上 下
5 / 56
1章 パパになる

第5話 子どもが殺される可能性が1ミリでもあるなら

しおりを挟む
 俺は森の中で息を潜めてゴブリンを待っていた。
 仕事している最中も考えるのはネネちゃんの事だった。
 柔らかい肌。首筋の辺りに鼻をつけてクンクンと嗅ぐとミルクの甘い匂いがする。赤ちゃんの独特な匂い。ずっと嗅ぎたい可愛い匂い。
 大きな物を掴むことができない小さな手。指を差し出すとギュッと小さい手が握るのだ。
 ネネちゃんは布オムツを巻いている。なぜかウンチは出来立てご飯の匂いがした。
 可愛すぎて食べてしまいたくなる赤ちゃんが我が家にいる。
 だから必ず生きて家に帰らなくてはいけなかった。
 ネネちゃんがウチに来てから俺は自分の命を前以上に大切にするようになった。
 俺が死んでしまったら、と考える。
 俺が死んでしまったら美子さんが子育てしながら働かなくてはいけない。そんなの無理ゲーである。子育てで美子さんはいっぱいいっぱいなのに、どこに働く時間があるんだろうか?

 彼女は編み物や裁縫の先生として仕事をしていたけど、子育てに集中するために休止することに決めた。 
 俺は死んではいけないのだ。
 生きて帰って来て、赤ちゃんを抱かなくてはいけないのだ。

 物語では生きて帰らなくてはいけない人が死んでしまう。死亡フラグというやつがある。だけど俺は死なない。死なないための対策はしていた。
 腰にぶら下げている巾着の中には美子さんが作ってくれた団子が入っている。
 彼女が作った料理には回復が付与されている。団子にしているのは手掴みで簡単に食べられるからである。
 そして俺は自分からゴブリンのコロニーを攻めて行かない。
 俺は木の上に身を隠してゴブリンが来るのを待っていた。2匹ぐらいなら倒せる。だけど3匹以上になったら倒す前に仲間を呼ばれる危険性があった。だから3匹以上いる場合はゴブリンと戦わない。1日を無駄にしても危険は犯さなかった。

 この日はゴブリンを2匹倒した。ゴブリンの左耳を2つゲット。それにゴブリンの心臓が結晶化した魔石も2つゲットした。
 辺りを警戒しながら急いで街へ帰った。
 街に帰ったら冒険者ギルドに行って、ゴブリン2匹分の報酬を貰う。ごくわずかである。
 1日で倒すゴブリンの数は平均1匹だった。
 俺の収入だけでは家族が生きていくのがやっとである。

 今日の収入を握りしめ、俺は家に足早に帰った。
 家に帰ると部屋が片付けられていた。
 片付けられているというレベルではない。物が半分以上も無くなっている。

「説明は歩きながらするから家から出ましょう」
 と美子さんが言った。
 慌てているような、急いでいるような口調だった。
 妻は布で作られたスリングという抱っこ紐を付けていた。ネネちゃんは繭に包まれたようにスリングの中に入っていた。
 
「どうしたの?」
 と俺は尋ねながら、ネネちゃんの小さな手を握った。彼女は小さな手で俺の手を握り返した。

「いいから淳君はコレを持って」
 と大きなリュックを渡された。
「どこかに行くの?」
「だから説明は歩きながらするって言ってるでしょ?」
 とイライラしながら美子さんが言った。

 俺は荷物を持って、妻の後ろを追って外に出た。
「どうしたんだよ?」
 と俺は後ろから尋ねた。
「疑われているのよ」と彼女が言う。
「何を?」と俺は尋ねた。
「妊娠せずに赤ちゃんがいるから」と彼女は早口で言った。「もしこの子が盗んだ子なら私達は死刑になるらしい。もしこの子が捨て子なら、この子は神殿に奉納《ほうのう》されるらしい」
「奉納?」
 と俺は首を傾げた。
「殺されるのよ」と妻が言った。
 殺される、という言葉の意味が俺には理解できなかった。殺されるってことは死ぬってことか?
「もしこの子が召喚された子なら勇者として育てられるらしい」
 と彼女が言った。

 勇者として育てられる。
 俺は日本から召喚されたばかりの頃に城で勇者として修行をさせられた。
 縁もゆかりもない世界を守るために死んだ方がマシだと思うような試練を与えられた。実際に何度も死にかけ、それでも強くなるように命じられたのだ。
 彼等は……この彼等というのは王族のこと。俺達のことを必ず成長する兵器だと勘違いしていた。どんな試練にも耐えられると思っていたし、成長して強くなるもんだと信じていた。それに俺達が魔王を倒すことを快く引き受けると思い込んでいた。
 ネネちゃんには勇者になるための修行をさせたくなかった。あんな嫌な思いをするのは俺達だけで十二分だった。

