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第一章

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 出国したときと同じように列に並び、同じようなカウンターでパスポートを差し出すと、迷彩服を来て鋭い眼光の男が、パスポートとヒスイを睨むように見比べた。

「ここへは何をしに? 仕事?」

 低い声で言われて、戸惑う。何と答えればいいかわからず、助けを求めるように次の順番を待っているベスカを見た。ヒスイの戸惑いがわかったのか、ベスカが口の動きだけで「旅行」と伝える。一度で分からなかったヒスイのために、ベスカは何度も大きく口を「旅行」と動かした。ようやくそれを理解したとき、窓口の男が「こっちを見なさい!」と厳しく言葉を放つ。

 びくりと震えてヒスイが彼を見ると、彼は一段を厳しくヒスイを見据えた。

「何をしに来た?」
「……りょ、こう」

 娼館で人気の男娼だったヒスイはいつも大切に扱われてきた。こんな風にきつい眼差しで見られることはなかったし、激しい口調で問い詰められたこともなかった。

「今、何歳だ?」

 そう言われ、頭の中が真っ白になる。
 年齢?

「ヒスイ」は二十八歳だ。でも偽造パスポートの名前はナタリアで、誕生日も確か、全然違っていた。あのパスポートに印字されていた日付は……

「年齢は?」

 必死で思い出そうとしているヒスイに、男はさらに眼光を厳しくして問いかけた。
 何か言わないと。
 真っ白になった頭の中で、いつかベスカから言われた言葉が蘇る。

『あなたはせいぜい、二十一、二歳くらいにしか見えませんよ』

「に、にじゅうに」

 何も考えず、そう答えていた。出まかせだ。

 言ってしまってから「しまった」と内心青ざめる。パスポートが偽造だとばれたらどうなるのだろう。捕まえられて、山の国に戻されるのだろうか。それとも何か、罰を……

 一瞬で恐ろしい想像が駆け巡る。娼館にいたときに聞いた、年齢のいった男娼が辿るおぞましい末路の話が頭に蘇った。わきの下からどっと汗が噴き出す。このまま強引に突破してカウンターの先にあるバーを乗り越えようかと思ったとき……

 男が、呆れたように息を吐いた。

「お前、XX年の生まれだろう。お前の国じゃ生まれたときに一歳になるのかもしれないけどな。世界のスタンダードは生まれたときがゼロ歳なんだよ。XX年生まれなら二十一歳だ。間違えるな」

 そう言ってポンとスタンプを押し、カウンタ―にパスポートを滑らせた。緊張で冷たくなった手でパスポートを受け取ると、カウンターの男は「左へすすめ」とぶっきらぼうに言い放つ。

「次!」

 カウンターの男がそう言い、ベスカがほっとしたような顔で待機線から足を踏み出した。それを見たヒスイは、あわあわとパスポートを手に左側の銀のバーを押す。それは軽く向こうへ開いた。白い床を踏みしめ、バーの向こうへ出る。こうしてヒスイは、無事湖の国に入国を果たした。


 ベスカも無事にカウンターを通過し、二人してイミグレーションの建物を出てから、目を見合わせてお互いに笑顔を交わした。用の済んだ偽造パスポートをベスカに渡し、後ろを振り返る。ここはもう湖の国で、ヒスイが過ごした山の国はずっと後ろだ。距離的には「すぐそこ」なのに、果てしなく遠い場所にあるような気がした。

 ほとんど荷物の入っていない鞄を足元に置き、両手を広げる。指先に風を感じた。

「湖の国の風」

 目を閉じて、胸いっぱいに息を吸い込む。

「湖の国の空気!」

 両足で大地を踏みしめている。

「湖の国の地面!」

 瞼を開いたヒスイは、興奮して拳を握り締めた。

「すごい、ベスカ! 俺、今湖の国にいる!」

 湧き上がる喜びのまま隣のベスカを見上げ、ヒスイは一瞬呼吸を止めた。

 ベスカは今まで見たことがないくらい、ひどく優しい目でヒスイを見つめていた。ほんの数秒見つめ合うと、ベスカが柔らかく微笑みスカーフに覆われたヒスイの頭を撫でる。

「俺じゃなくて、私。それから俺はイーゴリだ。まだもうしばらく、女のふりをして」

 穏やかにそう言い、ヒスイの鞄を取り上げた。次にヒスイを見た顔は、いつものベスカだった。

「町へ行って、飯を食おう。この国は麺料理がおいしいんだ」

 大股で歩き出したベスカの後を小走りで追いながら、ヒスイは「うん!」と元気に答えた。
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