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お別れ
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夜崎さんのいないつまらない年末と元旦を乗り越え、二日の初詣がやって来た。出がけにお祖母ちゃんからポチ袋を渡された。
「これは?」
「見ての通りお年玉」
「四月から就職するからもう大丈夫だよ」
「最後なんだからもらってちょうだい」
お祖母ちゃんが私の手にポチ袋をむりやり握らせてくる。
「来年からはちょうだいね」
私は笑いながら分かった、とだけ言って家を出た。
待ち合わせ場所である駅の改札にすでに夜崎さんは来ていた。私たちはお正月らしさとは無縁で、コートにジーパンと相変わらずラフな格好をしている。
「明けましておめでとう、夜崎さん」
「おめでとう」
私たちはすぐ近くの小さな神社に向かった。この県にはいくつも有名なお寺があるが人混みを避けた。
「夜崎さん、家来る? お祖母ちゃんがお汁粉とおせち料理作ったんだけど」
「いいのか?」
私が頷くと、夜崎さんは嬉しそうに了承してくれた。
「その前に、買い物に行こう。夜崎さん欲しいものある? 私結構考えたんだけど、思いつかなくて」
夜崎さんが不思議そうに私の顔を覗き込んできた。
「何だよ急に。何かのお祝いか?」
「そう、お祝い。夜崎さん、誕生日おめでろう」
「……え?」
「え?」
夜崎さんが目を白黒させ、その反応に私も戸惑ってしまう。いつだか屋上で夜崎さんのことを知ろうとして質問攻めにしたときに一月一日って言ってたよね……。
「あたし誕生日八月だけど……」
あれは嘘だったんだ、信じられない!
「あ、そう言えばそんな嘘を吐いたような気が……」
夜崎さんが思い出したのか両手を合わせ頭を下げてきた。
「ごめん。あのときは適当にあしらおうとしてて……」
しょうがないなあ、と不服そうな声を上げ私は一人で歩き出した。たまにはこちらから意地悪をしても許されるでしょう。
夜崎さんは何度も謝りながら私の横を着いて来る。そんな夜崎さんがおかしくて自然に笑みがこぼれ、夜崎さんも釣られて笑う。
そうこうしているうちに私の家に着き、三人でご飯を食べ寛いだ。いつもは退屈な正月が嘘のように楽しい。
夜崎さんが帰ってしまうと途端に静かに感じ、早く学校が始まらないかそわそわしてしまう。
時間はゆっくり流れ、ようやく学校が始まった。最後の学生生活だ。
冬になって屋上でサボることはなくなっていた。寒いのと、授業に出ろと先生に言われたからだ。就職が決まったのに卒業できなかったら意味がない。さすがに先生の忠告には素直に従っている。
三学期初日、一限が終わった後、夜崎さんに屋上に連れ出された。空気は冷たいが日の光で多少は耐えられる。
「どうしたの? 会いたくなっちゃった?」
私がおどけて言うと、夜崎さんは素直に頷いた。
「どうしても言っておきたいことがあって」
夜崎さんの真剣な表情に思わずたじろぐ。何だろう、嫌な予感しかしない……。
「言っておきたいことって?」
「あたし、北海道に行く」
夜崎さんの言っていることの意味が理解できず、その場に固まってしまった。
二限のチャイムでようやく我に返り、夜崎さんの言葉を反芻する。北海道。北海道に行く。どうして……。
「急にどういうこと?」
「あたしは人生に絶望していた。誰からも愛されず、何のために生まれたのか分からなかった」
答えになっていないが、とりあえず黙って聞くことにした。
「何のために生きてるのか、何が楽しくて生きているのか、さっぱり分からなかった。でも……」
夜崎さんが私の手を引っ張り私を抱き寄せた。
「春子のお陰でこの一年は楽しかった。春子のお陰で生きることができた」
私も夜崎さんをそっと抱きしめた。嬉しいことを言われているはずなのに、悲しい。だって、北海道に行くらしいから。
「あたし、卒業前に屋上から飛び降りて死のうと思ってた」
私は驚き夜崎さんの顔を見上げると、夜崎さんは少し困ったような顔をしていた。
「生きる意味を見出せなかったし、卒業してもまともな人生を送れるとは思ってなかったから」
私の横で夜崎さんがそんなに思い詰めていたなんて知らなかった。そんなそぶり一度も見せたことない……。
「でもやめた。死ねなくなった。春子を悲しませたくなくて」
「死ぬなんて言わないで……」
「死なないって。春子がいる間は死ねない」
夜崎さんが強く私を抱きしめ、キスをする。
「あたしはどんなことをしてでも生きていく。春子のために、何よりあたしは春子がいる間は生きたいと思ってる」
「それと、北海道はどう関係あるの……?」
「母親が再婚するんだ。ただ、条件はあたしも一緒に北海道に行くこと」
「どうして夜崎さんも一緒なの。どうして北海道なの!」
離れたくない。夜崎さんの母親が再婚するのはどうでもいい。でも、夜崎さんが遠くへ行くのは嫌だ。
「再婚相手が北海道での暮らしに憧れてるらしい。それと、家族は一緒にいるべきだって」
「そんな、身勝手な……」
「と言うのは建前で、再婚相手は多分あたしにしか興味がないんだ。あいつの視線で分かる」
それって、つまり……。
「母親も気づいている。けど見て見ぬ振りをしている。再婚相手は金持ちらしく、是が非でも結婚したいんだろ」
どうして夜崎さんはそんな仕打ちに耐えようとするの。実の母親にお金のために利用され、再婚相手には性的に見られ……。私のため? 私がいるから?