「その話は誰から聞いたんだよ?」と俺は尋ねた。
 情報の出どころが知りたい。
「教え子」と彼女が言う。
 教え子というのは編み物や裁縫を教えていた生徒のことだろう。
「その情報は正確なのか?」
 と俺は尋ねた。
「わかんない。でもココにいたらネネちゃんが殺される可能性があるのよ」
 と妻が言う。
「子どもが殺される可能性があるから俺達はこの街から出ないといけない」と確認するように俺が言った。
「そうよ」と美子さんは言った。

 俺はネネちゃんを見た。
 小さな腕がスリングから出ている。

「この子はまだ自分が産まれて来たことにも気づいてないのよ」
 と妻が笑った。
「産まれたことに気づくのは3週間かかるんだっけ?」と俺が尋ねた。
 美子さんが教えてくれた知識である。
「そうよ」
 と妻が言う。
 これから、この小さい生き物には沢山の幸せが待っている。俺達の役目は、それを守ることだった。

「この街から出よう」と俺が言う。「だけど今じゃない」
「どうして?」
 と美子さんは戸惑いながら尋ねた。
「夜の森は、危険すぎる」
 と俺が言う。
「でも……」
 と美子さんが言う。
「落ち着いて」と俺は言った。「この子が危険なら1秒でも早くココから出たい。だけど夜の森を歩けば、それこそ3人とも死ぬ可能性がある」
「……そうね」
 と彼女は言った。

 美子さんらしくない、と俺は思った。焦っていることが彼女らしくないのだ。いつでも冷静沈着でシッカリしているお姉さんだった。だけど子どものことになると、冷静沈着ではいられないらしい。
「朝一に出よう」
 と俺は言った。
 ポクリ、と彼女が頷く。

 俺達が家に向かって踵を返すタイミングで、遠くの方からパカパカという馬の足音が聞こえた。
 平民街に馬が走るのは珍しい。
 俺達は視線を合わせて、頷く。
 それで民家の陰に隠れた。
 馬を使うのは騎士団である。
 貴族は馬車に乗っている、車でもエンジン音が違うように馬車と乗馬の足音が違うのだ。俺達は城にいたから騎士団が乗馬している時の足音も、馬車の足音も知っている。
 こちらに近づいて来ているのは騎士団の馬の足音だった。

 白い騎士団服に包まれた3人が俺達の家の前に止まった。
 もし美子さんに言われて外に出ていなかったら、ネネちゃんを取り上げられていたかもしれない。あるいは俺達が殺されていたかもしれない。
 騎士団が俺達の家の扉を壊して中に入った。

「今すぐ、この街から出よう」
 と俺は小声で言った。
 妻はポクリと頷いた。
 闇に包まれた森のことを俺は想像する。
 彼女達を守りながら魔物が潜む森から抜け出すことができるんだろうか?
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

転生貴族可愛い弟妹連れて開墾します!~弟妹は俺が育てる!~

桜月雪兎
ファンタジー
祖父に勘当された叔父の襲撃を受け、カイト・ランドール伯爵令息は幼い弟妹と幾人かの使用人たちを連れて領地の奥にある魔の森の隠れ家に逃げ込んだ。 両親は殺され、屋敷と人の住まう領地を乗っ取られてしまった。 しかし、カイトには前世の記憶が残っており、それを活用して魔の森の開墾をすることにした。 幼い弟妹をしっかりと育て、ランドール伯爵家を取り戻すために。

~最弱のスキルコレクター~ スキルを無限に獲得できるようになった元落ちこぼれは、レベル1のまま世界最強まで成り上がる

僧侶A
ファンタジー
沢山のスキルさえあれば、レベルが無くても最強になれる。 スキルは5つしか獲得できないのに、どのスキルも補正値は5%以下。 だからレベルを上げる以外に強くなる方法はない。 それなのにレベルが1から上がらない如月飛鳥は当然のように落ちこぼれた。 色々と試行錯誤をしたものの、強くなれる見込みがないため、探索者になるという目標を諦め一般人として生きる道を歩んでいた。 しかしある日、5つしか獲得できないはずのスキルをいくらでも獲得できることに気づく。 ここで如月飛鳥は考えた。いくらスキルの一つ一つが大したことが無くても、100個、200個と大量に集めたのならレベルを上げるのと同様に強くなれるのではないかと。 一つの光明を見出した主人公は、最強への道を一直線に突き進む。 土曜日以外は毎日投稿してます。

