47 / 140
舞踏会
6
しおりを挟む
――翌日。
日の出と同時に、ルーカスは目覚めた。
まだ誰も目覚めぬ、静まり返った宿屋の一室で、ルーカスは着替えを済ませると、そっと部屋を出た。
朝露が上がり切る前の、ひんやりとした空気が心地好い。
靄の残る街道は、ひっそりとして、昼間の活気が嘘のようだった。
ルーカスは、朝陽に向かって深呼吸を一つした。
昨日の興奮が、まだ心のどこかに残っている。
オリヴィエの、思わぬ態度は、ルーカスの気持ちを乱した。
寝しなの挨拶を交わした時。
ふとした出来心で、偽りの名を口にした。
微笑みかけると、ハッと目を見開いて、すぐに顔を真っ赤にした。
潤んだ瞳で、挨拶を返してくれた。
その瞬間、うっかり抱きしめたくなる衝動を、抑えるのに苦心した。
オリヴィエの態度が素直で、可愛らしくて、思わず頬が緩んだ。
あんなに動揺するとは思わなかった。
あの反応は、ルーカスへ向けられたものだろうか。
それとも、ルーカスの扮するレヴァンシエルに対するものだろうか。
レヴァンシェルの立場なら、抱きしめてしまっても問題にならなかったろうか。
宿の裏手に回り、露の残る草の上を、さく、さく、と音を立てて歩く。
露は革靴にいくつもの筋を作るが、染み入るほどではない。
屈んでひと房、蕾の膨らんだ雑草を引っこ抜いた。
薄紫や、白、薄緑の花弁が美しい花だ。
まだ、朝露に濡れて瑞々しい。
「もうすぐ花は開くのか」
ルーカスは、花に向かって無邪気に微笑んだ。
(オリヴィエの花だ)
この花を見た時に、思ったものだ。
白銀の髪や、翡翠の瞳を持つ彼女のようだと。
(……俺はやはり、あの子を想い切れないのだろうな)
忘れようとしても、できない。
本当はここ数年で、嫌というほど思い知っていた。
もしオリヴィエを妻にするのなら、覚悟が必要だ。
幸せにすべく全力を尽くす覚悟と、万一の時には彼女を傷付ける覚悟。
(想い切れないなら、今が、その時だ。セルゲイの言う通り……)
手に持った茎をくるり、と回す。
この花を、オリヴィエの眠る部屋の前に置いておこうか。
ふと、思いついて、ルーカスは苦笑した。
「……団長」
急に、声をかけられて内心驚く。
草むらから、見慣れた人影が現われた。ルーカスは、平然と返事をした。
「早いな」
現れたのはセルゲイだった。
どっ、どっ、と激しい鼓動と、手に持った花を背中に隠す。
「いや、隠せてないです。……いい年をして、乙女ですか」
「仰せの通り、いい年の男だ。乙女に見えるか」
見られてしまったものは仕方ない。
ルーカスは照れ隠しに、ふんと鼻を鳴らした。
掌を開いて、後ろ手に隠した花を叢に落とす。
「勿体ない。何も捨てなくても」
「お前、いつからいたんだ」
恥ずかしい話題は、なかったことにするに限る。
「団長が部屋を出られたあたりで目が覚めました。ですからさほど時間差はないかと」
しれっと、セルゲイは答えた。
(つまり、大体最初からバレてるじゃないか……!)
見せたくなかった姿を晒していたと今更わかって、ルーカスは一瞬眩暈を感じた。
やはりどこか平静さを欠いているらしい。
日の出と同時に、ルーカスは目覚めた。
まだ誰も目覚めぬ、静まり返った宿屋の一室で、ルーカスは着替えを済ませると、そっと部屋を出た。
朝露が上がり切る前の、ひんやりとした空気が心地好い。
靄の残る街道は、ひっそりとして、昼間の活気が嘘のようだった。
ルーカスは、朝陽に向かって深呼吸を一つした。
昨日の興奮が、まだ心のどこかに残っている。
オリヴィエの、思わぬ態度は、ルーカスの気持ちを乱した。
寝しなの挨拶を交わした時。
ふとした出来心で、偽りの名を口にした。
微笑みかけると、ハッと目を見開いて、すぐに顔を真っ赤にした。
潤んだ瞳で、挨拶を返してくれた。
その瞬間、うっかり抱きしめたくなる衝動を、抑えるのに苦心した。
オリヴィエの態度が素直で、可愛らしくて、思わず頬が緩んだ。
あんなに動揺するとは思わなかった。
あの反応は、ルーカスへ向けられたものだろうか。
それとも、ルーカスの扮するレヴァンシエルに対するものだろうか。
レヴァンシェルの立場なら、抱きしめてしまっても問題にならなかったろうか。
宿の裏手に回り、露の残る草の上を、さく、さく、と音を立てて歩く。
露は革靴にいくつもの筋を作るが、染み入るほどではない。
屈んでひと房、蕾の膨らんだ雑草を引っこ抜いた。
薄紫や、白、薄緑の花弁が美しい花だ。
まだ、朝露に濡れて瑞々しい。
「もうすぐ花は開くのか」
ルーカスは、花に向かって無邪気に微笑んだ。
(オリヴィエの花だ)
この花を見た時に、思ったものだ。
白銀の髪や、翡翠の瞳を持つ彼女のようだと。
(……俺はやはり、あの子を想い切れないのだろうな)
忘れようとしても、できない。
本当はここ数年で、嫌というほど思い知っていた。
もしオリヴィエを妻にするのなら、覚悟が必要だ。
幸せにすべく全力を尽くす覚悟と、万一の時には彼女を傷付ける覚悟。
(想い切れないなら、今が、その時だ。セルゲイの言う通り……)
手に持った茎をくるり、と回す。
この花を、オリヴィエの眠る部屋の前に置いておこうか。
ふと、思いついて、ルーカスは苦笑した。
「……団長」
急に、声をかけられて内心驚く。
草むらから、見慣れた人影が現われた。ルーカスは、平然と返事をした。
「早いな」
現れたのはセルゲイだった。
どっ、どっ、と激しい鼓動と、手に持った花を背中に隠す。
「いや、隠せてないです。……いい年をして、乙女ですか」
「仰せの通り、いい年の男だ。乙女に見えるか」
見られてしまったものは仕方ない。
ルーカスは照れ隠しに、ふんと鼻を鳴らした。
掌を開いて、後ろ手に隠した花を叢に落とす。
