お江戸のボクっ娘に、若旦那は内心ベタ惚れです!

きぬがやあきら

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悪戯犯

5話

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「ただ腕が痛いから離して欲しかっただけだよ。深如も来たし、早く行こう」

「ああ、……悪かった。そうだ、そうだったな」
  
 自分の手をちらりと見つめて、惣一郎は急に落ち込んだ様子を見せる。
  
 優しかったり、怖かったり、元気がなかったり。もう、訳がわからない。
  
 考えるのも面倒なので、悠耶は次の目的に集中することにした。
  
 南に下るより前に、東側にある並木町の《長谷屋》へ寄りたい。
  
 藤川屋から長谷屋は、本願寺から藤川屋よりも、もっと近い。
  
 町名こそ違うが、ほんの二辻先だ。
  
 長谷屋は裏長屋にある裏店だった。木戸番小屋で番太郎に挨拶をして、まっすぐに進む。
  
 さっきは通り沿いの表長屋だったから問題なかったが、裏店ならなるほど。木戸番と面識があると、話が早い。
  
 悠耶も浅草に住んでいたものの、大川に面したこちらの町には、あまり訪れる機会がなかった。

 しかし口入れ屋はいかに多くの人と顔馴染みになれるかが商売の肝だ。

 どの町へ行っても知り合いを増やすに越したことはない。楽ちんだからと深如任せでは、よろしくない。

 井戸に面した部屋が長谷屋だ。ここで豆腐を作って、店主が売り歩きに出ているらしい。

「ごめん下さい。本願寺の深如でございます。先日ご相談頂いた件で、頼りになる者を連れて参りました。お話を伺えませんでしょうか」

「ああ、深如さん。来てくださったんですか」

 深如が丁寧に口上を述べると、恰幅の良い中年女性が顔を出す。長谷屋の女将だ。

「あら?  この子たちが?」

「こちらは本所にお住いの……」

「深如さんよ、お悠耶にもきちんと挨拶をさせてやってくれよ」

 惣一郎は落ち着いた口調を取り戻し、深如の台詞を遮った。

 悠耶の肩を少し前に押し出す。挨拶しろとの合図に違いない。

 悠耶の思考を読んだのだろうか。 

「おいらは、本所の相生町に住む酒井悠耶です。食べ物に悪戯している犯人を探すために来ました。お話を聞かせてください」

〝きちんと〟を意識して、悠耶は一句一句、深如の口上をなぞらえて名乗りを上げた。

「俺は同じく相生町の三河惣一郎です。手伝いについて来ました」

 惣一郎がやや控えめに接客用の笑顔を浮かべる。悠耶も真似て笑顔を作った。

「まあまあ可愛い子たちばかりで、ありがたいね。ただ、うちの人は今、振り売りに出ちゃってるのよ」

 女将は満面の笑みを見せた後、付け加えて手を肉厚な頬に当てた。

「大丈夫だよ、ですよ!  中を見てもいい?  ですか?」

「やあだ。面白い子だねえ。いいよ、かしこまらなくて」

「ああ良かった!  格好つけたけど喋りにくくって。中を見せて欲しいの」

「どうぞ。何も変わらないと思うけど」
 
 中を覗くと悠耶の部屋よりも一回り大きい。奥に縁側と障子がついていて、今は開け放されている。

(あっ、動いた)

 障子の向こうで、薄い影が左から右へ動いた。影が薄ぼけているから、人間じゃなさそうだ。

 大きさもかなりあるから、虫ではない。

「女将さんとご主人の好きな食べ物は?」 

 一度、振り返り、後ろに立っている女将に目を戻す。

 そういえば、さっきの藤川屋では好きな食べ物を質問するのを忘れた。抜けていた失態を悔やむ。

「えっと……やっぱり豆腐かねえ。毎日、食べても飽きないもの。でも秋刀魚も、鰻もおでんも天麩羅も、寿司も、蕎麦も、田楽も皆んな大好きさ!  挙げりゃあ、きりがない」

「じゃあ嫌いな食べ物は?」

「嫌いな食べ物なんてありゃあしないよ、勿体ない」
  
 好きな食べ物については熱心だった。

 だが、女将は嫌いな食べ物については、あっさり断言した。

「嫌いがないのは偉いね。おいらも何でも食べるけど。あれ、山椒は苦手だなあ」

「あはは、山椒は食べ物じゃないだろ。ん?  ……あ、そう言えば」

 悠耶が女将の言葉に再び注意を傾けようとしたところへ、急に惣一郎の声が飛び込む。

「おいっ、お悠耶!  ここに、いるぞ!  怪しいのが!!」

 いつの間にか裏に回っていた惣一郎が、障子の外で叫んでいる。

「待てよ!  逃げるな、往生際が悪……うわっ、目がぁ」

 さっき動いた妖怪の姿に惣一郎も気づいたのだな、と察しながら悠耶は素早く履物を脱いで部屋を突っ切った。
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