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神成

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 意識が浮上して、沈んで、また浮上して。

 気がつけば、私は大海原にポツリと漂う、小さな魚だった。

 巨大すぎる大きな存在に、なすすべも無く身を委ねる。行きたい方に身体を動かしても、それが叶うことはない。結局、流れて、流されて、今どこにいるのかも、これからどこへ向かうのかもわからない。
 途方もなく無力。
 でも、それは決して、悲しい事ではなかった。

 穏やかに晴れていたそこは次第に雲行きが怪しくなり、あっいう間に嵐に呑み込まれた。私は大波に攫われ、巻き上げられ、打ち付けられ、粉々になって、海の一部と化す。
 このまま大いなる母の一部になる喜びに浸り、同時に恐怖に襲われた。

 ーー本当にそれでいいの?
 人の形をした私の声が聞こえた気がした。




 ガンガンと側頭部を思いきり殴られたような痛みが延々と続き、目が覚めた。と言っても、とても目を開けることができず、意識だけだが。
 未だアルコールが抜け切れていないのか、まだ夢の中にいるのか、ぐらんぐらん脳が揺れている。
 痛くて苦しくて気持ち悪い。

 苦痛に身を捩ると、ぎゅうっと身体を拘束された。
 ちょっと熱いくらいの心地いい温もり、それに無機物ではない柔らかい感触。そして匂い。多分、誰かに抱きしめられてるんだと思う。
 さっきまで海の中を漂っていたはずなのに、いつのまにか陸へと打ち上げらていたようだ。日光浴をしているようにぽかぽかと胸が温かくなるのを感じ、頭の痛みが少しだけ和らいだ。

 しばらくそのままでいると、また眠気が押し寄せてきて、私はそれに抗うことなく意識を手放した。




「った」

 ズキズキと痛む頭を何とか持ち上げて、目を開ける。目に入る世界は明るく、もうすでに朝であることを私に教えていた。
 何か、夢を見ていた気がする。とても壮大で、漠然とした夢を。どんな内容かは全く思い出せないけれど。

 視界に映るここは、私の部屋で海の中ではなく、私は魚なんかじゃなく、もちろんちゃんと手足がついていた。なぜか、全裸だったけれど。
 未だ状況を把握しきれないでいると、急に声をかけられ身体が跳ねた。

「よう」

 痛む頭を抑えながら辺りを見回すと、すぐ隣に安田が座っていた。私の部屋にある建築雑誌をペラペラとめくりながら。
 なんで、安田がここに……
 ズキンズキンと頭痛が増して、そこに手を押し当てた。そんな私を見て、安田が薄ら笑いを浮かべる。

「まだ頭痛えの?完全に飲みすぎだよ、お前。じーさんのポン酒どんだけ飲んだ訳」

「安田、なんで」

「覚えてねえの?」

 少し驚いたように目を丸くした安田の言葉に、私はまた痛む頭を抱えた。

 ……覚えていないわけない。いや、正確には今思い出した。
 あれが夢なら、忘れていたら、どんなに良かったか。
 昨日の自分の痴態を思い出し、ひどい自己嫌悪に苛まれた。
 確かに昨日は自分の意思で安田との行為に及んだ。酒に酔ってはいたが、泥酔していたわけではない。その証拠に、ちゃんと記憶もある。よっぽど消して、なかったことにしまいたいけれど。
 だからこそ、後悔している。
 どうして、あそこで、安田の手を取ってしまったのか。どうして、それに至る前に止められなかったのか。
 今そんなことを考えても事実を変えることはできないのに、悶々とそんなことを考えてしまう。

 頭を抱えてうずくまる私に、安田がはあーと大きなため息をついた。

「やってねえよ」

「え?」

「酔っぱらって意識無くした女に突っ込む趣味はないからな。ていうか、それどころじゃなかったし」

 やってない、ということは、最後まではしていないということだろうか。上手く働かない頭を必死に動かして考える。
 そこはさして問題ではない、というか昨日の時点で私的には完全にアウトなのだけど、どうやら安田は私がそのことで思い悩んでると勘違いしたらしい。

「ほら、やっぱり覚えてねーじゃん。お前昨日、俺が指でイカせてやってすぐにゲロッて、後始末するの大変だったんだぜ」

「う、うそっ!」

「うそじゃねーし。俺のパンツ汚しやがって。シーツも俺が替えて洗濯してあげました。風呂も勝手に入ったけど、もちろん文句なんてないよな?」

 信じられない思いで安田を見ると、確かに腰にバスタオルを巻いていて、私のいるベッドは新しいシーツに替えられていた。吐いた記憶はないが、吐いていないと断言もできない。昨日うちに帰ってきてからの記憶は断片的にしか思い出せず、気がつけば朝だったのだ。
 安田が嘘を言っていないだろう事実に、息が止まった。多分、心臓も止まった。
 顔色を青ざめ呆然とする私に向かって、安田が横目で顎をしゃくる。

「何か言うことがあるんじゃねーの?」

「ご、ごめん」

「そんだけ?」

 その先の言葉を促す安田の視線から逃れるように俯き、渋々「……ありがと」と呟いた。
 選りに選って安田の前でとんだ醜態を晒した上、大きな借りまで作ってしまうなんて……
 苦い気持ちと恥ずかしい気持ちと、少しだけ安田に対しての申し訳ない気持ちが渦巻いて、私は口を噤んだ。

「……ぷはっ!神成がしおらしいのなんて何かこえーな」

「なっ!私だって自分の非を認めればちゃんと謝るわよ!!」

 少しの沈黙の後、それを打ち破るように安田が軽快に噴き出した。
 責められて反省しなければいけない立場であるのに関わらず、安田がいつもの調子で軽口を叩くので、つい私も強い口調で言い返してしまった。言った後にハッと気づき慌てて口を噤んだが、安田は何も気にしていないようで、ホッとした。むしろ安田は、そんな私の一挙一動を、面白そうに観察しているように見えた。その視線に、途端居心地が悪くなる。それは不快、というよりは、こそばゆい、という類のものだった。

「ふーん。ま、いいや。じゃ、お詫びちょーだい」

「は?」

「お詫びとして、朝ご飯何か作れよ。昨日結局全然食べてねーし、めちゃくちゃ腹減ってんだ、俺」

「ああ、朝ご飯……」

 なんだ、とどこか拍子抜けした。
 安田のことだから、何かとんでもない見返りを要求してくるのかと身構えたのに。
 なんだ、そんなことなのか。
 ホッとしながらも、どこか残念に思っている自分がいて、慌ててそれを否定した。
 それじゃあまるで、違う言葉を期待していたみたいじゃないか。
 だとしたら、私は安田になんて言って欲しかったのか。安田に何を求められたかったのか。

 身体の芯がじくんと疼いた。

「とりあえず、何か着れば?お前のバカでかいおっぱい丸見えなんだけど」

「え?あっ!み、見るな馬鹿!部屋から出ていけ!!」

 ハッと我に返り、毛布からはみ出た胸を両手で隠した。
 状況が状況とは言え、異性の前で全裸でいることを忘れるとか……本当にあり得ない!
 かあーっと顔が熱くなり、頭からすっぽりと毛布に包まり丸くなった。「はいはい」と笑い交じりの呆れた安田の声と、扉の締まる音を確認し、そこでようやく息を吐く。
 心も身体も無防備にさらけ出すなんて、しかもそれを大嫌いな安田の前でするなんて。

 本当に、あり得ない。
 泣きたい気持ちを堪えながら、いそいそと私は部屋着に着替えた。

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