14 / 120
第一章
14 ボーダー 2
しおりを挟む
出国したときと同じように列に並び、同じようなカウンターでパスポートを差し出すと、迷彩服を来て鋭い眼光の男が、パスポートとヒスイを睨むように見比べた。
「ここへは何をしに? 仕事?」
低い声で言われて、戸惑う。何と答えればいいかわからず、助けを求めるように次の順番を待っているベスカを見た。ヒスイの戸惑いがわかったのか、ベスカが口の動きだけで「旅行」と伝える。一度で分からなかったヒスイのために、ベスカは何度も大きく口を「旅行」と動かした。ようやくそれを理解したとき、窓口の男が「こっちを見なさい!」と厳しく言葉を放つ。
びくりと震えてヒスイが彼を見ると、彼は一段を厳しくヒスイを見据えた。
「何をしに来た?」
「……りょ、こう」
娼館で人気の男娼だったヒスイはいつも大切に扱われてきた。こんな風にきつい眼差しで見られることはなかったし、激しい口調で問い詰められたこともなかった。
「今、何歳だ?」
そう言われ、頭の中が真っ白になる。
年齢?
「ヒスイ」は二十八歳だ。でも偽造パスポートの名前はナタリアで、誕生日も確か、全然違っていた。あのパスポートに印字されていた日付は……
「年齢は?」
必死で思い出そうとしているヒスイに、男はさらに眼光を厳しくして問いかけた。
何か言わないと。
真っ白になった頭の中で、いつかベスカから言われた言葉が蘇る。
『あなたはせいぜい、二十一、二歳くらいにしか見えませんよ』
「に、にじゅうに」
何も考えず、そう答えていた。出まかせだ。
言ってしまってから「しまった」と内心青ざめる。パスポートが偽造だとばれたらどうなるのだろう。捕まえられて、山の国に戻されるのだろうか。それとも何か、罰を……
一瞬で恐ろしい想像が駆け巡る。娼館にいたときに聞いた、年齢のいった男娼が辿るおぞましい末路の話が頭に蘇った。わきの下からどっと汗が噴き出す。このまま強引に突破してカウンターの先にあるバーを乗り越えようかと思ったとき……
男が、呆れたように息を吐いた。
「お前、XX年の生まれだろう。お前の国じゃ生まれたときに一歳になるのかもしれないけどな。世界のスタンダードは生まれたときがゼロ歳なんだよ。XX年生まれなら二十一歳だ。間違えるな」
そう言ってポンとスタンプを押し、カウンタ―にパスポートを滑らせた。緊張で冷たくなった手でパスポートを受け取ると、カウンターの男は「左へすすめ」とぶっきらぼうに言い放つ。
「次!」
カウンターの男がそう言い、ベスカがほっとしたような顔で待機線から足を踏み出した。それを見たヒスイは、あわあわとパスポートを手に左側の銀のバーを押す。それは軽く向こうへ開いた。白い床を踏みしめ、バーの向こうへ出る。こうしてヒスイは、無事湖の国に入国を果たした。
ベスカも無事にカウンターを通過し、二人してイミグレーションの建物を出てから、目を見合わせてお互いに笑顔を交わした。用の済んだ偽造パスポートをベスカに渡し、後ろを振り返る。ここはもう湖の国で、ヒスイが過ごした山の国はずっと後ろだ。距離的には「すぐそこ」なのに、果てしなく遠い場所にあるような気がした。
ほとんど荷物の入っていない鞄を足元に置き、両手を広げる。指先に風を感じた。
「湖の国の風」
目を閉じて、胸いっぱいに息を吸い込む。
「湖の国の空気!」
両足で大地を踏みしめている。
「湖の国の地面!」
瞼を開いたヒスイは、興奮して拳を握り締めた。
「すごい、ベスカ! 俺、今湖の国にいる!」
湧き上がる喜びのまま隣のベスカを見上げ、ヒスイは一瞬呼吸を止めた。
ベスカは今まで見たことがないくらい、ひどく優しい目でヒスイを見つめていた。ほんの数秒見つめ合うと、ベスカが柔らかく微笑みスカーフに覆われたヒスイの頭を撫でる。
「俺じゃなくて、私。それから俺はイーゴリだ。まだもうしばらく、女のふりをして」
穏やかにそう言い、ヒスイの鞄を取り上げた。次にヒスイを見た顔は、いつものベスカだった。
「町へ行って、飯を食おう。この国は麺料理がおいしいんだ」
大股で歩き出したベスカの後を小走りで追いながら、ヒスイは「うん!」と元気に答えた。
「ここへは何をしに? 仕事?」
低い声で言われて、戸惑う。何と答えればいいかわからず、助けを求めるように次の順番を待っているベスカを見た。ヒスイの戸惑いがわかったのか、ベスカが口の動きだけで「旅行」と伝える。一度で分からなかったヒスイのために、ベスカは何度も大きく口を「旅行」と動かした。ようやくそれを理解したとき、窓口の男が「こっちを見なさい!」と厳しく言葉を放つ。
びくりと震えてヒスイが彼を見ると、彼は一段を厳しくヒスイを見据えた。
「何をしに来た?」
「……りょ、こう」
娼館で人気の男娼だったヒスイはいつも大切に扱われてきた。こんな風にきつい眼差しで見られることはなかったし、激しい口調で問い詰められたこともなかった。
「今、何歳だ?」
そう言われ、頭の中が真っ白になる。
年齢?
