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神成

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 覚束ない足取りでふらつきながらも何とか洗面所へと向かい、昂った気持ちを落ち着けるように、大きく息を吐いた。
 比較的広くて綺麗な洗面所の、壁一面に張られた大きな鏡。そこに映る、頬を真っ赤に染め、目いっぱいに涙を溜めた女と目が合い、息を呑んだ。

 一瞬、それが誰なのか分からなかった。
 顔の造作が私によく似た、全くの赤の他人。そう脳が錯覚してしまうほど、鏡に映る女は私の知る普段の自分とはかけ離れていた。少なくとも、私にはそう見えた。
 自分以外の誰かである可能性なんて、ある訳ないのに。

『誰でもいいから突っ込まれてえって顔してるぜ?』
 つい最近言われたばかりの安田の台詞が頭をよぎり、咄嗟に鏡から目を逸らした。そこに映っていたのはまさしく、快楽に酔いしれ、はしたなくその先を強請る淫婦そのもので。
 安田の言う通りの顔をした女の存在をこれ以上感じたくなくて、私は急いで個室に駆け込んだ。

 鍵を閉めようと扉に手をかけると、勢いよく扉が開かれ、思いきり背後から抱きすくめられた。

 カチャリ。

 鍵を閉める金属音が聞こえた瞬間、私の中の何かが切れた。
 もう、いい加減限界だった。これ以上は、無理だった。
 堰が決壊するかのように、安堵にも歓喜にも似た感情が一気に押し寄せ、私を飲み込む。

 一体誰が、などと驚きもしない。むしろ席を立った時、こうなることをどこかで期待さえしていた。
 きつく抱きすくめられたまま、敢えてゆっくりと後ろを振り向けば、冷たくも熱を孕んだ瞳と目が合った。

「何、その目。誘ってんの?」

 私の身体を両腕で囲いこんだ安田は、目を細め笑いながら、どこか苛立ちの色を滲ませていた。

 ここは居酒屋のトイレで、いつ誰が来てもおかしくなくて、当たり前だけど用を足す以外の行為はしてはいけない場所で。
 頭ではそう理解できているのに、私の身体は全く逆の動きをみせる。
 身体を反転させ安田に向き合うと、安田の後頭部を無理やり引き寄せ、何かをぶつけるかのように強引に唇を重ねた。

「ふっ、はあっ」

 まるで何日も水を飲んでいないみたいに、水中で空気を求めるように。
 私はひたすら目の前の安田の唇に食らいついた。大袈裟ではなく、そうしないと死んでしまいそうだった。

 安田は一瞬目を瞠ったが、私の強引な口づけを拒絶することなく受け入れ、すぐ私以上に積極的に舌を突き出し、絡めてきた。呼吸するのもままならない位、深く激しく、互いを貪り合う。妖しく甘美な動きをする安田の舌に溺れ、私は理性を放棄した。

 それはもう、自分でもびっくりするほど、呆気なく。

 そうせざるを得なかったのか、そうしたくて堪らなかったのか。
 今となっては、もう。そんなこと、どうでも良かった。

 快楽の渦に飲み込まれ、本能に逆らうことなく流される。
 それは酷く甘く、アダムとイブの禁断の果実かのように背徳的で、私はその魅力に一瞬で取り憑かれてしまった。
 もうそれを知らなかった頃には戻れない、麻薬のような中毒性。堕ちたら最後、甘美で広大な海を漂う一匹の魚に成り果てるだけ。
 大罪だとずっと恐れていたそこは、とても優しく甘く穏やかな世界だった。

 狭いトイレの個室に男女が二人。もうこれ以上はないと言うほど身体をくっつけ、互いの熱を押し付け合っていた。

「ちょっと、余裕なさすぎなんじゃねえの。そんなに、欲しかった?」

 人を小馬鹿にしたような安田のいつもの言葉も、今は全然気にならない。むしろ、そう言った安田の方こそ、余裕の欠片もないように感じた。至近距離で私を射抜くその瞳は、冷静さを失い、私の下腹部に押し付けられている剛直は、服越しでも分かるほどに硬く張り詰めている。

「あの後、誰かに突っ込んでもらった?それとも、自分で慰めた?」

 完全に熱に浮かされた頭は、いつもの半分以下しか働いていない。あの後、と言われ、先週研究室で安田によって身体を弄られた時のことだと遅れて理解し、私は気だるげに首を横に振った。
 安田の身体に押し付けられた胸の尖りが、ジンジンと疼いている。それに比例するかのように、下腹部にも熱が篭り、もどかしくてしょうがない。上も下も、こんな刺激とも言えない些細なものじゃなく、もっと直接的なものを欲していた。

 ーー安田に、触って、気持ち良くしてほしい。

 燻り続けた疼きは、痒みに似ている。
 無意識のうちに私は尖りを擦りつけるかのように身体を揺らし、そしてその刺激に全身を震わせた。

「……えっろ」

 安田が舌なめずりする様に、耳元で呟く。それだけで私の全身にビリリと電気が流れ、身体はさらに熱くなった。いつの間にかジーンズを降ろされ、露わになった下着の脇から指を指し込まれる。
 ぴちゃり、と艶めかしい水音が、私の耳を捉えた。

