永遠の縁(世界で一番遠い場所へ)

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第一章

15 恋をしたから

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 夕方、ベスカにリウェイの館まで運んでもらい、ヒスイはリウェイに体を与えた。もう何度もしてきた行為なのに、蓋をして気づかないようにしている嫌悪感がちょっとした拍子に顔を出しそうになる。今までより、ずっと、頻繁に。
 気づかないふり、気づかないふり。
 そう言い聞かせ、目を閉じてやり過ごした。
 全部終わったあと、そのままの体ではベスカと会いたくなくてリウェイの自宅のシャワールームを借り、包帯を濡らさないようにしながらなんとか体を清める。着替えてヨタヨタしながら出てきたヒスイに、透明な酒が入った小さなグラスを手にしたリウェイが鋭い目を向けた。
「ヒスイ。火傷の原因の黒服がいるそうだな」
「――っ」
 思わず息を呑む。
 蛇のようなリウェイは容赦ない。下手なことを言えば、ベスカが殺される。
 そう直感し、ヒスイは何気ない素振りで首を横に振った。
「違う。火傷の原因は小鳥だよ。急に部屋に飛び込んできたんだ。それで俺がびっくりしてティーポットを落とした」
「その黒服に世話をさせていると聞いた。さっきお前をここに連れてきたベスカだな」
「――リウェイ、ベスカがすぐに手当てしてくれたから、痛みも早く引いた」
 今の答え方で、正しかっただろうか。リウェイの毒牙がベスカに向くことはないだろうか。
 心臓がバクバクと音を立てる。顔が強張っていくのを誤魔化せない。つま先の感覚が薄くなっていく――。
「……奴は仕事ができるから、今回だけは不問にしてやろう。――だが、いいな、ヒスイ。男娼と黒服がおかしなことになったら、どうなるか。わかってるな?」
 リウェイが鋭い一瞥をヒスイに向けた。刺すような冷たい視線に、全身に鳥肌が立つ。周囲の温度が、一気に数度下がったと感じられた。比喩ではなく。
リウェイからそんな目を向けられたのは初めてだった。
 ――男娼たちがリウェイの前に出ると委縮するという意味を、初めて身をもって知った。
「わかってるよ。俺がそんなことになったこと、ないだろ。今まで」
 けれどヒスイは気丈に、できるだけいつもの声と調子で答えた。
 リウェイは返事をせず、ヒスイに背を向ける。ヒスイは椅子に座ることもできず、迎えに来たベスカがドアをノックするまで、リウェイの背中を見つめてそこに立ちつくしていた。


 包帯をしていても仕事を休むことは許されず、ヒスイは毎日客を取り続けた。
 分厚く包帯を巻かれた足では歩くのもままならないから、見送りと事後のシャワーのお供は無し。行為が終わると、彼らは自分でシャワーを浴びて着替え、ヒスイの仕事部屋を出ていく。
 彼らが立ち去って数分するとベスカがやって来て、ヒスイをバスルームに運んでくれる。けれど、仕事の後の自分をベスカに見られるのも、触られるのも、どちらも嫌だった。
 ついでに言うなら、行為の後の湿っぽい空気が残る部屋に入られるのも嫌だ。
 今までも抵抗があったけれど、前よりもっと。
 仕事の後は無口になってベスカと目を合わせないヒスイに、彼は何も言わなかった。


 今日も図書室にはヒスイ一人だ。
 読みかけの本を胸に伏せてソファに寝転がったまま、ぼんやり天井を見上げた。細かい刺繍が施された鮮やかな色のクッションを抱きしめる。
 昨日、ついに包帯が取れてしまった。火傷の痕なんてまったく残らず、ヒスイの足はきれいに完治した。治ってしまったせいで、ベスカが毎日ヒスイの自室に来て、薬を塗って包帯を変え、仕事部屋がある本館まで案内され、ヒスイの部屋で三食を一緒に取るのも終わってしまった。
 ベスカもこの館のどこかで何かの仕事をしているはずだが、顔が見られないのが酷く寂しい。
 昨日まで、仕事と寝る時間以外はずっと一緒だったのに。
「あーあ」
 思わず漏れた声は頼りなかった。
 ずっと、治らなければよかったな。
 そんなことまで考えてしまい、慌てて首を振る。
 男娼が治らないような怪我をしたら、一緒にいたスタッフは是非を問わずきつく叱られるに違いない。叱られるだけならまだいい。
 ヒスイの火傷がたいした事なかったから、ベスカが責められることなく済んだし、ヒスイの世話をずっと焼いてくれたのだ。リウェイもヒスイに釘をさすだけで済ませてくれた。
 昨日の夜、包帯が取れた時は「治っちゃった」くらいの気持ちだった。こんなに寂しくなるとは思わなかった。
 ベスカの顔が見たい。声が聴きたい。傍にいて、一緒に紅茶を飲んで他愛のない雑談をしたい。ヒスイの読んだ本の話を聞いてほしいし、ベスカが旅をした話も聞きたい。
 胸に伏せた本は、西側の女性作家が書いた恋愛小説だ。
 今まで恋愛小説なんてまるで興味がなかったのに、ふと、気になって手に取ってみた。
 目を閉じて、深呼吸する。
 目の裏に浮かぶのは、ベスカの明るい金髪と澄んだアイスブルーの瞳だった。


 ベスカがずっと頭から離れない。
 予約の時間が迫り、体を清めて後ろを準備しながらも、頭の中にベスカがいた。
 これから、この体を抱くのがベスカならいいと思う。後ろを広げるこの指が、自分のものではなくベスカの指だったら。
 そう考えたとたんに、狭いそこがきゅうっと収縮した。
「……っ、ん……」
 締めつけたせいで、指の形をありありと感じる。
「……は」
 薄く目を開いて、バスルームの藍色のタイルをぼんやり見た。頭に浮かぶのは、ベスカのきれいな手だ。指が長く、爪が四角い形をしていた。
ベスカの指が、俺の中にある。俺の中を、広げて、かき回して……。
そう想像しながら、指を動かす。指に纏った香油が濡れた音を立てた。
ベスカなら、どんな風に指を動かすだろう。きっとヒスイの様子を伺いながら、優しく丁寧にほぐしてくれる気がする。焦らずゆっくり。それから、ヒスイの中の一番感じるところに触れて……。
「ん、んん……っ、ぁ」
 そこを撫でてヒスイがたまらず声を漏らすと、耳元で囁くのだ。
『かわいい、ヒスイ。ここが好き? 気持ちいいね。もっと声を聞かせて……』
「やっ、んっ、ん……っ」
 妄想なのに、妙に臨場感のある声が頭の奥で響いた気がした。
「あ……っ、ふ、ぅ……っ」 
手が止まらない。イってしまってはダメだ。
後ろをほぐす時に達するのは禁じられている。射精は一日一回、客の前で。
 この仕事を始める時、さんざんそう言われた言葉が頭の奥を過ったが、妄想のベスカの囁きが禁忌を押し流した。いつの間にか三本の指を重ねて押し入れていた。激しく出し入れしては、奥まで差し込んで一番感じるところを撫でる。
『ヒスイ、感じてるところを見せて。好きなタイミングで出していいよ」
「ん、んっ、……っ、んん」
 切なく引き絞られた声が喉の奥から漏れる。男娼としてここで働いて十年以上。こんなに甘く切羽詰まった声を出したのは初めてだった。
「……は、……っ、んっ、もう、いっちゃ……」
『ヒスイ――かわいい』
 妄想のベスカの声に、張り詰めていた前が触れないままに弾ける。バスルームのタイルに飛び散った白濁を見つめ、荒い息をついた。



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