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第二章

6 サイモン

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 俺はいっぺんで、あどけなくてかわいくて陽気なヒスイが気に入った。ヒスイを実験対象にするのは気が引けたけれど、ノヴァテラ研究所の出資者連中待望の若返りの種だ。彼らはヒスイを一目見ようと、代わる代わる研究室に顔を出した。

 放っておけば、奴らはヒスイの股間にむしゃぶりついて飲みたがるだろうし、ヒスイを連れ去ろうとするかもしれない。所長の計らいで、ヒスイと接触できるのは俺と医師だけに限られ、見学は研究所のガラス越しに限られることとなった。

 ヒスイの血液からDNAを調べ、そのDNAになるよう自動で組み替える伝達物質を作る研究を、俺がいるグループのほかに数十名からなるグループが別室で行っていると聞いた。同時にヒスイの了承を取って採取した精液の分析もしているらしい。加えて、俺自身を不老不死にしたあの試薬を再現する研究も同時進行していた。俺は研究者であり同時に被検体でもあるので研究者たちとは時々顔を合わせる。そして、研究者同士としての話もする。

 研究者同士打ち解けると、ぶっちゃけた話になることも多い。俺が知る限り三割の研究者はノヴァテラの連中が実現したい不老不死の研究に否定的だった。俺と同じスタンスだ。その日、休憩をしようとラウンジに足を向けると、ヒスイの精液の再現をする研究グループのサイモンとばったり顔を合わせた。俺が不老不死になる前に出会って仲が良かったサイモンも、今は四十代だ。

 ソファに向かい合って座り、コーヒーを啜りながら甘党のサイモンが勧めてくれるチョコレートドーナツを齧った。

「ヒスイ、すごくいい子だよな。素直でかわいくて。こんな下種な研究につき合わせてることが申し訳なくなる」

 サイモンも、倫理的な観点から研究には懐疑的だ。いつぞやの俺のように、不老不死の研究は適当にやっておいて、陰で自分が興味のある別の研究をしている。

「出資者たちは、ヒスイの精液を喉から手が出るほど欲しがってる。ヒスイはいつまでこのままでいられると思う? そのうち業を煮やした誰かが、彼を誘拐しそうで怖い」

 そう打ち明けると、サイモンもドーナツに伸ばした手を止めて顔をしかめた。

「同感だ。とりあえずお茶を濁すために、彼の精液をカプセルに詰めたものをサンプルとして配布することになったって聞いたよ」
「は?」

 おぞましい話にコーヒーのカップを持つ手が揺れて、テーブルの上にこぼれた。

「落ち着け、アレックス。大きな声は出すなよ。……研究用に採取したヒスイの精液を盗み出そうとした奴がいるんだ。一人がそんなことをしたら、出し抜かれた他の奴らがヒスイに手を出す。大事になる前に、『治験』として出資者たちに少しずつ配布するらしい」 
「クソだ」
「本当に。あの子は皆に好かれてるよ。あどけなくてピュアだ。ああいう子を研究対象にするのは忍びない。ふがいないし、腹立たしいのが本音だよ。同じように思っている奴らもけっこういる」
「……」

 腹の奥が煮煮え返るようだ。俺自身は、自分のミスだし、そもそもそういう研究をしていた自業自得という側面もある。けれどヒスイは、ただの巻き込まれた被害者だ。

 コーヒーカップを覗き込む俺の耳元に口を寄せ、サイモンが低く囁いた。

「アレックス、もし君がここから逃げたいなら、手を貸す。ヒスイを連れていけ」

 はっとして顔を上げると、サイモンは姿勢を戻し、のんきに野球の話をしだした。
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