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 そして私達は夕刻を前にオルエン商会へと……向かうのだった。
 そう、もう『帰る』ではなく『向かう』なのだ。

 今の私には、帰る場所はどこにもない……それを……思い出し溜息を吐く私の耳に聞こえるのは、どこまでも甘く優しい大丈夫と言うクレイの言葉で、それだけが私の支えとなっていた。



 商会には既にユーリとエリスが戻っており、悪気なさそうな様子でエリスは私に笑みを向けて手を振って見せた。

「セレナ様、旦那様がお待ちになっておいで(です)」

「お姉さま!! 私達も呼び出されているの、一緒にいきましょう」

 私の心はヒヤリとしながら、腕に絡みつけようとしてくる手を拒否し、クレイを盾にするように自分の立ち位置を代えた。

「そう……」

 向けられる従業員の視線は同情混ざりのものもあるが、多くは私を馬鹿にするかのようで、私は居たたまれない気持ちになる。

 今日の卒業パーティに関わる多くがオルエン商会によって提供されているだけあって、あの場に商会の人間も多くいた。

 気持ち悪い……。

「よく顔を出せたものだ」
「自業自得と言う奴だな」
「これで、商会はまともになると言うもの」

 そんな声がこれ見よがしに紡がれ、一体……私が何をしたというのよ。 そんな気分になっている中、聞こえているはずの声を聞こえていないかのようにエリスはニコニコとしていた。



 憂鬱な気持ちで会長室の前で足を止め、緊張に大きく息を吸えば、軽く背中に手が触れた。 手の主であるクレイを見上げれば静かに優しい笑みが向けられている。

 大丈夫

 そうクレイの表情が語り、私はどこか諦めたように頷いて見せる。 だって、彼は私に秘密を見せてくれたのだから……。 それがどうして? と言われそうだけど、私に奇妙な安心感を与えてくれる。

「何よ!! お姉さま、私には素っ気ない癖に……怒っていますの? ユーリのことなんて好きでもない癖に」

 ぶちぶちと文句が繰り広げられる。

「お黙りなさい」

 静かな……そして冷ややかなクレイの声がエリスを黙らせ、そしてノックをする。

「入りなさい」

 聞こえたのは会長の声。

 会長の穏やかな優しい顔立ちはクレイと似ているけれど、その内面はとても粗暴で狂暴で横暴で傲慢。 だからこそ王国1位の商会を築く事が出来たと言うのが、会長の理念の1つだ。

「ユーリから聞いた。 馬鹿な事をしてくれたと考えている。 セレナ申し訳ない事をした」

 チラリと部屋の人々の視線がユーリに向けられる。 堂々と色ぼけ発言を吐き出していたパーティの時とは違い、不機嫌そうにしかめ面を浮かべている。 それを見れば彼の今日の言動が会長の怒りを買ったのは確かだろう。 だからと言って、大勢の前で行った発言を無かった事に出来る訳がない。

「(そう)……ですね……」

 私は腑に落ちたいとでも言うような曖昧な言葉を口の中で吐き出しながら、大きく息を吸った。

「あら、私達の愛情を軽く見ないでいただけます?!」

 エリスが割って入るように言いながら、ユーリの元に踊りだすように進み勢いよく抱き着いていた。 不機嫌そうな顔が緩むユーリに反して、私の表情はいっそう厳しさを増していた。

「エリスにも問題がありましたから……謝罪等なさらないでください」

 そして、溜息。

「そう言ってもらえるとありがたい。 セレナ、君は10歳の頃から私の娘だった。 これからも家族として私達と共にあるものだと信じている」

 まるで今日の夕食は美味しいなと他愛無い日常会話を語るように会長は語る。

「ぁ……無理……です。 今まで通りなんて、無理です。 出来る訳ありません!! 私に恥をかけと……言うの?!」

 今日の事をきっかけに、人々は私への態度を大きく変えて来た。

「私達は家族だ。 醜聞は抑えるように働きかけよう」

「そんな簡単に収まるものではありませんわ!! オルエン商会の大きさ知名度を考え……れ、ば……」

 不満は最後まで続かなかった。

 問題を起こしたのは会長ではなく、双子の……自分と一心同体だと思っていた双子の妹が起こしたのだから。

「言いたい事があるなら、言ってしまいなさい。 日頃から……抱えているものはあるだろう?」

「家族なら……私に……私に、世間の嘲笑の的になれとおっしゃるわけがありませんよね? 私は……結局は駒の一つに過ぎないと……」

 会長に言いながらも、双子のエリスが自分をどう思っていたのかを理解していくのだ。

「商売人としては感情的になるのは致命的ではあるが、今は構わない。 それだけショックだと言う事は理解できる」

 会長が顔を伏せれば、私は胸がキュッと痛くなる。 だって……10歳の頃から、私の生きている意味は会長に褒められ、認められる事だったのだから。

 ニコニコとユーリにじゃれつく自分と同じ顔。
 何故私を窮地に突き落とそうとするの?!

 そんな思いと同時に……家族に蔑ろにされる辛さがじりじりと心を蝕み、私を捨てないで、私を認めて、私を好きでいて!! と叫びそうになりながら、唇をきつく噛みしめひきしめた。

「感情を抑える必要等ないのですよ」

 穏やかなに語ったのはクレイだった。

「平気……です……」

 これ以上恰好悪いのは、ゴメンだわ。

「セレナ、君はどうしたいんだ。 大勢の前で、ユーリは君の妹エリスとの結婚を告げた。 それでもユーリと結婚したいと言うなら、私は後押しをしよう。 だが……それこそ嘲笑の的になるだろう」

 決してユーリとの関係を戻したい訳ではないのに、それを会長の口から否定された事で、私は……結局都合の良い言葉で、私を丸め込もうとしているかのように思えた。

「そ、んなこと!!」

 幾らでも訂正のしようがあるでしょう!! と、言う言葉を飲み込んだ。 どんな訂正の仕方をしても、自分に向けられる悪評が変わるとは思えない。



『君の未来は私が保証しましょう。 ですから、自らを落とすことなく毅然とした態度で立ち向かって下さい』

 商会に戻る前、私にそう語ったクレイの言葉だけが、私の心を保ってくれていた。 クレイのその言葉が無ければ、私は……会長に言っていただろう。 ユーリが一時の欲望に身を任せ、血迷ったのだと、そうでなければ婚約者の妹に手を出す等と言う非人道的なことをする訳がない。 と……。

 愛すべき双子の妹を傷つけていたに違いない。

「ごめんなさい……お姉さま……。 彼と愛し合った事を許して欲しいの。 私達は……お姉さまの分も幸せになるって約束するわ。 愛する私達が幸せになるんだから……優しいお姉さまですもの……喜んでくださいますわよね」

 愛される私……と言うものにエリスは酔っているかのように、うっとりとした表情をエリスは浮かべていた。 何時もなら

『そうね私の可愛い妹……エリス……愛しているわ』

とでも、語っていただろうと思う。
だけど今日は違う。

「勝手に……幸せになればいいわ」

 吐き出すように言えば、エリスは縋るような視線を向け、悲痛な声をあげた。 まるで、否定されるなんて欠片も考えていなかったとでも言うように……。

「お姉さま!!」

 息が……し難い……。
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