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「…だるい?」

「ん…」

ベッドの縁に肩肘をついて、上体を伸ばす。
横たわる理央の脇から体温計をそっと抜き取る。
表示された値は37.5℃。高熱というほどでもないけど『だるい』という表現がピッタリな状態だろう。

そろっと金髪に触れてゆっくり指を通す。
先日また染め直した髪はゴワゴワとした感触を伝える。
…そのうちハゲそう。


朝から、おれを包んでいる身体がやけに熱いような気がしてその身体を揺り起こした。
気だるげに目を開けた彼の第一声はかすれた「だるい」の一言。
弱い力で縋り付く腕をはがして、慌てて体温計やタオルを取りに走った。

結果そこまでの熱ではないものの本人がキツそうなのは変わらない。
朝の怠そうな姿を見たときは一瞬で血の気がひいた。未だ心臓の音がおさまらない。

(最近の無理がたたっちゃったのかなあ…)


夏も盛りのここ最近。お盆ということで気温も湿度も高い中で、短時間ずつとはいえど連日お互いの親族の家に顔を出した。理央は両親以外には身体のことを話していないらしく、勧められる食事を断るのも一苦労だった。
春のころより食事制限が何段階か厳しくなってしまったからしょうがないのだけれど、優しい理央にとっては断るのもストレスだったかもしれない。

それで。その後すぐにあったのだ。
…初めての結婚記念日が。
おれより断然記念日を気にするタイプの彼は、それはそれは張り切った。
午前中から出かけたと思ったら紙袋を下げてルンルンで帰ってきた。

おれもおれで、精いっぱい夕ご飯を出来るだけ豪勢な献立にした。
一日の摂取制限があるから朝昼ご飯が質素になっちゃったけど、数日前からメニューに頭を悩ませて夕方から作り始める張り切りぶりだった。

そうやって2人でご飯を楽しんで、風呂に入って。
ソファに腰掛けゆっくりとした時間を過ごしていると理央が持ち出してきたのは午前中に手にして帰ってきた紙袋だった。
そして_



「…ね、ゆき…ねっくれす、つけてないの?」

回想に浸っていると、かすれた声が枕もとからあがる。

「あ、うん、ちょっと待って」

彼の頭に置いていた手を離して、寝室の端にある引き出しの上段をあける。
そこからしゃらっと取り出したのは、銀のチェーン。

首の後ろに手をまわして、留め具をつける。
鎖骨のあたりで軽く跳ねたのは1.5センチくらいの楕円形の石。
それを軽く右手で握って枕もとに戻る。


「んふ、にあう」

「ありがと」

その微笑みの先には細い銀に縁取られた薄青に輝く石__アクアマリン。

結婚記念日の紙袋の正体。それはネックレスだった。
結婚指輪と一緒のアクアマリン。しかも指輪を買ったのと同じ店で買ってきたという。
チェーンが短めのそれは、トップが揺れすぎることなく身体に寄り添ってくれて、デザイン的にも普段使いもしやすい。
女性向けらしいけど似合うと思って、という言葉を添えて差し出されたそれに、惚れ直さざるを得なかった。


怠そうな雰囲気ながらも嬉しそうにアクアマリンに手を伸ばす理央。
自分が贈ったものを身に付けさせたがるのは男の性かな。


「…しばらく寝なよ。また起こすから、ね」

「ん」

長めの前髪を左右にわけて、現れた白いおでこにキスを落とした。

アクアマリンからおれの右手に握り替えた理央の顔を、そっと見守る。
数分後、完全に寝落ちたのを確認して指を離す。

(一応、先生に連絡してみようかな…)

そんなことを考えながら、よく冷房の効いた部屋を後にした。


洗いものを終えた手を洗ってタオルで拭く。
少し濡れた手は自然ときゅっと首元のアクアマリンを握った。

あれから数日、理央は少し体調を崩しやすくなった。

普段はこれまでと変わらず元気なのに、突然怠さで起き上がれない日があったりする。
熱はあったりなかったり。

通院は月2回だったのが毎週になり、つい最近5日に一回になった。

今日もなかなか起き上がることが出来ない日だったので、軽くスープだけ口にさせた後、昼も過ぎた今の今まで眠っている。

うなされることなく眠れるなら心配しすぎることもないと言われたが、そう簡単に割り切れるものでもない。
毎朝、眠る理央の口元に手のひらをかざしその呼吸を確認する。そうやっていっときの安心を手に入れる。そんな毎日が続いていた。


そういえば昨日、雪子さんから電話があった。
時間があれば病院にも付き添ってくれる彼女とはあまり久しぶりな気はしなかったけれど、レシピを教えてもらったり最近のドラマの話をしたりで盛り上がった。でも、話が理央のことへと移り変わるのは当然で逃れられないことだった。
そうなったとき、雪子さんは少し沈黙して、それからごめんね、とつぶやいた。

『ごめんね。あの子の身体を健康に産んであげられなかった。ゆき君を独りにしてしまうかも、しれない。…ごめんなさい』

それを聞いて、ずっとこんなふうに思いなやんできたんだろうかとぐっと喉が苦しくなった。
でも、誰が見ても彼女が謝るようなことは何もない。
だれも、だれも悪くないんだ。
おれも、もっと理央の不調に早く気づけていたらと自分を責めるのもやめた。
本当に、だれも悪くない。

『そんなこと、ない。絶対に雪子さんが謝ることなんてないです…絶対…』

電話に向かって震える声で繰り返した。

その後理央の元に戻ると、彼は黙って腫れた瞼を冷やしながら抱きしめてくれた。



窓の外はとっぷりと日が暮れた。

カチャ…

そっと寝室のドアをあけてベッドへと足を進める。
閉じている瞼を確認して、その枕元に浅く腰掛けた。

目にかかる前髪を掬って、抑えた声で話しかける。

「りお…」

ピクリと瞼が動くが開きはしない。

「…ねぇ、そんなに早くおれと二人っきりの世界に行きたいの…?
 もうすこし、ゆっくりでもいいんじゃない?ねえ…。…やりたい事リスト残ってるし、ハイキング行くとかオーロラ見に行くとかも書いてたのに。おれ、はやとと仕事もしたいんだけど」

手からぱらぱらと透き通った金がばらけて落ちる。
それは彼の整った白い顔を刺激して、その眉間にしわが寄る。

「ねぇ……1年2年なんかじゃ、足りないよ…?」

何もかもから耳を塞いでしまいたかった。
雪子さんの涙声も
テレビから流れるニュースの声も
おずおずと入院を勧める先生の言葉も

けれど、この耳は愛しい人の声を聞き逃さないために働き続ける。


「ん゛…、ゆき…」

眉間にしわを寄せたまま、大きな瞳があらわれる。

その瞳の中に映るように、にこっと笑ってみせた。

「おはよ。夜ごはん、食べれそう?」
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