54 / 65
美坊主の悪あがき
3話
しおりを挟む
本来なら行儀作法に則った素晴らしい食事風景なのに、静けさが奇妙すぎて悠耶は吹き出した。
握り飯の一口分がまだ残っていたのに、我慢しきれなかった。
「何です、突然、どうなさったのです!?」
笑い出す要素に何一つ覚えがなく、深如は慌てて辺りを見回した。
前回は惣一郎がいたからそこまで気にならなかったが、完全無音での食事は逆に不自然で珍妙だ。
「だって、深如ってば飯を食うのに全然、音がしないんだもの! ずっと見ていたら可笑しくなっちゃって」
「はっ? ……はぁ、左様なことが可笑しいと。かような姿が面白ければ、いつでも、毎日でもお見せできますよ」
深如は悠耶の理解し難い感性に一度は昏惑しながら、しかし、すぐにぐっと身を乗り出した。
「別に、毎日はいいよ。そのうち飽きちゃうから」
深如は「おお」と嘆いて箸を置いた。この時も音は極小量だ。
「願望させておいて何といういけずを仰るのか。拙僧は遠回しに、祝言を挙げて一緒に暮らそうと申し上げているのです。拙僧の気持ちを、どうしてわかってくださらぬのか!」
「なんだ、またその話だったの。遠回しに言われちゃ、余計にわからないよ。説明させて悪いけど、おいらは祝言する気はないの」
きっぱり断って、握り飯の最後の一口を放り込む。
深如は膝で悠耶の横までにじり寄って来た。
「そのお話は、承服しかねます」
真面目ぶった表情で、何を承服しかねるのか。
深如が真剣そうなので、悠耶には珍しく順を追って考えてみる。
祝言を挙げようと言われたのを断って、飯を食って……。
考えながら、口の中の残り飯を咀嚼する。
深如は悠耶の目を見つめて、動かない。
「何を、承服しないの?」
残りの米を飲み込んでも、結局、何も思いつかないので素直に尋ねた。
深如は一息置いてゆっくり、だが強い口調で告げる。
「祝言を挙げぬのを、承服しないのです。どうか拙僧と夫婦になると仰って下さい。そうでないと困ります。もう猶予がありません」
「困るったって、おいらは初めから断っているだろ。猶予がないなら他を当たってよ」
「いいえ、困るのはお悠耶のほうです。拙僧は前々から申し上げておりました。お悠耶の類い希なる能力と、愛らしい姿を恋い慕っていると。手に入れるためならば何でも致します。鬼にもなろうと……拙僧は覚悟を決めたのです」
「鬼だなんて大仰な。深如が鬼になったって、おいらは嬉しくもなんともないや」
悠耶は人の意見に耳を貸さない深如から、ぷいと顔を逸らした。
毎度、口説き文句は熱心だった。
だが、深如の言葉と仕草にはいつも清々しさと余裕があった。
ところが今日はいささか熱気が強い。おまけに早口だ。玲瓏さは微塵も感じられない。
正直なところ、少し鬱陶しいくらいだ。
「これでもお分かりにならないのなら、はっきりと申し上げます。うん、と言わぬなら、今ここで手籠めに致します」
逸らした顔を両手で挟まれ、正面を向かされる。
深如の顔が、正に目と鼻の先まで近づいていた。
ここまでされると鬱陶しいを通り越して、迷惑だ。
暑苦しいし、悠耶は上体を反らし、後ろに下がる。
致します。と宣言されても悠耶はその言葉が何を意味するのか、得心できなかった。
該当する単語の意味が、記憶の中に存在しない。
「でもね、おいらは―――」
馬鹿の一つ覚えで、断り文句を発した口を掌で塞がれる。
あっと思う間もなく、覆い被さられ、背中を畳に押し付けられた。
深如は真面目な顔を絶賛継続中で、食事の途中で急に遊び始めた様子ではない。
(えっと……? 何、これ。どういうこった? この情態)
尋ねたくとも声を出させてもらえない。
不断は物腰穏やかで、女性のように柔和な風情の深如だ。
だが、密着した体は見た目以上に重くて固い。
力も強くて、悠耶が体を捻ってもびくともしない。
深如はまだ食事の最中なのに、人を押し倒していったい何をするのか。
〝うん〟と言わねばテゴメに致すと言ったのだから、テゴメにしようとしているのか。
