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中学最後の決意1

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 私のせいで負ける……。
中学最後のバレーボール全国大会準決勝で、私は自分の弱さに打ちひしがれていた。
 私が弱いから負ける。私のせいでチームが、真希が、莉菜が負ける。私は試合がまだ終わっていないにも関わらず涙が溢れだしそうになった。
 私と真希と莉菜。私たちは物心ついたときから一緒にいた。いつから友達だったのか、いつからいつも三人でいるようになったのか、だれも覚えていない。
 そんなだから当然、私たち三人の内、だれが最初にバレーボールをやろうと言い出したのかすら忘れてしまった。
 気がついたら三人でいつも一緒にいるのが当たり前になっていたように、三人で一緒にバレーをするのもまた当たり前になっていた。
「真希、莉菜、私が……」
第一セットを取られ、第二セットも17対20で負けていて相手に追加点が入ったところで私たちのチームはタイムを取り、ベンチに引き下がった。
自責の念に潰されそうになりながら謝罪の言葉が自然とこぼれそうになる。
私の涙が溢れそうになる直前で、真希は私の背中を強く叩いた。
私は痛みと驚きで、涙が引っ込み、真希の顔を見た。
「何俯いてるの。まだ終わったわけじゃないよ」
「私と真希を信じろって」
 莉菜も私の背中を叩いた。
「四点差なんてすぐひっくり返る」
中学に入ってからの真希の成長は著しく、あらゆるメディアで取り上げられ、いつしか苗字の王木から王を取って「女王」なんて呼ばれるようになっていた。そしてもう一人の幼馴染の右原莉菜もまたメディアに取り上げられるほどの選手であり、苗字の右原から右を取り「女王の右腕」、それが莉菜の通り名となった。
 ことあるごとに二人はメディアに取り上げられ、私たちの世代でバレーをやっている人間であれば、「女王」と「女王の右腕」と呼ばれる二人のことを知らない人はいない。
 真希と莉菜はこの大会で一番強い。それは間違いない。でも私はこの大会とまでは言わないが、この試合で一番弱い。
今さら、最後の最後で現実を突きつけられてしまった。
 真希と莉菜のポジションはウイングスパイカー、私はミドルブロッカー。最初は真希と莉菜にトスが上がればほぼ決まっていた。こちらの得点源が二人だけと分かれば対応は容易で、徹底的に相手ブロックにマークされ二人は苦戦を強いられている。
さらに悪いことに、点差が広がりセッターが焦りからか真希と莉菜ばかりにトスを上げるものだから相手としてはより対処しやすいようだった。
一年生の夏から真希と莉菜と私はスタメンで、ずっと一緒に戦ってきた。私は自分には、真希や莉菜のような才能はないことにとっくに気がついていたし、それに対して嫉妬とかはしなかった。それは幼馴染である二人の一番の理解者で、一番の友達で、私たち三人ならだれにも負けない、という想いがあったからだ。
私は馬鹿で、自惚れていた。ずっと二人に甘えていただけなんだとようやく気がついた。もし私に真希と莉菜ほどの力があれば、私がアタックを決めることができれば、二人にトスが集中せずこんな展開にならなかったはずだ。
将来を渇望され、同世代に敵なしとまで言われた二人が負ける。私が弱いから。
審判の笛がタイム終了を告げ、私は我に返った。
「さ、行こう。私たちは負けない。私が勝たせる」
 キャプテンでありエースでもある真希がチーム全員に向けて告げる。
 そうだ、まだ終わっていない。まだ私たちは、真希と莉菜は負けていない。
 私は闘志を奮い立たせ、何とかコートに戻った。
 だが、真希と莉菜の健闘空しく点差はひっくり返らずに、私と真希と莉菜、中学最後の試合が終わった。

 夏の大会が終わってすぐに二学期が始まった。
 私は負けた日以降どこか上の空で、進路について考えなければならないのに手が付かないでいる。
 幼馴染二人と進路について話したことはないが、あの二人は当然県内にあるバレーボール全国レベルの名門白峯高校に進学するだろう。でも、将来医者になることを目指している私は県内の進学校金倉高校を目指すつもりだ。金倉にはバレーボール同好会はあるらしいので、バレーは高校でも続けるだろうが、バレーを中心に進路を考えるつもりはない。そのつもりはなかったのだが、最後に負けた悔しさが私を大いに悩ませている。後悔したままバレーを軸にせず進学するのか、それともバレーを中心に高校を選ぶのか。考えても結論は出ない。