「ヒスイ」は二十八歳だ。でも偽造パスポートの名前はナタリアで、誕生日も確か、全然違っていた。あのパスポートに印字されていた日付は……
「年齢は?」
必死で思い出そうとしているヒスイに、男はさらに眼光を厳しくして問いかけた。
何か言わないと。
真っ白になった頭の中で、いつかベスカから言われた言葉が蘇る。
『あなたはせいぜい、二十一、二歳くらいにしか見えませんよ』
「に、にじゅうに」
何も考えず、そう答えていた。出まかせだ。
言ってしまってから「しまった」と内心青ざめる。パスポートが偽造だとばれたらどうなるのだろう。捕まえられて、山の国に戻されるのだろうか。それとも何か、罰を……
一瞬で恐ろしい想像が駆け巡る。娼館にいたときに聞いた、年齢のいった男娼が辿るおぞましい末路の話が頭に蘇った。わきの下からどっと汗が噴き出す。このまま強引に突破してカウンターの先にあるバーを乗り越えようかと思ったとき……
男が、呆れたように息を吐いた。
「お前、XX年の生まれだろう。お前の国じゃ生まれたときに一歳になるのかもしれないけどな。世界のスタンダードは生まれたときがゼロ歳なんだよ。XX年生まれなら二十一歳だ。間違えるな」
そう言ってポンとスタンプを押し、カウンタ―にパスポートを滑らせた。緊張で冷たくなった手でパスポートを受け取ると、カウンターの男は「左へすすめ」とぶっきらぼうに言い放つ。
「次!」
カウンターの男がそう言い、ベスカがほっとしたような顔で待機線から足を踏み出した。それを見たヒスイは、あわあわとパスポートを手に左側の銀のバーを押す。それは軽く向こうへ開いた。白い床を踏みしめ、バーの向こうへ出る。こうしてヒスイは、無事湖の国に入国を果たした。
ベスカも無事にカウンターを通過し、二人してイミグレーションの建物を出てから、目を見合わせてお互いに笑顔を交わした。用の済んだ偽造パスポートをベスカに渡し、後ろを振り返る。ここはもう湖の国で、ヒスイが過ごした山の国はずっと後ろだ。距離的には「すぐそこ」なのに、果てしなく遠い場所にあるような気がした。
ほとんど荷物の入っていない鞄を足元に置き、両手を広げる。指先に風を感じた。
「湖の国の風」
目を閉じて、胸いっぱいに息を吸い込む。
「湖の国の空気!」
両足で大地を踏みしめている。
「湖の国の地面!」
瞼を開いたヒスイは、興奮して拳を握り締めた。
「すごい、ベスカ! 俺、今湖の国にいる!」
湧き上がる喜びのまま隣のベスカを見上げ、ヒスイは一瞬呼吸を止めた。
ベスカは今まで見たことがないくらい、ひどく優しい目でヒスイを見つめていた。ほんの数秒見つめ合うと、ベスカが柔らかく微笑みスカーフに覆われたヒスイの頭を撫でる。
「俺じゃなくて、私。それから俺はイーゴリだ。まだもうしばらく、女のふりをして」
穏やかにそう言い、ヒスイの鞄を取り上げた。次にヒスイを見た顔は、いつものベスカだった。
「町へ行って、飯を食おう。この国は麺料理がおいしいんだ」
大股で歩き出したベスカの後を小走りで追いながら、ヒスイは「うん!」と元気に答えた。
6
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
ひとりぼっちの180日
あこ
BL
付き合いだしたのは高校の時。
何かと不便な場所にあった、全寮制男子高校時代だ。
篠原茜は、その学園の想像を遥かに超えた風習に驚いたものの、順調な滑り出しで学園生活を始めた。
二年目からは学園生活を楽しみ始め、その矢先、田村ツトムから猛アピールを受け始める。
いつの間にか絆されて、二年次夏休みを前に二人は付き合い始めた。
▷ よくある?王道全寮制男子校を卒業したキャラクターばっかり。
▷ 綺麗系な受けは学園時代保健室の天使なんて言われてた。
▷ 攻めはスポーツマン。
▶︎ タグがネタバレ状態かもしれません。
▶︎ 作品や章タイトルの頭に『★』があるものは、個人サイトでリクエストしていただいたものです。こちらではリクエスト内容やお礼などの後書きを省略させていただいています。
侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。
食事届いたけど配達員のほうを食べました
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
なぜ自転車に乗る人はピチピチのエロい服を着ているのか?
そう思っていたところに、食事を届けにきたデリバリー配達員の男子大学生がピチピチのサイクルウェアを着ていた。イケメンな上に筋肉質でエロかったので、追加料金を払って、メシではなく彼を食べることにした。
気付いたら囲われていたという話
空兎
BL
文武両道、才色兼備な俺の兄は意地悪だ。小さい頃から色んな物を取られたし最近だと好きな女の子まで取られるようになった。おかげで俺はぼっちですよ、ちくしょう。だけども俺は諦めないからな!俺のこと好きになってくれる可愛い女の子見つけて絶対に幸せになってやる!
※無自覚囲い込み系兄×恋に恋する弟の話です。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる