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番外編

懐かない猫と手懐けたいあいつ

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啓とふたりで実家に来たついでに、近所の河原に立ち寄った。

この河原には思い出がいっぱいある。
いい思い出も。そうじゃないのも。

小学生のときは放課後ここでみんなで野球するのが楽しかった。
リトルリーグの練習場もここにあるから土日ここで野球してたっけ。
中学で野球部に入ってからも部活がない日にはここへ来て練習してた。
本気でプロの選手になりたかったから、毎日毎日野球ばっかやってた。

中三のときクラスで一番可愛い女の子に告白されたのもこの河原だった。
その子と会うのは楽しかったけど、そういう意味で好きにはなれなかった。
女の子は可愛いと思うけど、恋愛の対象にはなり得ない。
ゲイだと自覚したのはその子とのことがあったからだ。

自分がゲイだってことを誰にも言えなくて。苦しくて。
ひとり悩んでたあの頃、プロの野球選手になるって夢だけが俺の支えだった。
高校に入ってからは部活がある日もない日もここへ来てひとりで練習した。

そんなとき拓真さんと出会って、付き合うようになって……
拓真さんと初めてキスしたのもここだった。
拓真さんに振られてひとり泣いたのも。

それからすぐに野球を辞めて、この河原にも来なくなった。
だからここに来るのは高二の夏以来だ。

「なーんか懐かしいなー。俺、よくこの河原に来てたんだー」

思い出すのさえ辛かった過去が、今では懐かしいとさえ思える。
それはきっと啓に出会えたから。

「ふーん」
「ほら、そこに橋げたあんじゃん? そこで俺いつも野球の練習してた」
「へえー」

この河原に来たいって言ったのは啓なのに、全く興味なさそうで。
むっとして口を尖らせる俺を見て、啓は満足げな笑みを浮かべた。

「俺さ、昔あそこに住んでたんだ」

啓が指差す川の反対側には、超高層マンションがそびえ立っている。

「ええっ?! あのマンション? まじで?」
「ああ」

あのマンションは確か三年くらいまえに建ったばかりだったはず。
ってことは、せいぜい三年前のことだ。つい最近じゃん!

「なんで教えてくんなかったんだよ」
「今、教えたじゃん」
「そうじゃなくて」

こんなに近くに住んでたんなら、どこかで会ってたかもしれない。
もっと前に教えてくれてたら、共通の話題で盛り上がれたかもしれない。

「俺もよくこの河原に来てたよ」
「え、嘘っ。どの辺? いつ? 何時ごろ?」

前のめりになって質問する俺を横目で見て、啓がくすりと笑う。

「そこ、座ろうぜ。話、長くなっからさ」

そうして啓は、本当に長い長い、俺が思ってもみなかった話を始めた。







俺さ、高校ん時、いろいろ悩んでた時期があってさ。
ほら俺、なんつったって大企業の御曹司じゃん?
約束された将来ってもんがあったわけ。
まあ、今もあるっちゃあるんだけど。

けどこのまま前に敷かれたレール突っ走ってくだけでいいのかなって。
誰かの息子とか、どっかの会社の御曹司とか後継ぎとか、そんなんじゃなくて。
俺は俺だし? 俺には俺の、俺だけの未来があってもいいんじゃねえかって。



真っ直ぐに前だけを見つめて、啓は語り始めた。



ひとりで暮らしたいから家出てくっつったら、親があのマンション用意してくれて。
それに何の疑問も持たずにあそこに住んじゃうような甘ったれたお坊ちゃんでさ。
途中でそれに気付いて愕然としたっていう……まじでカッコわりぃよな、俺。



自嘲の笑みを漏らす啓の横顔を、俺は一心に見つめていた。



あそこに住んでた頃、俺、よくこの河原に来てたんだ。

お気に入りの猫がいてさ。野良猫で、ぜーんぜん懐かねえの。
懐かねえどころか、俺なんて完全無視。全然興味ありませーんって感じでさ。
まあ、猫にしてみたら夢中だったんだろうけど。球遊びに。

その猫、ほんと一生懸命ひとりで球遊びしててさ。
早朝とか深夜に見かけたこともあったなー。

それ見てたら、俺、いいなーって。
俺もあんなになんかに夢中になりてえなって。
ぐだぐだ悩んでんのがバカらしいっつーか。
なんか俺もやんなきゃ、やりてえって。
頭で考えるだけじゃなくて行動しなきゃって思えたんだ。

そんで手始めにアメリカに行くって決めて。
あっち行ったらいろんなやつがいて、いろんな考え方とかあって。
とにかくいろいろ学んだし、やりたいことも見つけたし。
行ってすげー良かったなって……まあ、その話はおいといて。

俺がいろいろ吹っ切れたのはその猫のおかげだからさ。
日本発つちょっと前に、またこの河原に来てみたんだ。
最後にその猫に会えないかと思って。

そしたら、いたのはいたんだけどさ……



そこで一旦ことばを切って、啓がチラリと俺に目線を寄こす。



そいつ、泣いてんの。ひとりで。膝抱えて。
俺、それ見たら、なんか放っとけなくて。けど声も掛けれなくて。
だからそいつの隣に座ったんだ。黙って、ただ座ってた。

そいつはすげー泣いてるし、俺が隣にいるなんて気づいてなかったんだと思う。
ずいぶん時間経ってから、ずっと泣いてたそいつがふと顔あげてさ。

泣き腫らして目なんかこんなだし、鼻水垂れてるし、ぐっちゃぐちゃな顔してんの。
けど俺はすっげー綺麗だと思って。バカみたいにぼーっと見惚れちゃって。

そしたらそいつ「あんた、誰?」って、俺のこと睨みつけるわけ。
すっげー低い声でさ、超怖えの。眉間なんかこーんなしわ寄せちゃって。
警戒心丸出しで、ほんと猫が威嚇してるみてえなの。

それ見て俺、すっげー嬉しくなっちゃてさ。こいつ、こんな顔すんだとか思って。
や、変な意味じゃなくてさ。ほら、ずっと顔とか近くで見たことなかったから。
だからそいつの顔見れただけで嬉しかった。

それで思わず笑っちゃったんだ。そしたらそいつ、ますます怒っちゃって。
そいつが立ち上がりかけたから、どっか行っちゃうんだって思って。
慌てて止めたんだ。「水、飲まねえ?」つってさ。

俺、天然の炭酸水、好きじゃん?
それのとびっきりいいやつ持ってたから。

そいつ、それ飲んで「げ、まず」とか言っちゃってさ。
悔しかったから「それ、一本千円もすんだぜ?」つってやったの。
したら「信じらんねー。ただの水にそんな無駄遣いすんな」って。
結局また怒られちゃったんだけど。

でもまあ、泣き止んではくれたから良かったかな。
最後まで笑った顔は見れなかったけど。



そう言って微笑む啓の声が優しくて。ぽろぽろ、ぽろぽろ、涙が止まらない。



そんなことがあって、俺そいつのこと忘れらんなくて。
アメリカでもよくそいつのこと思い出してた。
あんときなんで泣いてたのかなとか。
笑ったらどんな顔すんだろうとか。
今は笑ってたらいいなって思ってた。

そんで日本に帰ったら絶対、そいつに会いに行こうって決めてて。
アメリカから帰ってきてすぐにこの河原に来たんだけどさ。
そいついねえの。次の日も、その次の日も。
毎日ここに来たけど、そいつ見つけらんなくて。
ここに来たら絶対また会えると思ってたから、すげーショックで。
会えないと、余計に会いたくて。すっげー会いたくて。

らしくないこと言うけど…………恋心が募るっていうの? 

そしたら街でそいつが絡まれてんの見つけて助けたんだけど……
そいつは俺のことすっかり忘れちゃってて。
そんでまた「あんた、誰?」とか言われちゃって。
ああ、そうそう「げ、まず」ってのも言われたわ。
もうお前なんなのって感じ。や、これも変な意味じゃねえよ?

ああ、やっと会えたんだって思った。
俺がずっと探してた、ずっと恋い焦がれてたやつにやっと会えたって。

東京なんてバカみたいに広くて、バカみたいに人の多いとこでさ。
そいつがピンチのときに出くわすなんて……

そんなのもう偶然なんか軽く通り越して、運命だって思うんだ。

そう思わねえ?



啓の顔を見ていたいのに、涙で滲んじゃって見えないよ。



俺、ここで幸のこと見かけたんじゃなくて、見つけたんだって思う。
三年前の夏、ここで幸のこと見つけて、見失って。
また見つけて、また見失って。
三回も繰り返しちゃったけど……

でも今こうして、幸はちゃんと俺の隣にいる。

俺もう、お前が泣いてるの見たくないんだ。
幸にはずっと、笑ってて欲しい。
俺の隣で。



バカ、俺を今泣かしてるのは啓だっつーの。
こんなに泣いちゃったら目が腫れちゃうし、鼻水も垂れちゃうし。
顔がぐっちゃぐちゃになっちゃうじゃねえかよ。
ぜんぶ啓が悪い。ぜんぶ啓のせいだ。

啓のバカ。

俺がそう言うと、啓は馬鹿みたいに嬉しそうな顔で笑った。



拓真さんに突然別れを告げられて、この河原でひとり泣いた高二の夏。

俺は、世界でたったひとりぼっちなんだって思ってた。
けど、俺はひとりなんかじゃなかった。
啓がいてくれた。

言われてみれば俺に話しかけてきたやついたなくらいにしか覚えてないけど。
啓のこと、ちゃんと覚えてないけど。
啓は俺の隣にいてくれた。

そして今も啓は俺の隣にいて。
俺と出会ったことを、運命だって言ってくれる。

啓のバカ。

こんな隠し玉持ってたなんて。ずるいよ。
これじゃあいつまで経っても泣き止めないじゃん。

ぐずぐずと泣き続ける俺の隣に、啓は黙って座っている。
昔も、今も、俺の隣には啓がいてくれる。

そして未来も。
きっと……







「帰るか」
「うん」

夕暮れの茜色に染まる啓の横顔を俺は一生忘れないだろう。
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