イラついた俺は強奪スキルで神からスキルを奪うことにしました。神の力で最強に・・・(旧:学園最強に・・・)

こたろう文庫
ファンタジー
カクヨムにて日間・週間共に総合ランキング1位! 死神が間違えたせいで俺は死んだらしい。俺にそう説明する神は何かと俺をイラつかせる。異世界に転生させるからスキルを選ぶように言われたので、神にイラついていた俺は1回しか使えない強奪スキルを神相手に使ってやった。 閑散とした村に子供として転生した為、強奪したスキルのチート度合いがわからず、学校に入学後も無自覚のまま周りを振り回す僕の話 2作目になります。 まだ読まれてない方はこちらもよろしくおねがいします。 「クラス転移から逃げ出したイジメられっ子、女神に頼まれ渋々異世界転移するが職業[逃亡者]が無能だと処刑される」

『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる

農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」 そんな言葉から始まった異世界召喚。 呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!? そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう! このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。 勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定 私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。 ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。 他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。 なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。

貴族に転生してユニークスキル【迷宮】を獲得した俺は、次の人生こそ誰よりも幸せになることを目指す

名無し
ファンタジー
両親に愛されなかったことの不満を抱えながら交通事故で亡くなった主人公。気が付いたとき、彼は貴族の長男ルーフ・ベルシュタインとして転生しており、家族から愛されて育っていた。ルーフはこの幸せを手放したくなくて、前世で両親を憎んで自堕落な生き方をしてきたことを悔い改め、この異世界では後悔しないように高みを目指して生きようと誓うのだった。

異世界転生はどん底人生の始まり~一時停止とステータス強奪で快適な人生を掴み取る!

夢・風魔
ファンタジー
若くして死んだ男は、異世界に転生した。恵まれた環境とは程遠い、ダンジョンの上層部に作られた居住区画で孤児として暮らしていた。 ある日、ダンジョンモンスターが暴走するスタンピードが発生し、彼──リヴァは死の縁に立たされていた。 そこで前世の記憶を思い出し、同時に転生特典のスキルに目覚める。 視界に映る者全ての動きを停止させる『一時停止』。任意のステータスを一日に1だけ奪い取れる『ステータス強奪』。 二つのスキルを駆使し、リヴァは地上での暮らしを夢見て今日もダンジョンへと潜る。 *カクヨムでも先行更新しております。

異世界召喚されたら無能と言われ追い出されました。~この世界は俺にとってイージーモードでした~

WING/空埼 裕@書籍発売中
ファンタジー
 1~8巻好評発売中です!  ※2022年7月12日に本編は完結しました。  ◇ ◇ ◇  ある日突然、クラスまるごと異世界に勇者召喚された高校生、結城晴人。  ステータスを確認したところ、勇者に与えられる特典のギフトどころか、勇者の称号すらも無いことが判明する。  晴人たちを召喚した王女は「無能がいては足手纏いになる」と、彼のことを追い出してしまった。  しかも街を出て早々、王女が差し向けた騎士によって、晴人は殺されかける。  胸を刺され意識を失った彼は、気がつくと神様の前にいた。  そしてギフトを与え忘れたお詫びとして、望むスキルを作れるスキルをはじめとしたチート能力を手に入れるのであった──  ハードモードな異世界生活も、やりすぎなくらいスキルを作って一発逆転イージーモード!?  前代未聞の難易度激甘ファンタジー、開幕!

最難関ダンジョンをクリアした成功報酬は勇者パーティーの裏切りでした

新緑あらた
ファンタジー
最難関であるS級ダンジョン最深部の隠し部屋。金銀財宝を前に告げられた言葉は労いでも喜びでもなく、解雇通告だった。 「もうオマエはいらん」 勇者アレクサンダー、癒し手エリーゼ、赤魔道士フェルノに、自身の黒髪黒目を忌避しないことから期待していた俺は大きなショックを受ける。 ヤツらは俺の外見を受け入れていたわけじゃない。ただ仲間と思っていなかっただけ、眼中になかっただけなのだ。 転生者は曾祖父だけどチートは隔世遺伝した「俺」にも受け継がれています。 勇者達は大富豪スタートで貧民窟の住人がゴールです(笑)

処理中です...