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2. 奪われた指輪

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 わたくしは急いで自室に戻りました。
 自室には小さな衣装室が続き部屋で作られており、幾つものドレスがかけてあります。
 わたくしはそこへ入るのではなく、衣装室の扉のすぐ横の羽目板を両手で押し込みます。
 すると羽目板は僅かにずれ、次いで上の方を押せば回転して少しだけ浮き上がります。
 その下に隠れた板を横向きにずらすと人ひとりが何とか通れる穴になりました。

 これは隠し部屋への通路です。
 祖母がこのドルイユ侯爵家に輿入れした時に祖父が屋敷を大々的に改修し、隠し部屋を作って有事の際に逃げ込めるようにしたのです。
 この部屋の存在は祖母から母、そして母から私にだけ伝えられた為、他の人は知りません。

仕掛けるなんて、わたくしは本当にずるくて卑怯になってしまったわね」

 隠し部屋の中に作った小さな祭壇を見ます。蝋燭もありますが、今は火をつけない方が良いと判断しました。
 万が一羽目板の隙間から光が漏れれば見つかってしまうでしょう。そうなればわたくしはおしまいです。

 バタン!!

 激しくドアを開ける音と共に、アマンディーヌの大声が聞こえます。

「フロレンス!! どこ!?」

 勿論わたくしは答えません。暗く小さな部屋の中で、自分の肩を抱き息を潜めて壁にぴったりと身を寄せます。
 自分の左腕がズキンズキンと脈打ち熱くなるのがわかりました。

 万が一、この隠し部屋の存在が義妹にわかってしまったらと思うと恐怖に震えますが、胸のペンダントを握って心を落ち着かせます。
 今までいろんな宝飾品をアマンディーヌに「ずるい」と言われ取り上げられてきましたが、このロケットペンダントと王家より贈られた婚約指輪だけは死守してきました。
 尤も、この古びたペンダントは取り上げられそうになった後に返されたのですが。
 中には亡き母によく似た人物画が入っているだけと知ったアマンディーヌは興味を無くしたのです。

 アマンディーヌが衣装室のドアを乱暴に明け、中のドレスをかき分ける音が聞こえます。

「こんなドレスも隠していたのね! ずるい女!」

「アマンディーヌ様、お止めください!」

「なによ! あんたなんかお義父様に言ってクビにしてやるから!」

 アマンディーヌとハリーが言い争う声が聞こえます。
 義妹はまた私のドレスを取り上げるつもりなのでしょう。
 どうせ細身のわたくしに合わせて作られたドレスでは、彼女の豊かな胸を包む事はできないでしょうに。
 ガタンガタンと引き出しを開ける音もします。
 そこに隠していた大事な物も見つけたに違いありません。

「……これも私のものよ!」

「……それは! それだけはお止めください、アマンディーヌ様! それはフロレンス様が王家から賜ったものです!!」

「だからこそ私のものになるんじゃない! 文句があるならユベールに言ってみなさいよ!!」

「お待ちください!!」

 言い争う声が一層大きくなりましたが、アマンディーヌは勝ち誇った声でハリーに言いました。
 ハリーは言葉で抵抗していましたが二人は去っていくようです。

 カチャリ

 ドアが丁寧に閉まる音がしました。どうやらハリーを証人としてアマンディーヌに付けて正解だったようです。
 この一連のやりとりを長年わたくし達に仕えてくれているハリーが証言してくれれば、流石の父も信じないわけにはいかないでしょう。
 それにアマンディーヌひとりならドアをわざと閉めた音をさせてまだ室内に居るといった可能性も捨てきれませんが、あの丁寧な閉めかたはハリーの動作によるものです。
 私はもう自室に誰も居ない事を確信して、隠し部屋からそっと出ました。

 衣装室はめちゃめちゃに荒らされていました。引き出しも全て開けられたままです。
 先程の声を聞いてわかっていましたが、大事な指輪も箱だけが残され中身が奪われていました。