握り飯の一口分がまだ残っていたのに、我慢しきれなかった。
「何です、突然、どうなさったのです!?」
笑い出す要素に何一つ覚えがなく、深如は慌てて辺りを見回した。
前回は惣一郎がいたからそこまで気にならなかったが、完全無音での食事は逆に不自然で珍妙だ。
「だって、深如ってば飯を食うのに全然、音がしないんだもの! ずっと見ていたら可笑しくなっちゃって」
「はっ? ……はぁ、左様なことが可笑しいと。かような姿が面白ければ、いつでも、毎日でもお見せできますよ」
深如は悠耶の理解し難い感性に一度は昏惑しながら、しかし、すぐにぐっと身を乗り出した。
「別に、毎日はいいよ。そのうち飽きちゃうから」
深如は「おお」と嘆いて箸を置いた。この時も音は極小量だ。
「願望させておいて何といういけずを仰るのか。拙僧は遠回しに、祝言を挙げて一緒に暮らそうと申し上げているのです。拙僧の気持ちを、どうしてわかってくださらぬのか!」
「なんだ、またその話だったの。遠回しに言われちゃ、余計にわからないよ。説明させて悪いけど、おいらは祝言する気はないの」
きっぱり断って、握り飯の最後の一口を放り込む。
深如は膝で悠耶の横までにじり寄って来た。
「そのお話は、承服しかねます」
真面目ぶった表情で、何を承服しかねるのか。
深如が真剣そうなので、悠耶には珍しく順を追って考えてみる。
祝言を挙げようと言われたのを断って、飯を食って……。
考えながら、口の中の残り飯を咀嚼する。
深如は悠耶の目を見つめて、動かない。
「何を、承服しないの?」
残りの米を飲み込んでも、結局、何も思いつかないので素直に尋ねた。
深如は一息置いてゆっくり、だが強い口調で告げる。
「祝言を挙げぬのを、承服しないのです。どうか拙僧と夫婦になると仰って下さい。そうでないと困ります。もう猶予がありません」
「困るったって、おいらは初めから断っているだろ。猶予がないなら他を当たってよ」
「いいえ、困るのはお悠耶のほうです。拙僧は前々から申し上げておりました。お悠耶の類い希なる能力と、愛らしい姿を恋い慕っていると。手に入れるためならば何でも致します。鬼にもなろうと……拙僧は覚悟を決めたのです」
「鬼だなんて大仰な。深如が鬼になったって、おいらは嬉しくもなんともないや」
悠耶は人の意見に耳を貸さない深如から、ぷいと顔を逸らした。
毎度、口説き文句は熱心だった。
だが、深如の言葉と仕草にはいつも清々しさと余裕があった。
ところが今日はいささか熱気が強い。おまけに早口だ。玲瓏さは微塵も感じられない。
正直なところ、少し鬱陶しいくらいだ。
「これでもお分かりにならないのなら、はっきりと申し上げます。うん、と言わぬなら、今ここで手籠めに致します」
逸らした顔を両手で挟まれ、正面を向かされる。
深如の顔が、正に目と鼻の先まで近づいていた。
ここまでされると鬱陶しいを通り越して、迷惑だ。
暑苦しいし、悠耶は上体を反らし、後ろに下がる。
致します。と宣言されても悠耶はその言葉が何を意味するのか、得心できなかった。
該当する単語の意味が、記憶の中に存在しない。
「でもね、おいらは―――」
馬鹿の一つ覚えで、断り文句を発した口を掌で塞がれる。
あっと思う間もなく、覆い被さられ、背中を畳に押し付けられた。
深如は真面目な顔を絶賛継続中で、食事の途中で急に遊び始めた様子ではない。
(えっと……? 何、これ。どういうこった? この情態)
尋ねたくとも声を出させてもらえない。
不断は物腰穏やかで、女性のように柔和な風情の深如だ。
だが、密着した体は見た目以上に重くて固い。
力も強くて、悠耶が体を捻ってもびくともしない。
深如はまだ食事の最中なのに、人を押し倒していったい何をするのか。
〝うん〟と言わねばテゴメに致すと言ったのだから、テゴメにしようとしているのか。
0
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説
曼珠沙華 -御伽噺は永遠に-
乙人
歴史・時代
-私は、恋をしてはならなかったの?
