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 私が仕事に逃げ道を見出したのは、何時頃からだったでしょう。

 ノックと共に開かれる扉。
 投げつけられる冷ややかな声。

「そろそろ出かけないと遅れますよ……セ、レ、ナ、さ、ま」

 敵意とも思われる声に、私は無感情のままに返事をする。 日々時間に追われる私は軽食を食べながら書類を眺め、ペンを走らせており……喧嘩腰の声に取り合うつもりはなかった。

「えぇ、そうね」

 サンドイッチを飲み込み、ぬるくなったお茶に手を伸ばす。 掠め見た彼女は直接面識はないが、良く目にする女性だった。

「大切な日に遅刻をなさるつもりですか」

「分かっているわ。 ところで……」

 私が聞きたかったのは婚約者であるところの青年ユーリの所在。 学園の卒業式と言えば昔から盛大かつ本格的なパーティがお約束、実質の社交界デビューと言っても良い場で、エスコートが無ければソレだけで恥をかく事だろう。

 冷ややかに佇み表情の無かった女性は、初めて笑った。

「ユーリ様は、既に出かけられております」

「そう……」

 あり得ない……。
 今日がどれほど重要なのか分かっていない訳?!

 不満そうな顔を浮かべれば、戸口にいる女性は嫌味っぽく笑って見せた。 軽蔑、侮蔑、嘲り、そんな思いが感じ取れる。

 嫌な感じ。

「それで、貴方はどうしたのかしら? 今日は休日でしょう。 わざわざ私の部屋にくるなんて珍しいわね」

 直接のかかわりはないけれど、それでもオルエン商会を取り仕切る者の一人として、従業員の最低限の情報は理解している。

「ユーリ様からの贈り物を届けるよう承ったので」

 やる気なさそうに大きな箱がテーブルに叩きつけられた。

 私を見下した態度。
 優位性を見せつける嫌味交じりの笑み。

 それでも彼女は……何時も憂鬱そうにしている彼女とは違って楽しそうで、私がジッと見つめれば揺れる髪の間から青い痣が垣間見えた。

「貴方……」

 頬にかかる赤い髪に手を伸ばそうとすれば、彼女は飛びのくような動作と共に私の手を叩きつけた。

「何よ!! 私を馬鹿にして!! そうやって力を見せつけて!! 本当嫌味な女!!」

 動揺。
 怯え。
 涙ぐむ表情。
 震える身体。

 それらは……条件反射のように彼女を襲っているように見え、哀れみすら覚え……言葉は穏やかに問いかける。

「いい加減にして頂戴。 嫌がらせに次ぎは弱者の振り? 私の方が聞きたいわ、何をしたい訳よ」

「はぁ?! ふざけているの!!」

 アンは、私の婚約者であるユーリの幼馴染で、恋人……のような……そんな関係。 私を良く思わないのは当然のことで、同情は要らない……と言う感情が強いのだろう。 私は小さく溜息をついた。

 それでも、わざわざ……こんな日に来なくとも……。

 幼馴染で恋人。 アンはそんな自分を何時だって優位な立場だとでも考えているのだろう。 私を見下し馬鹿にしているのかもしれないけれど、実質、商会の経営に携わっているのは彼女ではなく私で、商会に必要とされているのも私、ユーリと結婚するのも私。

 彼女の意味のない自尊心に私は何時ものように薄く笑う。

 どれほど身体を交わしても、情があったとしても、彼女が報われる日が来ないのだから……そう思う事で、私は……私の心を救う。





 机に叩きつけられ大きな箱が歪み凹んでいた。
 私は溜息と共に箱を開けた。

 不敵な笑みを浮かべるアン。

 箱に入っていたのは一着のドレス。

「このドレスは?」

 私は箱の中のドレスを一瞥し、感情の籠らない声で問いかけながらアンを冷ややかに睨みつければ、ビクッと彼女は身を震わせ怯えた様子を見せ、それが余りにも過剰とも言える反応で違和感を覚えてしまう。

 ぇ?

「ユーリ様がセレナ様のためにご用意されたものです」

 怯え視線をそらし、ボソボソと陰気臭い……何時もの彼女に戻っていた。

 箱の中から出したドレスは、布地が強張り、伸び、刺繍は引き釣り、シミなども見られる。そのくたびれたドレスは幾人もの人間が袖を通していたのは一目瞭然と言う奴だ。

 途方に暮れている私の顔に、アンは小さく歪な笑みを浮かべており、私はそんな彼女を無視する事にした。

「そう……」

 私は薄汚れたドレスを乱暴にソファの上に投げ置き私は衣装部屋へと歩きだす。 広い衣装部屋には3着の真新しいドレスが並んでいる。

 見栄を好み、権力に意味を見出すオルエン家の者達には、私は厳しく育てられはしたけれど、多くの物が与えられた。 その痕跡がないのは、社交的な場をニガテとする私の変わりに双子の妹が社交の場に出向いていたから。

 そう言えば……今日の卒業パーティ、エリスはどうしているのかしら?? 10歳の時にオルエン商会の次期跡取りとの婚約が決まった私とは違い、双子の妹エリスに浮いた話と言うものが聞いた事は無い。

 借金こそないが、今も実家は豊かとはいえない。

 ここ数日、彼女は商会に来ていないけれど、ドレスに装飾品……どうしたのかしら? そんな事を考えながら私は残された3着のドレスを見比べた。

 残されたドレスは派手さこそないけれど、世間に流通されていない布地を使い、多くの手間をかけたものでどのドレスも卒業パーティに相応しいと言えるだろう。

 私は3着のうちの1着、濃い紫色のドレスを手に取り着替え始めた。

「せっかくユーリ様が準備してくださったドレスを無視されるのですか?」

 私の背後で、アンはニヤニヤとした笑みを浮かべている事は想像に容易く、少しばかりキツイ口調で私は言うのだ。

「何が正しいか会長に伺いに行くべきかしら?」

 私は艶やかな笑みを浮かべながら鏡越しに言えば、苦虫をかみつぶしたようなアンは壁を蹴りつけ去って行った。
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