 衣装室はそのままにして部屋に戻り、窓際に寄って外を伺います。
 1台の馬車が正門を抜け、こちらに向かってくる所でした。
 あの馬車は……。
 ここまではほぼ思い通りに進んでいることに満足し、わたくしはドレスの首元からペンダントを取り出して口づけました。


 馬車が到着して少ししてから誰にも見られないように自室を出たわたくしは、屋敷の大階段を降りた所でアマンディーヌの大声を聞きました。

「見つけたわ! 私の勝ちね!!」

 振り向くとアマンディーヌが仁王立ちをしています。その後ろには顔色の良くないハリー。

「お父様がお戻りの時まで見つからなければわたくしの勝ちでしょう? 先程馬車の音がしましたから、もうお父様がお戻りではなくって?」

 わたくしの言葉に、ハリーが珍しく震える声で返します。

「……いえ、フロレンスお嬢様。旦那様方はまだお帰りではございません。先程レオニール様がお越しになったのです」

 それを聞いたわたくしは無言で踵を返し、足早に応接室に向かいました。
 応接室のドアを開けると、わたくしの再従兄弟が長椅子から腰を上げます。
 わたくしがレオニールに歩み寄るより早く、彼がこちらに駆け寄ってわたくしの手を取りました。

「フロレンス、大丈夫かい? ああ、また痩せてしまったみたいだ。顔色も良くない。可哀想に」

 その言葉に嘘はありません。レオニールはまっすぐな目でわたくしを見て、心配をしてくれています。
 わたくしはその眼差しに胸が痛み、そしてその事に自分で内心驚きました。
 悪魔の囁きに堕ち、ずるくなると決めたのにまだ良心の呵責が残っていたなんて。

「レオニール、呼び出してごめんなさい……」

 わたくしにはこれ以上言えませんでした。勝ち誇った義妹の声が無遠慮に投げつけられます。

「ほらね! 私の勝ちよ!! 今お義父様も帰ってきたみたいだわ!!」

「アマンディーヌ、勝ちってなんの事だ?」

 再従兄弟が義妹を睨み付けて問います。

「フロレンスは私と勝負して負けたら婚約者交代を認めるって言ったのよ!」

「馬鹿な!……フロレンス、本当かい?」

 レオニールの問いに私が俯いたままでいると、応接室のドアが開いて父と義母、その後にハリーが入ってきました。
 ふたりは喜びを隠しきれずに言います。

「今ハリーから聞いたぞ。フロレンス、身を引くんだな」

「よく決心してくれたわね」

「お父様、お義母様、お帰りなさいませ……」

「お義父様! ねぇ、私が今日からユベール王子の婚約者でいいのですよね?」

 鼻にかかった甘い声で父にすり寄るアマンディーヌの左手の薬指にはわたくしの婚約指輪がはめられていました。
 ユベール殿下の血のような赤い髪と同じ、赤色の大きなルビーに瞳の色と同じ金の細工が施された美しい指輪です。

「アマンディーヌ! その指輪はわたくしの部屋に有ったものです! 何故貴方が勝手に持ち出して身に付けているの!?」

 わたくしは今日一番に大きな声を振り絞ります。

「えぇ~酷いわ、お姉様。勝手に持ち出したなんて……」

 アマンディーヌは泣き真似をしようとしましたが、ハリーがピシリと言ってくれました。

「差し出がましい様ですが、旦那様。真実でございます。私はアマンディーヌ様を必死にお止めしましたが、強引に婚約指輪をフロレンス様の部屋から持ち出されました」

「なっ、執事の癖に生意気よ!」

 アマンディーヌの声に父はピクリと眉を動かしましたが、義母がニヤニヤと取りなします。

「まぁ、良いじゃないの。今アマンディーヌがユベール王子の婚約者なら、その婚約指輪をつけて何が悪いの?」

「その指輪はわたくしのサイズに合わせて作られたものです。アマンディーヌには少々きついかと」

「酷い! お姉様、私が太っているって言うのね!!」

「いいえ、わたくしが細すぎるだけです。それにその指輪は王家から直々に婚約の証として賜ったものです。わたくしが婚約者を辞退するなら、まず王家に指輪を返却し、改めてアマンディーヌの為の指輪を用意頂くのが筋だと思っただけですわ」