「勿体ない。何も捨てなくても」
「お前、いつからいたんだ」
恥ずかしい話題は、なかったことにするに限る。
「団長が部屋を出られたあたりで目が覚めました。ですからさほど時間差はないかと」
しれっと、セルゲイは答えた。
(つまり、大体最初からバレてるじゃないか……!)
見せたくなかった姿を晒していたと今更わかって、ルーカスは一瞬眩暈を感じた。
やはりどこか平静さを欠いているらしい。
15
お気に入りに追加
470
あなたにおすすめの小説
【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~
塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます!
2.23完結しました!
ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。
相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。
ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。
幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。
好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。
そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。
それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……?
妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話
切なめ恋愛ファンタジー
夫の心がわからない
キムラましゅろう
恋愛
マリー・ルゥにはわからない。
夫の心がわからない。
初夜で意識を失い、当日の記憶も失っている自分を、体調がまだ万全ではないからと別邸に押しとどめる夫の心がわからない。
本邸には昔から側に置く女性と住んでいるらしいのに、マリー・ルゥに愛を告げる夫の心がサッパリわからない。
というかまず、昼夜逆転してしまっている自分の自堕落な(翻訳業のせいだけど)生活リズムを改善したいマリー・ルゥ18歳の春。
※性描写はありませんが、ヒロインが職業柄とポンコツさ故にエチィワードを口にします。
下品が苦手な方はそっ閉じを推奨いたします。
いつもながらのご都合主義、誤字脱字パラダイスでございます。
(許してチョンマゲ←)
小説家になろうさんにも時差投稿します。
婚約破棄はまだですか?─豊穣をもたらす伝説の公爵令嬢に転生したけど、王太子がなかなか婚約破棄してこない
nanahi
恋愛
火事のあと、私は王太子の婚約者:シンシア・ウォーレンに転生した。王国に豊穣をもたらすという伝説の黒髪黒眼の公爵令嬢だ。王太子は婚約者の私がいながら、男爵令嬢ケリーを愛していた。「王太子から婚約破棄されるパターンね」…私はつらい前世から解放された喜びから、破棄を進んで受け入れようと自由に振る舞っていた。ところが王太子はなかなか破棄を告げてこなくて…?
[完結]いらない子と思われていた令嬢は・・・・・・
青空一夏
恋愛
私は両親の目には映らない。それは妹が生まれてから、ずっとだ。弟が生まれてからは、もう私は存在しない。
婚約者は妹を選び、両親は当然のようにそれを喜ぶ。
「取られる方が悪いんじゃないの? 魅力がないほうが負け」
妹の言葉を肯定する家族達。
そうですか・・・・・・私は邪魔者ですよね、だから私はいなくなります。
※以前投稿していたものを引き下げ、大幅に改稿したものになります。
旦那様は大変忙しいお方なのです
あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。
しかし、その当人が結婚式に現れません。
侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」
呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。
相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。
我慢の限界が――来ました。
そちらがその気ならこちらにも考えがあります。
さあ。腕が鳴りますよ!
※視点がころころ変わります。
※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
婚姻契約には愛情は含まれていません。 旦那様には愛人がいるのですから十分でしょう?
すもも
恋愛
伯爵令嬢エーファの最も嫌いなものは善人……そう思っていた。
人を救う事に生き甲斐を感じていた両親が、陥った罠によって借金まみれとなった我が家。
これでは領民が冬を越せない!!
善良で善人で、人に尽くすのが好きな両親は何の迷いもなくこう言った。
『エーファ、君の結婚が決まったんだよ!! 君が嫁ぐなら、お金をくれるそうだ!! 領民のために尽くすのは領主として当然の事。 多くの命が救えるなんて最高の幸福だろう。 それに公爵家に嫁げばお前も幸福になるに違いない。 これは全員が幸福になれる機会なんだ、当然嫁いでくれるよな?』
と……。
そして、夫となる男の屋敷にいたのは……三人の愛人だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる