ずっと忘れないから

宇部 松清

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突然の来客2

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「ただいま。――ん? あれ? デロリス?」
「わう!」

 あぁ、章坊ちゃん! お帰りなさい! お待ちしておりました!

「ただいま、ゲンさん。ああもうデロリス、どうしてここにいるんだ。小番こつがいすげー心配してるぞ。公園で待ち合わせしてるからさ、一緒に行こう。ゲンさんも、行こ」

 章坊ちゃんは急ぎ足で家に入りますと、「ちょっと出掛けて来る」と華織さんに向かって叫び、再び戻って来ました。

「よし、行こう!」

 そう言ってからまだランドセルを背負ったままだということに気付いたんでしょう、「もう!」なんて言いながら、また家の中に走っていきました。どすん、という音が聞こえたんで、放り投げたんでしょうな。

 
 ――で。

 さすがに首輪がありませんからね、リードも付けられないわけです。
 あっしより大きいとはいえ、まぁカゴに入らないほど大きいというわけでもありません。そりゃあ少々窮屈そうではありましたけれども。
 あっしは首輪にしっかりとリードを付けた状態で、章坊ちゃんが自転車を押しながら歩くのに合わせ、とことことついて行きました。押すのではなく、乗った方が速いとは思うのですが、何せあっしが老いぼれなものですから、ついて行けるわけがないのです。それに、どうやら章坊ちゃんの方でも、余所様の犬を乗せて自転車をこぐというのはいささか抵抗があるようでした。何かあっちゃ大変ですからね。

 しかし……はぁ……あれ……ですねぇ……。
 最近は……ちょっと歩くだけでも……はぁ……しんど……くって……はぁ……いけませんや……。

「ゲンさん、大丈夫か? もう少しゆっくりにしようか」

 い、いえ……章坊ちゃん……急ぎましょう……。リツカちゃん……心配なさって……おっ、おいで……ですからねぇ……はぁ……。

 なんてあっしが思ったところで、伝わらないのです。仕方ないんですよ、こればかりは。

 章坊ちゃんはあっしを片手でひょいと持ち上げると、器用にももう片方の手でハンドルを操作し、さっきよりも幾分か早足で歩き始めました。

 随分とたくましくなられて。
 章坊っちゃんに抱かれてそんな風にしみじみと思っておりますと、何だかふいに視界がぼやけて参りました。嫌ですね、年を取ると涙腺が弱くなっちまってねぇ。でも涙はそんなに出ないんですけどね。たまに見えづらくなっちまうんですよ。困ったものです。


「小番!」

 公園に着くと章坊ちゃんは、リツカちゃんの姿を見るや否や、デロリス嬢が声を上げるよりも先にその名を呼びました。
 ベンチに座っていたリツカちゃんは、泣いていたのか、両手で顔を覆っておりましたが、章坊ちゃんの声でハッと顔を上げました。そして、自転車のカゴに乗っているデロリス嬢を見つけると、途中何度も転びそうになりながらもこちらへと走って来たのです。

「デロリス! デロリス! 良かった! 良かったぁぁぁ!!!」
「わうわう!(もう、泣かないでよリッちゃん)」

 泣かないで、じゃござんせんよ、デロリス嬢。だからね、こういうこたぁしちゃいけねぇんです。胸が痛いでしょう? でもね、あっしらなんかより、ご主人達の方が何倍も何倍も辛いんですよ。こんな思いだけはさせちゃあなんねぇ。わかったかい?

「わう!(わかったわよぅ、もう)」


「……ゲンさん行こっか」

 おや、良いんですかい。

「デロリスも無事小番に渡せたしさ。一旦家に戻って散歩バッグ取ってこよ。そんで、改めて散歩だ。今日は……自転車の散歩にしような」

 何かすみませんねぇ。何だか最近身体が重たくっていけねぇや。でも散歩はしたいってんだから、全く情けねぇ。

「小番、じゃ、また明日」
「――えぇ?! あ、あぁ! ありがとう、章灯しょうと!」
「どういたしまして。そんじゃ――」
「あっ、あのさ!」
「うん?」

 あっしをカゴに乗せながら、章坊ちゃんはリツカちゃんの方を向きました。
 リツカちゃんはいつの間にやらデロリス嬢に首輪とリードを取りつけていたようでした。彼女の足元にはやや気まずそうな顔をしたデロリスがいます。

「ねぇ、海に行かない?」
「海?」
「これからゲンさんとお散歩なんでしょ? もしコースが決まってなかったら、だけど」
「まぁ……良いけど。今日はゲンさん歩かせないつもりだし」

 え? いやいや、そんなあっしだってまだまだ歩けますよ。ただね、今日はちょっとばかし疲れてるってだけで。

「ゲンさん……もしかして……?」
「うん、お母さんの話だとね」

 アレ? アレって一体何のことですか?

「そうかぁ……。何歳だっけ」
「ちゃんとしたのはわかんないけど。ウチに来てもう12、3年くらいだったかな」
「それにプラスもう何年か、だもんね」
「うん。だからあんまり無理はさせないようにって言われてるんだ」

 うん? 章坊ちゃんもリツカちゃんも一体何の話をなさってるんですか?

『……まぁ良いじゃない。それよりほら、もしかしたらリッちゃん、勇気出すのかも』
『勇気?』
『だーかーらぁ、告白するってことよ。んもう、ゲンさんてば、飼い主さんと同じで鈍いのね』
『いやいや、あっしは愛だの恋だのとはとんと無縁でございましたからなぁ。しかし、まぁそういうことでしたら、協力せねばなりますまい』

 あっしとデロリス嬢が、わふわふ、わうわう、と会話しておりますと、章坊ちゃんはリツカちゃんをちらりと見てからあっしの顔を覗き込み、「ゲンさん、海、行く?」と聞いて来ました。

 まぁ、本当にリツカちゃんが勇気を出すかは別として、ですけど。
 行かない理由なんてございませんよ。ねぇ、デロリス嬢。

「わふ」

 たった一言、そう吠えただけで、

「そうか、わかった。海行こう、ゲンさん」

 そう伝わっちゃうんですから。やっぱり章坊ちゃんはあっしの言葉を理解しているのかもしれませんねぇ。


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