「……いい加減にしないか、フロレンス」

 父がいらつきを隠しもせずに言います。先程『』と強調したのがお気に障ったのでしょうか。

「お前は二言目には王家、王家と拘りすぎるぞ。そんなに王家の姫だった祖母の血が自分に流れているのが誇らしいのか!? 王位継承権もないくせに。だからユベール殿下との婚約に執着したんだろうが、もう諦めろ!」

「お父様……」

 わたくしにはその時、父の目にはっきりと怒りの炎が燃えるのを見ました。
 薄々はわかってはいました。父は祖母に、母に、わたくしに、そしてこの名門と言われる侯爵家にもの思う事があったのではないかと。

 祖母は先々代国王陛下の一番下の妹姫でした。当時私の祖父と恋に落ち、輿入れしたと聞いています。
 祖母には子供が一人しかできませんでした。それが私の母で、侯爵家の惣領娘となり父を他所の伯爵家から婿として迎え入れ、父がドルイユ侯爵家を継いだのです。
 父は母が亡くなった後まで……義母と出会うまでは侯爵として立派にふるまってくれていました。ただ、内心では侯爵家の重圧と劣等感に苛まれていたのかもしれません……。

「フロレンス!!」

 気が付けばわたくしの身体はレオニールに支えられていました。父の怒りに一瞬我を失い、倒れかけたのです。

「……大丈夫。ちょっと貧血になっただけよ」

「部屋までついていくよ」

「お父様、お話は承知致しましたわ。失礼致します……」

 レオニールとメイドに付き添われ、自室に向かう途中に大広間を通った時に亡き母の肖像画が目に映りました。
 王家の血筋を象徴する金髪に瞳は薄い若草色。更に抜けるような白い肌がたおやかで美しい、愛する母。
 わたくしは父と同じ薄茶色の髪に焦げ茶色の瞳です。顔立ちも父に似ています。

「わたくしが母に似てさえいれば……」

 それならばこんな思いをせずにすんだのかもしれないのに。という言葉を飲み込み、わたくしはその場を離れます。
 自室に戻ると荒らされた部屋はきちんと元に戻されていました。既にハリーが手配してくれていたのでしょう。

「大丈夫かい?何か食べた方がいいよ」

「ありがとう……でも、今あの方達と昼食を共にする気にはなれないわ。貴方が代わりに昼食を召し上がってらして?」

 わたくしはメイドに簡単に食べるものを用意する事と、後程ハリーをここに来させるように言いつけました。
 メイドが下がり、二人きりになった時を狙ってわたくしは切り出します。

「レオニール、貴方を巻き込んでごめんなさい。……でもきっと悪いようにはしないわ」

「気にしないで。前から言っていただろう? 僕はアマンディーヌあの女が大嫌いなんだよ。貴族の男と見ればしなだれかかるような下品な女と結婚するぐらいなら、爵位を継がなくて良いと思っていたんだ。そうなると困るのは伯父上の方だからね」

 やはり真っ直ぐなレオニールの瞳は、今のわたくしには眩しすぎます。わたくしを包んでいる暗い気持ちが罪悪感となって左胸を突き刺すようで、わたくしは思わず目をそらしながら呟きました。

「……わたくしと結婚して、侯爵家を継いで下さらない……?」

 口に出した途端、大きな後悔がわたくしを襲いましたが同時にレオニールが息を大きく吸った音がして、胸の辺りが膨らんだのが見えました。

「フロレンス、良いのか? だって君はユベール殿下の事が……」

 レオニールの声が震えています。そこには喜びと期待が混じっているのがわかりました。
 返答するわたくしの声も震えていましたが、わたくしの感情はレオニールに伝わってしまわなかったでしょうか。

「……いいえ、わたくしはずっとユベール殿下ではなく、わたくしの再従兄弟はとこを想っていたの……」

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