「あたしだけ残るって啖呵を切れればいいんだけど、家も仕事もなくて生きていけない。だからあたしは北海道に行くことにした」
「でも……、でも……」
何か言わないといけない。それは分かっている。夜崎さんがこんな理不尽な目に遭う必要はないはずだ。でも、肝心なときに言葉が出てこない。
「向こうで働く。そして金を貯めてこっちに戻ってくる、絶対。春子が待ってくれていると思えばどんなことでも耐えられる。……まあその間に春子に好きな人が別にできるかもしれないけど」
夜崎さんがからかうように笑った。少し冗談を言って重い空気を和ませようとしているのは分かる。でも癪に障る。
「そんなわけないでしょ……。ずっと好きに決まってる」
「そっか、良かった。……じゃあまたいつかな」
夜崎さんが私からそっと離れた。
「え? まさかもう行くの……?」
「明後日には」
どこまで勝手なんだ。もしかして、夜崎さんが年末私の誘いを断ったのは、このことについて話し合っていたのか。
夜崎さんがきびすを返し、走って屋上から逃げようとした。
「ま、待ってよ!」
「来ないで!」
私も走って追いかけようとしたところで夜崎さんがぴしゃりと叫んだ。
「これ以上春子といるとあたしの決心が鈍っちゃう。だからもう何も言わないでくれ」
夜崎さんが今度こそ屋上から逃げるように走り出した。
追いかけないといけないのに体が動かない。追いかけて捕まえて……。どうすればいい? 何を言えばいい?
私は立ち尽くしてしまった。
「これは?」
「見ての通りお年玉」
「四月から就職するからもう大丈夫だよ」
「最後なんだからもらってちょうだい」
お祖母ちゃんが私の手にポチ袋をむりやり握らせてくる。
「来年からはちょうだいね」
私は笑いながら分かった、とだけ言って家を出た。
待ち合わせ場所である駅の改札にすでに夜崎さんは来ていた。私たちはお正月らしさとは無縁で、コートにジーパンと相変わらずラフな格好をしている。
「明けましておめでとう、夜崎さん」
「おめでとう」
私たちはすぐ近くの小さな神社に向かった。この県にはいくつも有名なお寺があるが人混みを避けた。
「夜崎さん、家来る? お祖母ちゃんがお汁粉とおせち料理作ったんだけど」
「いいのか?」
私が頷くと、夜崎さんは嬉しそうに了承してくれた。
「その前に、買い物に行こう。夜崎さん欲しいものある? 私結構考えたんだけど、思いつかなくて」
夜崎さんが不思議そうに私の顔を覗き込んできた。
「何だよ急に。何かのお祝いか?」
「そう、お祝い。夜崎さん、誕生日おめでろう」
「……え?」
「え?」
夜崎さんが目を白黒させ、その反応に私も戸惑ってしまう。いつだか屋上で夜崎さんのことを知ろうとして質問攻めにしたときに一月一日って言ってたよね……。
「あたし誕生日八月だけど……」
あれは嘘だったんだ、信じられない!
