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1章
怯懦
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緊張感がぴりぴりと肌を刺すような一日が、やっと終わろうとしていた。
寮の自室に戻ることができたのは、午後7時頃。外はもう暗くなりはじめていた。
自室に戻ったからといって安全になる訳ではないけれど、生徒同士の探り合いと警戒に満ちた視線から逃れられる環境に身をおけるだけでも、幾分か気は休まった。
寮では個室が与えられている。流石にルームメイトがいては先に寝た方が負けになってしまうから、当然のことであるともいえる。調度品はシンプルではあるけれど質の良いものが揃えられているようで、文机は飴色に輝くアンティークだったし、ベッドのヘッドボードは曲り木で複雑な模様が描かれている。何人の血を吸っているものか分かりやしないけれど、少なくともベッドにかけられたシーツはぱりっと音がしそうなほどに白くまっすぐで、ミントグリーンのカーテンは優しく張り出し窓を覆っていた。
部屋に怪しい仕掛けがないかを一通り検分してから、私は荷物た。部屋中を持参した布巾で吹き上げ、その布巾もまた入念に洗った。
荷解きや部屋の準備が終わって、小さく溜息をついた。教科書すら配られていない現状では何もすることがないが、この調子では授業が始まったら随分忙しくなりそうだ。一つ一つの日常動作に時間がかかりすぎる。時間をかけずに身の安全を確保するルーティンを、早急に工夫し、身につける必要があるのは明白だった。
さて、寝る支度をしよう。
各部屋にバスルームとトイレが付属しているのは本当にありがたいことだった。ただ、音で周囲の警戒が出来なくなるのが怖いので、シャワーは使えない。カランを使用して湯を張り、可能な限り静かに身を清めた。
困ったのはバスルームを出た後だった。
迂闊だった。私の髪の毛は腰の位置まであるほどに長い。
ドライヤーは持参していたものの、大きな音が出る。乾かさなければならない長さを考えれば相当の時間無防備になってしまう。
仕方ない。
裁縫用具セットの底から取り出したのは、護身具の一つくらいにはなるかと思って持参した、ずっしりした銀色の裁ち鋏だった。
濡れた髪はゴミ箱に落ちるたびに重みのある音を微かにたてた。
肩につくくらいの長さにした髪の毛は、少しばかり不揃いだったが、ドライヤーをかけながら背中を刺されるよりはましだろう。
鳴子を外して、張り出し窓の正面だけを微かに開けると、都合の良いことにひんやりとした風が部屋の中に吹き込んできた。窓台に座って念入りに髪を梳かしながら、髪の毛を風にさらす。
外の空気を喉の奥にまで通していると、やっと少しだけ、生きているような気がした。
何に対してか解らないけれど、自然と涙が滲んだ。
帰りたい家などなかった。再会したい友などいなかった。実現したい夢などない。
普通の人生を送ることが出来るなんて、そんな思い上がりは抱いたことはなかった。出来ればここに来る前に死のうと思っていたけれど、迷ったまま、覚悟だけが決まらないまま、来てしまった。
この学校の入学案内を親の書斎で見つけたときの私には、どこかでほっとした気持ちすらあったのだ。
そう考えてみるとなんだか、滑稽な気がした。生きたくもない癖にこうやって髪まで切り落として、私は何に執着しているのだというのだろう。
そのまま窓の外に身を乗り出した。重力を感じる。このまま重心をずらしていけば、そのまま・・・・・・
「何してるの?」
すぐ近くから声が聞こえて、私は死ぬほどびっくりした。しかも驚いた時に重心のバランスを微妙に崩して下に落ちそうになり、心底慌てた。なんとも間抜けなものだ。
顔を上げた先には、美しい少女がいて、隣の部屋から私を見つめていた。
寮の自室に戻ることができたのは、午後7時頃。外はもう暗くなりはじめていた。
自室に戻ったからといって安全になる訳ではないけれど、生徒同士の探り合いと警戒に満ちた視線から逃れられる環境に身をおけるだけでも、幾分か気は休まった。
寮では個室が与えられている。流石にルームメイトがいては先に寝た方が負けになってしまうから、当然のことであるともいえる。調度品はシンプルではあるけれど質の良いものが揃えられているようで、文机は飴色に輝くアンティークだったし、ベッドのヘッドボードは曲り木で複雑な模様が描かれている。何人の血を吸っているものか分かりやしないけれど、少なくともベッドにかけられたシーツはぱりっと音がしそうなほどに白くまっすぐで、ミントグリーンのカーテンは優しく張り出し窓を覆っていた。
部屋に怪しい仕掛けがないかを一通り検分してから、私は荷物た。部屋中を持参した布巾で吹き上げ、その布巾もまた入念に洗った。
荷解きや部屋の準備が終わって、小さく溜息をついた。教科書すら配られていない現状では何もすることがないが、この調子では授業が始まったら随分忙しくなりそうだ。一つ一つの日常動作に時間がかかりすぎる。時間をかけずに身の安全を確保するルーティンを、早急に工夫し、身につける必要があるのは明白だった。
さて、寝る支度をしよう。
各部屋にバスルームとトイレが付属しているのは本当にありがたいことだった。ただ、音で周囲の警戒が出来なくなるのが怖いので、シャワーは使えない。カランを使用して湯を張り、可能な限り静かに身を清めた。
困ったのはバスルームを出た後だった。
迂闊だった。私の髪の毛は腰の位置まであるほどに長い。
ドライヤーは持参していたものの、大きな音が出る。乾かさなければならない長さを考えれば相当の時間無防備になってしまう。
仕方ない。
裁縫用具セットの底から取り出したのは、護身具の一つくらいにはなるかと思って持参した、ずっしりした銀色の裁ち鋏だった。
濡れた髪はゴミ箱に落ちるたびに重みのある音を微かにたてた。
肩につくくらいの長さにした髪の毛は、少しばかり不揃いだったが、ドライヤーをかけながら背中を刺されるよりはましだろう。
鳴子を外して、張り出し窓の正面だけを微かに開けると、都合の良いことにひんやりとした風が部屋の中に吹き込んできた。窓台に座って念入りに髪を梳かしながら、髪の毛を風にさらす。
外の空気を喉の奥にまで通していると、やっと少しだけ、生きているような気がした。
何に対してか解らないけれど、自然と涙が滲んだ。
帰りたい家などなかった。再会したい友などいなかった。実現したい夢などない。
普通の人生を送ることが出来るなんて、そんな思い上がりは抱いたことはなかった。出来ればここに来る前に死のうと思っていたけれど、迷ったまま、覚悟だけが決まらないまま、来てしまった。
この学校の入学案内を親の書斎で見つけたときの私には、どこかでほっとした気持ちすらあったのだ。
そう考えてみるとなんだか、滑稽な気がした。生きたくもない癖にこうやって髪まで切り落として、私は何に執着しているのだというのだろう。
そのまま窓の外に身を乗り出した。重力を感じる。このまま重心をずらしていけば、そのまま・・・・・・
「何してるの?」
すぐ近くから声が聞こえて、私は死ぬほどびっくりした。しかも驚いた時に重心のバランスを微妙に崩して下に落ちそうになり、心底慌てた。なんとも間抜けなものだ。
顔を上げた先には、美しい少女がいて、隣の部屋から私を見つめていた。
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