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オサム

可哀想なのは誰なのか(2)

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 神成さんのことはもちろん異性だと認識しているけど、恋愛対象だと思ったことはなかった。

 それは彼女が女性らしくないとか魅力に欠けるとか、そういう意味では全くなくて、ただ僕という人間が女性にとって恋愛対象になり得ることがないと認識していたからだ。

 はっきり言って女性としての神成さんはかなり魅力的だと思う。
 ちょっときつい印象があるがとても整った顔立ちをしているし、スタイルもいい。というのも細いだけじゃなく、胸やお尻まわりはふっくらとしていて、とても女性らしい体型をしていた。多分、世の多くの男性は彼女の様な人を好むし、彼女の様な身体つきに欲情するのだと思う。

 僕だってもちろん例外ではない。
 だけど、彼女は友人であって、友人である彼女にそんな感情を抱くのは失礼だし、僕なんかがそんな感情を抱くのは烏滸がましいと感じていた。

 ーーだって僕は、キモくて冴えない地味男だから。

 それを最初に言われたのはいつだっけ。はっきりとは思い出せないけど気がつけばそんな風に言われていた。
 まあ、それについて異論はない。何故なら自分でもそう思うから。
 中学の時、クラスの女子に話しかけたら「キモい」と言われた。目が合った時もそう言われた。間違って手に触れた時なんて、目の前で何度も何度も手を洗われた。

『ねえねえ、もしかしてあいつ、あんたのこと好きなんじゃない?』
『ちょっとやめてよ!気持ち悪い!あんなキモいやつに好かれたら最悪だよー』
『本当だよね、超ウケる!うちらをそんな目で見るなっつーの』

 わざと僕に聞こえるように、僕の方をチラチラと見ながら、そう言われたこともあった。大きな声で馬鹿にするように笑うクラスメートは、それはそれは楽しそうだった。
 その女子のことを特別可愛いとも好きだとも思ったことはないんだけど、どうしてそんな風に言われてしまったのかは分からない。ただその時、ああ僕は異性に好かれることはないし異性を好きになることもいけないんだな、と理解した。

 今考えるとものすごい稚拙で馬鹿げたことなんだけど、あの時の僕はそのままそう受け取ってしまったんだ。

 それから僕は、なるべく女子と関わらない様にしゃべらない様に目を合わせない様に、意識して生活してきた。でもそれは全く不便ではなく、むしろとても過ごしやすかった。女子と関わらないことで煩わしいことから解放され、心身ともに穏やかに暮らすことができたから。

 高校生活をそうやって難なくこなし、大学生活も同じようになるはずだった。



「神成さん、隣いいかな?」

 人気の講義だったためもう席は全て埋まっていて、時間ギリギリに来た僕の座る席はなかった。いや、一つだけしかなかった。どうしても他に空いてる席がなかったから、嫌な顔をされるのを承知でそう言った。振り返った彼女の嫌そうに歪む顔を見たくなくて俯いていると、彼女は僕以上に素っ気なく「どうぞ」とだけ言った。
 そこにはびっくりするくらい、何の感情も含まれてなかった。

 席に着き真面目に講義を受ける。受けていたつもりだったけど、教壇の前でしゃべる講師の話の内容は一向に僕の頭に入ってはこなかった。

 はっきり言って、女子と言葉を交わしたのは久しぶりだった。どれくらい久しぶりかが分からないほど、前に女子と話したのはいつだったか覚えていない。そして、女子がこんなにも近くにいることだってなかった。
 何とか平静を装っていたが、隣に座る彼女に聞こえてしまうんじゃないかと思うほど、ばくんばくんと心臓がうるさく跳ねていた。

 一体今、神成さんはどんな顔をしているのだろう。こんな僕が隣に座って、嫌がっていないだろうか。
 ふっと過った好奇心に負け、僕はバレない様にチラリと横を伺った。そして、息を呑む。

 隣に座る神成さんは、びっくりするくらい無表情だった。
 ピンと背筋を伸ばし、真っすぐ前を見据え、ただ真剣に講義を聞いていた。

 そう、僕のことなんて全くもって眼中にない。僕のことを嫌悪対象とすら見てなくて、僕の存在なんてこれっぽっちも認識してなくって。

 ……この、自意識過剰の被害妄想野郎!

 恥ずかしさが込み上げてきて、一刻も早くここから逃げ出したくなった。

 でも、できなかった。
 僕のことなんて欠片も眼中にない、神成さんの凛とした綺麗すぎる横顔から目が離せない。

 そんな僕の視線に気づいたのか、神成さんがふっと僕の方に顔を向けた。
 ーーやばい、怒られる!
 咄嗟に顔を背けようとすると、僕の予想に反して神成さんは小声で「どうかした?」と聞いてきた。
 その表情や声色に、嫌悪は見当たらない。
 ただただ純粋に、僕が見ていたことを不思議に感じていただけの様だった。

 何見てんだよ。こっち見てんじゃねーよ。キモいから見るな、寄るな。
 ーーそんな視線を、表情を向けられるのだと思っていたのに。

 何も言わない僕を不審に思ったのか「大丈夫?」とさらに問いかけられ、僕は慌てて首を横に振った。

「ごめんなさい、ちょっと時計を見ていただけで。神成さんを見ていたわけじゃないから」

 神成さんのずっと奥にある壁掛け時計を言い訳にすると、神成さんはそれをそのまま信じてくれたようでホッとした。
 とにかく彼女に嫌悪感を与えたくなかった。



 その日をきっかけに、僕と神成さんは会えば挨拶をするようになり、講義がかぶれば自然と隣の席に座るようになった。そして少しずつ打ち解け、いつのまにか友人と呼ばれるくらい仲良くなった。

 そのことが、僕は本当に嬉しかった。
 異性と仲良くなれたことが、というよりは神成さんとこうやって仲良くなれたことが。

 彼女はとても綺麗だし頭が良い。そんな人が僕みたいな奴に気兼ねなく話しかけてくれ、そして時には相談事を持ちかけられることもあった。思い込みではなく、確実に他の誰かよりも彼女と仲がいいと言える自信があった。
 かつ、彼女は僕と趣味も合った。好きな音楽、本、そして専攻する講義に研究室。彼女と肩を並べ、彼女と同じ視点、同じ思考を持っていることがとても誇らしかった。

 ただ、それも彼女を異性だと扱わないことが前提条件なのだけれども。

 彼女を女性として認識し、恋愛感情なんてものを抱いてしまえば、築き上げてきたこの関係はあっという間に崩れ去ると言うことを、僕はもちろん理解していた。

 神成さんは仲のいい友人だ。それ以上でもそれ以下でもない。
 この現状を維持するため、僕は常にそう自分に言い聞かせていた。

 中学の時に向けられたようなあの目を、言葉を、神成さんには絶対に向けられたくはなかった。神成さんと離れたくなかった。
 その想いは、仲が良くなればなるほど、強くなっていった。

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