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異変
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揺れは一度きりだったが、木立が総毛立つように膨れ上がり、宿を借りていた鳥や小動物が、一斉に飛び出した。
「いったい今の揺れは……地震でしょうか?」
「それにしても何やら不吉な」
「ともかく……お暇しましょうか」
揺れが治まると、周囲のざわめきも落ち着いた。
しかし、ヴァイスの受ける感懐は、揺れの最中もその後も、まるで変わらなかった。
(今のは……なんだ?)
ヴァイスは怖気とも嫌気とも取れる、底冷えするような感覚を覚えていた。
感覚の正体には行きつかない。だが、得体の知れない気色の悪さに背を押され、ヴァイスは走り出していた。
「ヴァイス!? どこへ行く?」
ネンゲルはしばし警戒するように周囲を見渡していたが、すぐにヴァイスの後を追った。
「確認してくる。兄上はサロンで待っていてくれ」
「どこで、何を?」
「聖殿の方角だ。揺れの元を探す。根拠はないから待っていてくれ」
ヴァイスが止めても、ネンゲルは追跡をやめない。
追いつき、並走しながら軽口を叩く。
「ヴァイスの行動にはいつだって根拠などない。だが、正しいだろう?」
そうだったろうか?
「シオンとリラの所在が不明、ヴェーシュの態度も引っかかる。私たちが飛び出した横で血相を変えていたしな。向こうに、何かある」
ネンゲルの信頼は買い被りな気もするが、彼の観察眼は本物だ。
否定したところで実もない。
ヴァイスが黙って速度を上げると、ネンゲルもそれに続いた。
***
オニャアァ、オニャアア……
どこか遠くで、猫でも鳴いているのだろうか。
シオンは霞がかった、白っぽい風景の中で、夢と現の間を彷徨っていた。
「う……ん」
瞼が重い。
身体がだるくて、指の一本も動かすのが億劫だった。
それでもなんとかして目を開けると、鳴き声はいっそう大きくなる。
頭上には豪奢な天蓋。
身体の上には清潔なシーツの肌触り。
どうやらベッドの中で眠っていたようだと、漠然と理解する。
(ここは……どこ?)
オギャァア、オギャアア……
「リラ?」
反射で、名前を呼んでいた。シオンは目を擦りながら起きあがろうとする。が、思うように動けない。
よっぽど体が疲れているのだろうか。
腹部に鈍い痛みが走る。
(そうだ。私、赤ちゃん産んだんだ。リラ……オムツが濡れたのかしら)
もぞ、と動いた途端、泣き声はぴたりと止んだ。
無造作に手を伸ばしても、何にも届かない。
シュニー城の寝室は無駄に広いから。
寝ぼけた頭が、少しずつ記憶を手繰り寄せる。
そのついでに、近くに別の温もりがないのか探るように手を動かす。
そうだ。シオンには夫と赤ちゃんがいる。
唐突に、望んでもいないのに無理矢理に、与えられた。
だけどその代わりに、喩えようのない安らぎと、愛情を手に入れた。
シオンはこの生活に、満たされつつあった。
母と信じて疑わず、シオンに無条件の信頼を向けるリラ。
愛を囁き、本当の妻のように尊重して慈しんでくれるヴァイス。
できるなら何も考えずに、この幸福に浸っていたい。
けれど、できない。
「いったい今の揺れは……地震でしょうか?」
「それにしても何やら不吉な」
「ともかく……お暇しましょうか」
揺れが治まると、周囲のざわめきも落ち着いた。
しかし、ヴァイスの受ける感懐は、揺れの最中もその後も、まるで変わらなかった。
(今のは……なんだ?)
ヴァイスは怖気とも嫌気とも取れる、底冷えするような感覚を覚えていた。
感覚の正体には行きつかない。だが、得体の知れない気色の悪さに背を押され、ヴァイスは走り出していた。
「ヴァイス!? どこへ行く?」
ネンゲルはしばし警戒するように周囲を見渡していたが、すぐにヴァイスの後を追った。
「確認してくる。兄上はサロンで待っていてくれ」
「どこで、何を?」
「聖殿の方角だ。揺れの元を探す。根拠はないから待っていてくれ」
ヴァイスが止めても、ネンゲルは追跡をやめない。
追いつき、並走しながら軽口を叩く。
「ヴァイスの行動にはいつだって根拠などない。だが、正しいだろう?」
そうだったろうか?
「シオンとリラの所在が不明、ヴェーシュの態度も引っかかる。私たちが飛び出した横で血相を変えていたしな。向こうに、何かある」
ネンゲルの信頼は買い被りな気もするが、彼の観察眼は本物だ。
否定したところで実もない。
ヴァイスが黙って速度を上げると、ネンゲルもそれに続いた。
***
オニャアァ、オニャアア……
どこか遠くで、猫でも鳴いているのだろうか。
シオンは霞がかった、白っぽい風景の中で、夢と現の間を彷徨っていた。
「う……ん」
瞼が重い。
身体がだるくて、指の一本も動かすのが億劫だった。
それでもなんとかして目を開けると、鳴き声はいっそう大きくなる。
頭上には豪奢な天蓋。
身体の上には清潔なシーツの肌触り。
どうやらベッドの中で眠っていたようだと、漠然と理解する。
(ここは……どこ?)
オギャァア、オギャアア……
「リラ?」
反射で、名前を呼んでいた。シオンは目を擦りながら起きあがろうとする。が、思うように動けない。
よっぽど体が疲れているのだろうか。
腹部に鈍い痛みが走る。
(そうだ。私、赤ちゃん産んだんだ。リラ……オムツが濡れたのかしら)
もぞ、と動いた途端、泣き声はぴたりと止んだ。
無造作に手を伸ばしても、何にも届かない。
シュニー城の寝室は無駄に広いから。
寝ぼけた頭が、少しずつ記憶を手繰り寄せる。
そのついでに、近くに別の温もりがないのか探るように手を動かす。
そうだ。シオンには夫と赤ちゃんがいる。
唐突に、望んでもいないのに無理矢理に、与えられた。
だけどその代わりに、喩えようのない安らぎと、愛情を手に入れた。
シオンはこの生活に、満たされつつあった。
母と信じて疑わず、シオンに無条件の信頼を向けるリラ。
愛を囁き、本当の妻のように尊重して慈しんでくれるヴァイス。
できるなら何も考えずに、この幸福に浸っていたい。
けれど、できない。
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