「なあ、あん時からずっとこんなんなの?」

 安田の指が私の蜜壺をゆるりとかき回す度、ぴちゃぴちゃと水音が狭い個室に反響する。そんなもの聞きたくないのに、その淫らな水音を聞く度に、私の中から蜜が溢れて止まらない。過剰に分泌された愛液は、下着はもちろん、太腿まで垂れ下がり、その一帯を濡らしていた。

「ああっ、はあっ!」

 自然と縋りつくように安田の肩に両手を回し、翻弄する指の動きに必死に耐えた。安田の指はわざと私を焦らすように、浅い所ばかりをかき回していて、私から根こそぎ余裕を奪っていく。
 気持ちいい、だけど足りない。そこじゃない。もっと、もっと奥に欲しい。
 発散しきれない熱が、どんどん溜まって、息ができない。

「声、大きすぎ。外に漏れたら、困るのは神成だろ?」

 耳たぶを軽く食まれながら囁かれ、安田の声がダイレクトに頭の中に響き渡った。その低く掠れた声に目眩がし、お腹の奥が切なく疼く。

「やあ、んっ」

「やだ?止めてほしい?」

 安田は一度顔を離し、私を覗き込んで意地悪く笑った。そして私の反応を観察する様に、安田の指はちろちろともどかし気に浅瀬をくすぐる。私のいい場所を知っておきながら敢えてそこを避け、焦らす様に動くその指が、快楽以上の苦痛を私に与える。
 それはまるで、私に対する罰だった。
 快楽を与えながら、それに溺れることは許さないという、罰。
 弧を描く安田の目の奥の潜んだ、どす黒く渦巻く『何か』が、私の罪を戒めていた。

「やーー」

「やめる?」

 安田の指がピタリと止まる。
 互いの身体も呼吸も心臓の鼓動も、一瞬この場の時が全てが止まり、私と安田は見つめ合った。

「あー」

「何?」

 ーー唯一。安田の指を包む私の膣内だけが、ヒクンヒクンと、その先を強請っていて。
 コクッと小さく喉を鳴らし、私は思うまま口を開いた。

「……や、めないで。もっと、奥までああっ!」

「声、抑えろ、って」

 止まっていた指が奥深くまで差し込まれ、私はその刺激に背をしならせた。小さな舌打ちの後、噛みつくように口付けられ、漏れ出た喘ぎは全て安田の中に呑み込まれる。
 ぐちゅぐちゅと指で激しく抽送を繰り返され、絶頂の高みへと一気に押し上げられる。膣内にある堪らなく気持いいツボを安田の指が刺激する度に、私のそこは歓喜に震え、涙を流すかのように蜜を溢した。

「くっ、きつすぎ。俺の指に絡みついて離してくんねーんだけど。もしかして、さっきオサムの前でイッた?」

 安田の言葉にドキリと胸が跳ね、無意識に安田の指を、ぎゅっと締め付ける。嘘のつけない正直すぎる身体に、もはや羞恥の念を感じることはなかった。

「ははっ、図星かよ。もしかして、見られると興奮する性質タチ?ああ、だから今もこんなに濡れまくってんのか。外ですんのが好きだなんて、とんでもない淫乱女だな」

「ち、が」

「じゃあ、何でこんなぐっちょぐちょなんだよ」

「ああ、あああっ!!」

 安田が指を三本に増やし、押し広げるようにかき混ぜれば、ごぷりぬぷり、と下品すぎる音が狭い個室に響き渡った。

「お前ってそんなにセックス好きなの?いっつもこんなんなる訳?」

 そんな訳、あるはずない。重く鈍った頭を、必死に横に振って否定した。

 経験人数はたった二人だし、セックス自体気持ちいいと思ったことなんて、ほとんどない。それどころか濡れにくい、不感症だと言われ、相手に嫌な顔をされたぐらいだ。
 決してこんな、こんな風に、周りが見えなくなるほど訳わかんなくなって夢中になるなんてこと、なかった。

 ーー本当に、一度もなかったのだ。

「ち、がうっ」

「じゃあ、何で?」

 何で、何で?……そんなの、私が知りたい。

「や、安田がーー」

「俺が?」

「……あ、あんたが、私をそうさせてる、くせにっ!」

 そうだ。私のせいじゃない。
 私はいつも嫌がってるのに、安田が無理やりしてきて、私の身体をおかしくするんだ。
 何もかも全部、安田のせい。安田が。
 ーー安田だから、私は!

 鼻頭がつんとなって、込み上げるものをぐっと堪えた。

 安田に触れられると、私の身体は抵抗するのを簡単に放棄して、ぐずぐずに蕩けて溺れてしまう。安田に見つめられると、私は考えることをピタリと止め、込み上げてくる欲求に逆らえなくなる。
 安田の一挙一動が、私を堕として、乱して、壊して、浮かす。

 安田によって、私の全ては、塗り替えられてしまったんだ。

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