「あ、そう言えばそんな嘘を吐いたような気が……」
夜崎さんが思い出したのか両手を合わせ頭を下げてきた。
「ごめん。あのときは適当にあしらおうとしてて……」
しょうがないなあ、と不服そうな声を上げ私は一人で歩き出した。たまにはこちらから意地悪をしても許されるでしょう。
夜崎さんは何度も謝りながら私の横を着いて来る。そんな夜崎さんがおかしくて自然に笑みがこぼれ、夜崎さんも釣られて笑う。
そうこうしているうちに私の家に着き、三人でご飯を食べ寛いだ。いつもは退屈な正月が嘘のように楽しい。
夜崎さんが帰ってしまうと途端に静かに感じ、早く学校が始まらないかそわそわしてしまう。
時間はゆっくり流れ、ようやく学校が始まった。最後の学生生活だ。
冬になって屋上でサボることはなくなっていた。寒いのと、授業に出ろと先生に言われたからだ。就職が決まったのに卒業できなかったら意味がない。さすがに先生の忠告には素直に従っている。
三学期初日、一限が終わった後、夜崎さんに屋上に連れ出された。空気は冷たいが日の光で多少は耐えられる。
「どうしたの? 会いたくなっちゃった?」
私がおどけて言うと、夜崎さんは素直に頷いた。
「どうしても言っておきたいことがあって」
夜崎さんの真剣な表情に思わずたじろぐ。何だろう、嫌な予感しかしない……。
「言っておきたいことって?」
「あたし、北海道に行く」
夜崎さんの言っていることの意味が理解できず、その場に固まってしまった。
二限のチャイムでようやく我に返り、夜崎さんの言葉を反芻する。北海道。北海道に行く。どうして……。
「急にどういうこと?」
「あたしは人生に絶望していた。誰からも愛されず、何のために生まれたのか分からなかった」
答えになっていないが、とりあえず黙って聞くことにした。
「何のために生きてるのか、何が楽しくて生きているのか、さっぱり分からなかった。でも……」
夜崎さんが私の手を引っ張り私を抱き寄せた。
「春子のお陰でこの一年は楽しかった。春子のお陰で生きることができた」
私も夜崎さんをそっと抱きしめた。嬉しいことを言われているはずなのに、悲しい。だって、北海道に行くらしいから。
「あたし、卒業前に屋上から飛び降りて死のうと思ってた」
私は驚き夜崎さんの顔を見上げると、夜崎さんは少し困ったような顔をしていた。
「生きる意味を見出せなかったし、卒業してもまともな人生を送れるとは思ってなかったから」
私の横で夜崎さんがそんなに思い詰めていたなんて知らなかった。そんなそぶり一度も見せたことない……。
「でもやめた。死ねなくなった。春子を悲しませたくなくて」
「死ぬなんて言わないで……」
「死なないって。春子がいる間は死ねない」
夜崎さんが強く私を抱きしめ、キスをする。
「あたしはどんなことをしてでも生きていく。春子のために、何よりあたしは春子がいる間は生きたいと思ってる」
「それと、北海道はどう関係あるの……?」
「母親が再婚するんだ。ただ、条件はあたしも一緒に北海道に行くこと」
「どうして夜崎さんも一緒なの。どうして北海道なの!」
離れたくない。夜崎さんの母親が再婚するのはどうでもいい。でも、夜崎さんが遠くへ行くのは嫌だ。
「再婚相手が北海道での暮らしに憧れてるらしい。それと、家族は一緒にいるべきだって」
「そんな、身勝手な……」
「と言うのは建前で、再婚相手は多分あたしにしか興味がないんだ。あいつの視線で分かる」
それって、つまり……。
「母親も気づいている。けど見て見ぬ振りをしている。再婚相手は金持ちらしく、是が非でも結婚したいんだろ」
どうして夜崎さんはそんな仕打ちに耐えようとするの。実の母親にお金のために利用され、再婚相手には性的に見られ……。私のため? 私がいるから?
「あたしだけ残るって啖呵を切れればいいんだけど、家も仕事もなくて生きていけない。だからあたしは北海道に行くことにした」
「でも……、でも……」
何か言わないといけない。それは分かっている。夜崎さんがこんな理不尽な目に遭う必要はないはずだ。でも、肝心なときに言葉が出てこない。
「向こうで働く。そして金を貯めてこっちに戻ってくる、絶対。春子が待ってくれていると思えばどんなことでも耐えられる。……まあその間に春子に好きな人が別にできるかもしれないけど」
夜崎さんがからかうように笑った。少し冗談を言って重い空気を和ませようとしているのは分かる。でも癪に障る。
「そんなわけないでしょ……。ずっと好きに決まってる」
「そっか、良かった。……じゃあまたいつかな」
夜崎さんが私からそっと離れた。
「え? まさかもう行くの……?」
「明後日には」
どこまで勝手なんだ。もしかして、夜崎さんが年末私の誘いを断ったのは、このことについて話し合っていたのか。
夜崎さんがきびすを返し、走って屋上から逃げようとした。
「ま、待ってよ!」
「来ないで!」
私も走って追いかけようとしたところで夜崎さんがぴしゃりと叫んだ。
「これ以上春子といるとあたしの決心が鈍っちゃう。だからもう何も言わないでくれ」
夜崎さんが今度こそ屋上から逃げるように走り出した。
追いかけないといけないのに体が動かない。追いかけて捕まえて……。どうすればいい? 何を言えばいい?
私は立ち尽くしてしまった。
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