 私はさらに悩みを抱えていた。真希と莉菜の顔を直視できないのだ。私が二人の勝利を潰してしまったから。
 部活を引退後初めての土曜日の朝九時、真希から私に遊びの誘いの電話が入った。
「今日暇? 今からちょっと出かけようよ」
「いいけど」
 私がそう言うと同時に家のインターホンが鳴った。
「真希? まさか家に来てるの?」
 私はスマホを耳に当てながら玄関を開けると、見慣れたジャージ姿の真希が笑顔で立っていた。
「おはよう。さあ出かけようか」
 私はすぐに着替えて、自転車に乗り、先を自転車で走る真希の後を着いていく。
 思えば、中学生になってからはバレー漬けで真希と遊んだ記憶がない。そもそも真希と二人で出かけること自体が初めての気がする。いつも莉菜を含めて三人だ。
 真希は行き先も告げず走り続ける。どこに行くんだろうと、私が不思議に思っていると山に近づいているのが分かった。
 遊びってなんだっけと、思っているうちに、真希が山の入り口で止まり、自転車を降りた。
「ここからは歩き。舗装されてるし、すぐ着くから」
 真希は私の反応を顧みず、すたすたと舗装された坂道を歩いて行ってしまう。
 私は慌てて追いかける。
「どこ行くの」
「いいとこ」
 真希はそれきり喋らず歩き続けた。
 二十分ほど歩くと展望台にたどり着き、真希は芝生の上に座り込んだ。
「ここは」
「私のランニングコース兼お気に入りの場所」
 私も真希の左隣に座った。
 九月の朝とはいえ少し暑く、坂道をずっと上ってきたこともあり薄っすら汗を掻いている。風が体を冷やしてくれて気持ちがいい。
「真希の言う遊びってこれなの」
 バレーばかりで遊びというものを忘れてしまったようだ。それにジャージだし。
 真希はうーん、と唸る。
「奈緒が元気なさそうだったから、気分転換にでもと思って。最初はいろいろ考えてたけど、じっくり話すならこういうところのほうがいいかなって」
 私は驚いて真希の顔を見つめた。
「元気なさそうに見える?」
「うん。もう目に見えて。こっちが不安になるくらい」
 やっぱり十年近い付き合いなだけある、私は遠くの景色を見つめながら、どう話そうか考えた。
 真希は催促することなく、黙って展望台からの景色を眺めている。
「最後の試合」
 私はあの日からずっと思っていたことを語り始めた。
「真希と莉菜は向こうのエースに勝っていた。でも」
 私はそこで顔を伏せ、地面を睨んだ。
「負けた。真希と莉菜は強かった。あの大会で、だれよりも。最強のエース二人を抱えながらも負けた。私が、私が……」
 私が弱かったから負けた、私のせいで二人が負けた、そう言おうとしたが言葉にならなかった。ただ、一度言葉にすると涙が溢れだし、どうにもできなかった。
 真希は何も言わず私を抱きしめてくれた。
 私は真希の肩に顔を押し付け、腕を背中に回し、真希のジャージを握りしめた。
 涙が止まらない。
「ごめん真希。私が、私が……」
 真希は私の頭を優しく撫でた。
「奈緒は泣き虫だなあ。昔から変わらないねえ」
 少し場違いな真希の言葉に私は思わず笑ってしまった。
「そうだっけ」
「そうだよ。私たち三人の中で一番よく泣いてたよ。いつの間にかそんなことなくなってたけど」
 真希は私の頭を撫で続ける。
 しばらく無言だったが、真希が口を開いた。
「奈緒のせいじゃないよ。私がエースとしてチームを勝たせることができなかった」
 私はその言葉にさらに涙がこぼれる。
 真希の優しさが嬉しい。でもそれが今は辛かった。チームが負けたのはどう考えても真希のせいじゃない。私が弱かったから負けたのだ。それはだれの目から見ても明らかだった。
 いっそのこと真希になじられたほうが気が楽になるんじゃないか、そんなことさえ考えてしまう。でも真希はそうしない。真希は、自分がエースでチームを勝たせるためにいると思っている。そういう人間だ。そんな真希が、チームメイトを、何よりずっと一緒にいる私を責めるはずがなかった。
 私はさらに真希に強く抱き着き、声を上げて泣いた。
 真希は黙ってそれを受け止めてくれた。
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