目で食堂に現れたヒスイを見て、アイダイはそうなるのが分かっていたかのように苦笑した。
「そんな顔でベスカに会うつもりか? 目の下の隈を見たら、ベスカが心配するだろう」
そう言われても、眠れなかったものは仕方ない。
あくびを噛み殺して紅茶をすするヒスイの前に、トマトとオムレツが乗った皿をアノーラが置いた。
「国境までは車でしばらくかかりますから。道中車の中で寝れば、少しはましになりますよ」
お礼を言ってフォークを握りアノーラを見上げる。
「アノーラのおいしい食事ともこれでお別れなのは寂しいな。このオムレツも本当においしくて好きなんだ」
「まあ」
アノーラは嬉しそうにヒスイの頭を抱き寄せた。
「全て済んだら、またここへ戻ってきてくださいね。ここはヒスイさんの家でもあるんですから。ねえ、ボス?」
アイダイは鷹揚に頷いて、大皿に盛られたブドウを摘まんだ。
「前も言ったが、ヒスイは俺たちファミリーの一員だ。いつでも好きな時に、ベスカと一緒に来ればいい」
優しいアノーラと大らかにヒスイを受け入れてくれるアイダイに囲まれ、胸の奥がぽかぽかする。彼らと知り合えてよかったと心の底から思った。
アイダイとアノーラ、そして住み込みの若い男たちとおしゃべりをしながら食事を終えると、アイダイから「俺の部屋へ来てくれ」と呼ばれた。
荷物をまとめたヒスイがアイダイの部屋を訪れると、重厚なデスクの向こう、革張りの椅子に座ったアイダイがヒスイを手招く。
「これは、お前がラフマンに外国語を教えてくれた礼だ」
渡されたのは、パスポートとリェタからの招待状だった。パスポートを開いてまずは性別を確かめる。ちゃんと男だった。
これまでいつもベスカがパスポートを手配してくれていた。偽造とはいえ、自分の手で、自分の力でパスポートを手に入れたのは初めてで、言いようのない満足感に心が浮き立つ。少しの間それを胸に抱きしめたのち、なくさないように鞄の内側のポケットに入れた。
「俺たちはいつでもお前と共にある。お前の危機には絶対に駆け付ける。俺たちは家族だ」
同じようなことを、ルイシーでもタキが言ってくれた。
今までずっと家族を持たずにいたヒスイにとって、それはたまらなくうれしい言葉だった。
「……ありがとう、アイダイ。ここに置いてくれたのも、仕事をくれたのも、それからルイシーへ行かせてくれることも」
礼を言うヒスイに、アイダイは柔らかく微笑んだ。
「どういたしまして。……さあ、もう車の用意は済んでるはずだ。行くといい。ベスカが待っているぞ」
「この実がベスカの研究を助けるかもしれない。ベスカのところへ行かせて」
アイダイはアククルの実を興味深く眺めて、しばらくしてから頷いた。
「わかった。実はお前がルイシーへ行っている間にベスカの近況が届いたんだ。セルゲイと会えたベスカは寝る間も惜しんで研究をしているそうだから、傍へ行ってちゃんと休憩を取るように言ってやれ。明日、セルゲイの家まで送らせよう」
思いがけない話にヒスイの目が丸くなる。それはすぐに弾けるような笑顔に変わった。
「アイダイ……ありがとう!」
思わず駆け寄って抱きつくと、アイダイが目を白黒させる。そんなヒスイの腰にラフマンが抱きついてコロコロと笑った。
「パパ、びっくりしてる!」
苦笑しているアイダイを、満面の笑みを浮かべたヒスイが見つめる。
「本当にありがとう」
「この世界を我が物顔で牛耳る奴らの鼻をあかしてやってくれ。――明日の朝、出発だ。今夜はゆっくり休め」
アイダイに肩を叩かれ、ヒスイは抑えきれない笑みを湛えたまま頷くと、ラフマンを抱き上げた。
ベスカと離れてから一年。もっと長くかかると思っていたから、一年でまた会えるのは嬉しい。けれど、ベスカと出会ってからはほぼ毎日一緒で、こんなに長い間離れたことはなかった。アイダイの屋敷にいる人たちは皆ヒスイに親切にしてくれたけれど、本当はずっと寂しかった。会いたかった、触れたかった。
だからヒスイはその晩、酷く疲れていたにも関わらず興奮でほとんど眠れなかった。
だって、もうすぐベスカに会える。
翌朝、寝不足の真っ赤な目で食堂に現れたヒスイを見て、アイダイはそうなるのが分かっていたかのように苦笑した。
「そんな顔でベスカに会うつもりか? 目の下の隈を見たら、ベスカが心配するだろう」
そう言われても、眠れなかったものは仕方ない。