叶わぬ恋をした琴乃。
家族、恋人に先立たれ、独り遺された。
叔父の邸に引き取られてからは、更に従姉妹に虐められ、お気に入りの女房を取り上げられ………と、精神的苦痛を味わうのだが………
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
私の以外の誰かを愛してしまった、って本当ですか?
樋口紗夕
恋愛
「すまない、エリザベス。どうか俺との婚約を解消して欲しい」
エリザベスは婚約者であるギルベルトから別れを切り出された。
他に好きな女ができた、と彼は言う。
でも、それって本当ですか?
エリザベス一筋なはずのギルベルトが愛した女性とは、いったい何者なのか?
融女寛好 腹切り融川の後始末
仁獅寺永雪
歴史・時代
江戸後期の文化八年(一八一一年)、幕府奥絵師が急死する。悲報を受けた若き天才女絵師が、根結いの垂髪を揺らして江戸の町を駆け抜ける。彼女は、事件の謎を解き、恩師の名誉と一門の将来を守ることが出来るのか。
「良工の手段、俗目の知るところにあらず」
師が遺したこの言葉の真の意味は?
これは、男社会の江戸画壇にあって、百人を超す門弟を持ち、今にも残る堂々たる足跡を残した実在の女絵師の若き日の物語。最後までお楽しみいただければ幸いです。
今、姉が婚約破棄されています
毒島醜女
恋愛
「セレスティーナ!君との婚約を破棄させてもらう!」
今、お姉様が婚約破棄を受けています。全く持って無実の罪で。
「自分の妹を虐待するなんて、君は悪魔だ!!」
は、はい?
私がいつ、お姉様に虐待されたって……?
しかも私に抱きついてきた!いやっ!やめて!
この人、おかしくない?
自分の家族を馬鹿にするような男に嫁ぎたいと思う人なんているわけないでしょ!?
べらぼう旅一座 ~道頓堀てんとうむし江戸下り~
荒雲ニンザ
歴史・時代
【長編第9回歴史・時代小説大賞 笑えて泣ける人情噺賞受賞】
道頓堀生まれ、喜劇の旅一座が江戸にやって来た!
まだ『喜劇』というジャンルが日本に生まれていなかった時代、笑う芝居で庶民に元気を与える役者たちと、巻き込まれた不器用な浪人の人情噺。
【あらすじ】
本所の裏長屋に住む馬場寿三郎は万年浪人。
性格的に不器用な寿三郎は仕官先もみつからず、一日食べる分の仕事を探すのにも困る日々。
顔は怖いが気は優しい。
幸い勤勉なので仕事にありつければやってのけるだけの甲斐性はあるが、仏頂面で客商売ができないときた。
ある日、詐欺目当ての浪人に絡まれていた娘てんとうを助けた寿三郎。
道頓堀から下ってきた旅一座の一人であったてんとうは、助けてくれた寿三郎に礼がしたいと、一座の芝居を見る機会を与えてくれる。
まあ色々あってその一座に行くことになるわけだが、これがまた一座の奴らがむちゃくちゃ……べらんめぇな奴ばかりときた。
堺の笑いに容赦なくもみくちゃにされる江戸浪人を、生温かく見守る愛と笑いの人情噺。
大事なのは
gacchi
恋愛
幼いころから婚約していた侯爵令息リヒド様は学園に入学してから変わってしまった。いつもそばにいるのは平民のユミール。婚約者である辺境伯令嬢の私との約束はないがしろにされていた。卒業したらさすがに離れるだろうと思っていたのに、リヒド様が向かう砦にユミールも一緒に行くと聞かされ、我慢の限界が来てしまった。リヒド様、あなたが大事なのは誰ですか?
首切り女とぼんくら男
hiro75
歴史・時代
―― 江戸時代
由比は、岩沼領の剣術指南役である佐伯家の一人娘、容姿端麗でありながら、剣術の腕も男を圧倒する程。
そんな彼女に、他の道場で腕前一と称させる男との縁談話が持ち上がったのだが、彼女が選んだのは、「ぼんくら男」と噂される槇田仁左衛門だった………………
領内の派閥争いに巻き込まれる女と男の、儚くも、美しい恋模様………………
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる