13 / 14
章灯と拳骨
しおりを挟む
ゲンさんが夢の中に出て来たのは、火葬が終わって、じいちゃんが作ってくれた小さな仏壇にその遺骨を置いてから数日後のことだった。
写真立ての中のゲンさんは笑っている。その隣には、お気に入りの青い首輪。
仏壇のある部屋は、普段ならあまり近付かないし、ましてやそこに長居することもそうそうないんだけど。
だけど。
ゲンさんと離れたくなかった。
俺はゲンさんが死んでから学校にも行かないでずっとその仏壇の部屋にいた。
いまでいうペットロスってやつだったと思う。
この俺が。
お化けとか幽霊とか、そういうのが全く駄目なこの俺が。
ご先祖様の写真がずらりと並んでいるこの部屋で寝起きしてるんだから、お父さんもお母さんも、もちろん姉ちゃんもかなり驚いていたけど。
ご先祖様の写真の方は極力見ないようにして、その夜も、俺は一人でそこで寝た。
気付くと俺は、何かふわふわしたところを歩いていた。
すると、前からゲンさんが走ってくるんだよ。
俺がもっと小さかった頃、一緒に公園を走り回っていた頃みたいに、とっとことっとこと軽やかにさ。
しかも、ちゃんと言葉が通じるんだ。
ゲンさん、俺の足元をぐるぐるぐるぐる回りながらさ、言うんだ。
「お久し振りですなぁ、章坊ちゃん」って。
やっぱり夢だからさ、思い描いてた通りの声なんだよ。低くて、渋くてさ、ちょっと掠れた声。ベテランの刑事さんみたいな、って言えば伝わるかな。まさにいぶし銀って感じ。
「まさかゲンさんとこうやって話せるなんてな」
「あっしも感無量でございますよ、章坊ちゃん」
「ゲンさん、俺のこと『章坊ちゃん』って呼んでたんだ」
「えぇ、章坊ちゃんに紀華嬢ちゃん。お2人がお生まれになった時から、ずっとそうお呼びしておりましたよ」
「何だか恥ずかしいな」
その場に腰を落として胡坐をかく。
何せ夢の中だから、念じるだけで色んなものが出て来るんだ。俺はゲンさんのお気に入りのジャーキーを出した。ゲンさんは「どうもどうも」なんて言って、はぐはぐと食べている。
「章坊ちゃん……、あっしがこうやって章坊ちゃんの夢の中にお邪魔出来るのは、恐らくこれが最初で最後になると思うんでさ」
「えっ……?」
いやいや、だってこれ、俺の夢だろ? 夢くらい何回でも……。
「どうしてもお伝えしたいことがございましてね」
「俺に伝えたいこと?」
ゲンさんが俺を見上げている。
口をぴったりと閉じ、その大きな目を潤ませて。
「章坊ちゃん、あっしが死んだ時、たくさんたくさん泣いて下さってありがとうございます。紀華嬢ちゃんも、景章さんも、華織さんも、みぃーんな泣いて下さった。こんなに嬉しいこたぁありません。けどね、章坊ちゃん、どんなに泣いても、明日は来るんです。あっしのことを忘れなくちゃあいけない時が来るんです」
「そんな……ゲンさんのこと忘れるなんて嫌だよ」
「いえいえ。何も全部忘れろってことじゃあありませんよ。ただね、いつまでも悲しいままじゃいけないってことです。前を向いて、先を見なくちゃあなんねぇ。特に章坊ちゃんは『これから』の人なんですから」
そんなことをぽつぽつとしゃべり、ちらり、と遠くを見た。
すると、そこには小さなパグがいた。
ゲンさんの子ども……? いや、そんなはずはない。と思う。
「ゲンさん……あれは? 誰?」
「さぁ、いまのところ、あっしにもわかりませんが……。ただ、きっとあれがあっしの『次』なんでしょう」
「『次』?」
「どうやらあっしは次、あの犬になるようです。まさかまた犬だとは。それも、何の因果かまたパグとはねぇ」
「生まれ変わり……ってやつ? 本当にあるんだ」
「そのようですな。だからあっしは『次』にいきます。章坊ちゃんも、『いま』に囚われていないで、先に進みましょうや」
「わかってるけど……。でも、寂しいよ、ゲンさん」
ぎゅっと抱きしめると、やっぱりゲンさんは温かかった。
温かくて、ドクドクと心臓の音が伝わってきて、ハッハッて呼吸もしてて。
――あぁ、生きてるって思った。
「いつになるかはわかりませんが、あっしはきっと、あのパグになったら――また章坊ちゃんに会いに行きますよ」
「そんなこと……出来るわけないじゃん」
「出来ますとも。必ず章坊ちゃんの元に参ります。あっしら飼い犬ってぇのはねぇ、何があったって飼い主を悲しませたりしちゃあならねぇんです。そんな顔をさせちゃあいけねぇんでさ。だからね、章坊ちゃんがまた笑って下さるように、あっしはどんな手を使ってでも、必ず章坊ちゃんのところに参りますから」
「本当?」
「本当ですとも。もしいつか、章坊ちゃんがパグを飼うことになったなら――試してごらんなせぇ」
「試す? 何を?」
「お歌を聞かせておくんなさい。きっとあっしだってわかると思います。わかるような仕草をしてみせますとも」
「……わかった。絶対にだよ。約束だよ、ゲンさん」
「もちろん。男に二言はございません。さて、そろそろ時間です。さ、さ、章坊ちゃん。涙をお拭きなせぇ。明日からはきっと学校にも行けますね? さすがに家でずっとふさぎ込まれちゃ、あっしだって章坊ちゃんの前に出て行きにくくなっちまいますから」
「わかった。ちゃんと学校に行くよ。次にゲンさんに会う時には、もっと恰好良くて、男らしい俺になってるから」
「楽しみですねぇ。……章坊ちゃん、お身体にお気を付けて。必ず、必ず参りますから。待ってておくんなさい」
「待ってるよ、ゲンさん」
ずっと、待ってるよ。
そこで目が覚めた。
手はうっすら汗ばんでいて、さっきまで本当にゲンさんを抱いていたようなぬくもりが残っていた。
だけど、夢だから。
俺が、俺自身を前に進ませるために見せた、都合の良い夢だから。
そう思った。
でも、約束したもんな。
次にゲンさんに会う時までに恰好良い俺になってないと。
「ゲンさん、俺、頑張る。ずっと忘れないから」
写真立てのゲンさんにそう誓って、俺は部屋を出た。
写真立ての中のゲンさんは笑っている。その隣には、お気に入りの青い首輪。
仏壇のある部屋は、普段ならあまり近付かないし、ましてやそこに長居することもそうそうないんだけど。
だけど。
ゲンさんと離れたくなかった。
俺はゲンさんが死んでから学校にも行かないでずっとその仏壇の部屋にいた。
いまでいうペットロスってやつだったと思う。
この俺が。
お化けとか幽霊とか、そういうのが全く駄目なこの俺が。
ご先祖様の写真がずらりと並んでいるこの部屋で寝起きしてるんだから、お父さんもお母さんも、もちろん姉ちゃんもかなり驚いていたけど。
ご先祖様の写真の方は極力見ないようにして、その夜も、俺は一人でそこで寝た。
気付くと俺は、何かふわふわしたところを歩いていた。
すると、前からゲンさんが走ってくるんだよ。
俺がもっと小さかった頃、一緒に公園を走り回っていた頃みたいに、とっとことっとこと軽やかにさ。
しかも、ちゃんと言葉が通じるんだ。
ゲンさん、俺の足元をぐるぐるぐるぐる回りながらさ、言うんだ。
「お久し振りですなぁ、章坊ちゃん」って。
やっぱり夢だからさ、思い描いてた通りの声なんだよ。低くて、渋くてさ、ちょっと掠れた声。ベテランの刑事さんみたいな、って言えば伝わるかな。まさにいぶし銀って感じ。
「まさかゲンさんとこうやって話せるなんてな」
「あっしも感無量でございますよ、章坊ちゃん」
「ゲンさん、俺のこと『章坊ちゃん』って呼んでたんだ」
「えぇ、章坊ちゃんに紀華嬢ちゃん。お2人がお生まれになった時から、ずっとそうお呼びしておりましたよ」
「何だか恥ずかしいな」
その場に腰を落として胡坐をかく。
何せ夢の中だから、念じるだけで色んなものが出て来るんだ。俺はゲンさんのお気に入りのジャーキーを出した。ゲンさんは「どうもどうも」なんて言って、はぐはぐと食べている。
「章坊ちゃん……、あっしがこうやって章坊ちゃんの夢の中にお邪魔出来るのは、恐らくこれが最初で最後になると思うんでさ」
「えっ……?」
いやいや、だってこれ、俺の夢だろ? 夢くらい何回でも……。