あくびを噛み殺して紅茶をすするヒスイの前に、トマトとオムレツが乗った皿をアノーラが置いた。
「国境までは車でしばらくかかりますから。道中車の中で寝れば、少しはましになりますよ」
お礼を言ってフォークを握りアノーラを見上げる。
「アノーラのおいしい食事ともこれでお別れなのは寂しいな。このオムレツも本当においしくて好きなんだ」
「まあ」
アノーラは嬉しそうにヒスイの頭を抱き寄せた。
「全て済んだら、またここへ戻ってきてくださいね。ここはヒスイさんの家でもあるんですから。ねえ、ボス?」
アイダイは鷹揚に頷いて、大皿に盛られたブドウを摘まんだ。
「前も言ったが、ヒスイは俺たちファミリーの一員だ。いつでも好きな時に、ベスカと一緒に来ればいい」
優しいアノーラと大らかにヒスイを受け入れてくれるアイダイに囲まれ、胸の奥がぽかぽかする。彼らと知り合えてよかったと心の底から思った。
アイダイとアノーラ、そして住み込みの若い男たちとおしゃべりをしながら食事を終えると、アイダイから「俺の部屋へ来てくれ」と呼ばれた。
荷物をまとめたヒスイがアイダイの部屋を訪れると、重厚なデスクの向こう、革張りの椅子に座ったアイダイがヒスイを手招く。
「これは、お前がラフマンに外国語を教えてくれた礼だ」
渡されたのは、パスポートとリェタからの招待状だった。パスポートを開いてまずは性別を確かめる。ちゃんと男だった。
これまでいつもベスカがパスポートを手配してくれていた。偽造とはいえ、自分の手で、自分の力でパスポートを手に入れたのは初めてで、言いようのない満足感に心が浮き立つ。少しの間それを胸に抱きしめたのち、なくさないように鞄の内側のポケットに入れた。
「俺たちはいつでもお前と共にある。お前の危機には絶対に駆け付ける。俺たちは家族だ」
同じようなことを、ルイシーでもタキが言ってくれた。
今までずっと家族を持たずにいたヒスイにとって、それはたまらなくうれしい言葉だった。
「……ありがとう、アイダイ。ここに置いてくれたのも、仕事をくれたのも、それからルイシーへ行かせてくれることも」
礼を言うヒスイに、アイダイは柔らかく微笑んだ。
「どういたしまして。……さあ、もう車の用意は済んでるはずだ。行くといい。ベスカが待っているぞ」
1
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
ひとりぼっちの180日
あこ
BL
付き合いだしたのは高校の時。
何かと不便な場所にあった、全寮制男子高校時代だ。
篠原茜は、その学園の想像を遥かに超えた風習に驚いたものの、順調な滑り出しで学園生活を始めた。
二年目からは学園生活を楽しみ始め、その矢先、田村ツトムから猛アピールを受け始める。
いつの間にか絆されて、二年次夏休みを前に二人は付き合い始めた。
▷ よくある?王道全寮制男子校を卒業したキャラクターばっかり。
▷ 綺麗系な受けは学園時代保健室の天使なんて言われてた。
▷ 攻めはスポーツマン。
▶︎ タグがネタバレ状態かもしれません。
▶︎ 作品や章タイトルの頭に『★』があるものは、個人サイトでリクエストしていただいたものです。こちらではリクエスト内容やお礼などの後書きを省略させていただいています。
侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。
食事届いたけど配達員のほうを食べました
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
なぜ自転車に乗る人はピチピチのエロい服を着ているのか?
そう思っていたところに、食事を届けにきたデリバリー配達員の男子大学生がピチピチのサイクルウェアを着ていた。イケメンな上に筋肉質でエロかったので、追加料金を払って、メシではなく彼を食べることにした。
気付いたら囲われていたという話
空兎
BL
文武両道、才色兼備な俺の兄は意地悪だ。小さい頃から色んな物を取られたし最近だと好きな女の子まで取られるようになった。おかげで俺はぼっちですよ、ちくしょう。だけども俺は諦めないからな!俺のこと好きになってくれる可愛い女の子見つけて絶対に幸せになってやる!
※無自覚囲い込み系兄×恋に恋する弟の話です。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる