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古着屋に妖怪現る

11話

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 だが、悠耶に当たり、留まった。

 妖怪は生気のない目で、惣一郎へと手を伸ばす。

「そんなの、嘘……」

 仄暗い洞穴から響く呪詛が、薄皮の張った細い唇から漂ってくる。

 かなり努力していたのだが、惣一郎の恐怖度は頂に達した。

 ひぃぃと悲鳴が漏れてしまう。

 だが、妖怪の伸ばした指が惣一郎の襟元へ触れる前に、一瞬、伽藍堂の瞳に光が差した。

「あ」という間もない。妖怪は何の前触れもなく前に転けた。

 悠耶と妖怪に挟まれて、身動きの取れない惣一郎はいっそ卒倒したい心地になる。

 だが、今回はそう都合よくいかなかった。

 しかし実際には妖怪は転けたのでなく、分厚い皮が剥げ落ちただけだった。

 蝉が脱皮するように、裂けた背中から小さな女の形を残して、化物の皮がそっくり剥がれて落ちた。

 落ちた皮は惣一郎に触れ、地に当った打撃で、砕けて霧になる。

 後に残ったのは、女中の幸だった。

 幸は足元に安定を欠いて、倒れそうになった。

 惣一郎の陰から悠耶が、慌てて飛び出して支えた。

 台所から妖怪の姿形が消えて、景色が日常に帰る。

 恐ろしさのあまり忘れていた呼吸を思い出し、惣一郎は肩で息を繰り返した。

「どうして、お幸が…?」

 幸を身体中で支えて、力が足りずに悠耶は潰れた。

 幸と共に地面に倒れ込む。

 だけれど、惣一郎は手助けできない。

 強直の糸が切れて、自分もその場にへたり込んでしまった。
  
 少し間を置いて、寛太が危うい足取りで惣一郎の元へやって来た。

 化物と入れ替わりに現れた幸と、支えていた悠耶にも警戒の目を向けている。

「若旦那、ご無事ですか」

 見えなくなった怪物が、本当にどこにもいないのか。

 辺りを確かめつつ、他の者も恐る恐る動き始める。

 店先にいた数名も何事かと顔を覗かせた。

「俺は大丈夫だ。お悠耶たちを助けてやってくれ」

 惣一郎は足に力が入らないだけで、身体に害はないと承知している。

 みっともないので、むしろ構わないで欲しい。

「しかし、お悠耶さんは……化物の一味とは違うんですか。何か知っている様子ですし、化物を全く怖がらなかった。お幸も一枚、噛んでいたのでは」

 惣一郎は寛太を見上げた。

 寛太が今、恐れているのは、消えてしまった怪物ではなく、自分の納得を超えた世界だ。

 お江戸に怪談噺は数多あれど、聴くと見るでは大違いだ。

 寛太ほど真面目だと受け止めるのも一苦労らしい。

 悠耶が何か仕掛けをして、皆を混乱させたと思うほうが楽だ。

 その場に居合わせた女中たちの中にも、同様に考える者もいるようだ。

 寛太の言葉に頷きつつ、次の流れを見守っている。

 後から来た者は訳が分からず、不思議そうな面持ちだ。

「お悠耶の言うようにしたら騒ぎが治った。だから、お悠耶のせいだろうって?  幾ら何でも、あんまりだろ」

 後から来た者への回答より先に、惣一郎は思いのままを述べた。  

 惣一郎にはわかっている。原因は悠耶じゃない。

 悠耶は常識に欠ける部分もある。

 だが、自作自演の悪戯をして他人を脅かすような質の悪い真似は、しない。

 いや、しないのではく、そもそも思いつかない。

 けれど、何と言って講釈すれば皆は納得するだろう。
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