「どうしてもお伝えしたいことがございましてね」
「俺に伝えたいこと?」
ゲンさんが俺を見上げている。
口をぴったりと閉じ、その大きな目を潤ませて。
「章坊ちゃん、あっしが死んだ時、たくさんたくさん泣いて下さってありがとうございます。紀華嬢ちゃんも、景章さんも、華織さんも、みぃーんな泣いて下さった。こんなに嬉しいこたぁありません。けどね、章坊ちゃん、どんなに泣いても、明日は来るんです。あっしのことを忘れなくちゃあいけない時が来るんです」
「そんな……ゲンさんのこと忘れるなんて嫌だよ」
「いえいえ。何も全部忘れろってことじゃあありませんよ。ただね、いつまでも悲しいままじゃいけないってことです。前を向いて、先を見なくちゃあなんねぇ。特に章坊ちゃんは『これから』の人なんですから」
そんなことをぽつぽつとしゃべり、ちらり、と遠くを見た。
すると、そこには小さなパグがいた。
ゲンさんの子ども……? いや、そんなはずはない。と思う。
「ゲンさん……あれは? 誰?」
「さぁ、いまのところ、あっしにもわかりませんが……。ただ、きっとあれがあっしの『次』なんでしょう」
「『次』?」
「どうやらあっしは次、あの犬になるようです。まさかまた犬だとは。それも、何の因果かまたパグとはねぇ」
「生まれ変わり……ってやつ? 本当にあるんだ」
「そのようですな。だからあっしは『次』にいきます。章坊ちゃんも、『いま』に囚われていないで、先に進みましょうや」
「わかってるけど……。でも、寂しいよ、ゲンさん」
ぎゅっと抱きしめると、やっぱりゲンさんは温かかった。
温かくて、ドクドクと心臓の音が伝わってきて、ハッハッて呼吸もしてて。
――あぁ、生きてるって思った。
「いつになるかはわかりませんが、あっしはきっと、あのパグになったら――また章坊ちゃんに会いに行きますよ」
「そんなこと……出来るわけないじゃん」
「出来ますとも。必ず章坊ちゃんの元に参ります。あっしら飼い犬ってぇのはねぇ、何があったって飼い主を悲しませたりしちゃあならねぇんです。そんな顔をさせちゃあいけねぇんでさ。だからね、章坊ちゃんがまた笑って下さるように、あっしはどんな手を使ってでも、必ず章坊ちゃんのところに参りますから」
「本当?」
「本当ですとも。もしいつか、章坊ちゃんがパグを飼うことになったなら――試してごらんなせぇ」
「試す? 何を?」
「お歌を聞かせておくんなさい。きっとあっしだってわかると思います。わかるような仕草をしてみせますとも」
「……わかった。絶対にだよ。約束だよ、ゲンさん」
「もちろん。男に二言はございません。さて、そろそろ時間です。さ、さ、章坊ちゃん。涙をお拭きなせぇ。明日からはきっと学校にも行けますね? さすがに家でずっとふさぎ込まれちゃ、あっしだって章坊ちゃんの前に出て行きにくくなっちまいますから」
「わかった。ちゃんと学校に行くよ。次にゲンさんに会う時には、もっと恰好良くて、男らしい俺になってるから」
「楽しみですねぇ。……章坊ちゃん、お身体にお気を付けて。必ず、必ず参りますから。待ってておくんなさい」
「待ってるよ、ゲンさん」
ずっと、待ってるよ。
そこで目が覚めた。
手はうっすら汗ばんでいて、さっきまで本当にゲンさんを抱いていたようなぬくもりが残っていた。
だけど、夢だから。
俺が、俺自身を前に進ませるために見せた、都合の良い夢だから。
そう思った。
でも、約束したもんな。
次にゲンさんに会う時までに恰好良い俺になってないと。
「ゲンさん、俺、頑張る。ずっと忘れないから」
写真立てのゲンさんにそう誓って、俺は部屋を出た。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜
なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」
静寂をかき消す、衛兵の報告。
瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。
コリウス王国の国王––レオン・コリウス。
彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。
「構わん」……と。
周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。
これは……彼が望んだ結末であるからだ。
しかし彼は知らない。
この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。
王妃セレリナ。
彼女に消えて欲しかったのは……
いったい誰か?
◇◇◇
序盤はシリアスです。
楽しんでいただけるとうれしいです。
【完結】捨ててください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと貴方の側にいた。
でも、あの人と再会してから貴方は私ではなく、あの人を見つめるようになった。
分かっている。
貴方は私の事を愛していない。
私は貴方の側にいるだけで良かったのに。
貴方が、あの人の側へ行きたいと悩んでいる事が私に伝わってくる。
もういいの。
ありがとう貴方。
もう私の事は、、、
捨ててください。
続編投稿しました。
初回完結6月25日
第2回目完結7月18日
【完結】王太子妃の初恋
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
カテリーナは王太子妃。しかし、政略のための結婚でアレクサンドル王太子からは嫌われている。
王太子が側妃を娶ったため、カテリーナはお役御免とばかりに王宮の外れにある森の中の宮殿に追いやられてしまう。
しかし、カテリーナはちょうど良かったと思っていた。婚約者時代からの激務で目が悪くなっていて、これ以上は公務も社交も難しいと考えていたからだ。
そんなカテリーナが湖畔で一人の男に出会い、恋をするまでとその後。
★ざまぁはありません。
全話予約投稿済。
携帯投稿のため誤字脱字多くて申し訳ありません。
報告ありがとうございます。
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
【完結】生贄になった婚約者と間に合わなかった王子
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
フィーは第二王子レイフの婚約者である。
しかし、仲が良かったのも今は昔。
レイフはフィーとのお茶会をすっぽかすようになり、夜会にエスコートしてくれたのはデビューの時だけだった。
いつしか、レイフはフィーに嫌われていると噂がながれるようになった。
それでも、フィーは信じていた。
レイフは魔法の研究に熱心なだけだと。
しかし、ある夜会で研究室の同僚をエスコートしている姿を見てこころが折れてしまう。
そして、フィーは国守樹の乙女になることを決意する。
国守樹の乙女、それは樹に喰らわれる生贄だった。
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
目が覚めたら夫と子供がいました
青井陸
恋愛
とある公爵家の若い公爵夫人、シャルロットが毒の入ったのお茶を飲んで倒れた。
1週間寝たきりのシャルロットが目を覚ましたとき、幼い可愛い男の子がいた。
「…お母様?よかった…誰か!お母様が!!!!」
「…あなた誰?」
16歳で政略結婚によって公爵家に嫁いだ、元伯爵令嬢のシャルロット。
シャルロットは一目惚れであったが、夫のハロルドは結婚前からシャルロットには冷たい。
そんな関係の二人が、シャルロットが毒によって記憶をなくしたことにより少しずつ変わっていく。
なろう様でも同時掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる