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神々に魅入られし淑女《タイムレス ラヴ》
幻影の刺客《シャドーアサシン》8
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……
………
…………
悪鬼の振り降ろした白刃は音を立てず、痛みも感じることはなかった。
武士の情けで楽に介錯してくれたのか?
いや、僅かに何かが頬を濡らす感覚が残っている。
まだ開くことの許されていた瞼を開けるとそこには……振り降ろされた白刃を身一つで庇う一人の少女の姿があった。
「そんな……どうして……?」
黒のセーラー服より滴る血の雨が、俺の頬を濡らす。
処女雪のように白かった師の肌を、溶け込むような深紅が汚していく。
「う……っ……くっ!」
右上段から袈裟斬りにされた竜は、滝のような血に顔を苦渋の色に滲ませながらも、蒼い燐光に包まれた右腕を悪鬼へと振り抜いた。
魔眼の力を帯びた音速の一撃は、悪鬼の肉体を平原の彼方まで吹き飛ばした。
竜の剣技を警戒していた上で裏を掻いた体術。
でも、それはあくまで受けてもさほど問題ないという悪鬼の油断と余裕からの時間稼ぎにしかならないことは、俺ですら判っていることだった。
ドサッ────
「おいっ!しっかりしろ、竜ッ!!」
倒れた師匠の華奢な体躯を俺は片腕で抱きかかえるも、何度も触れたことのある彼女の身体は嘘のように冷たかった。
熱を奪っている血を抑えようとするも、片腕は千切れた上に、彼女の傷は俺が悪鬼に負わせたものよりも遥かに深いものであった。
助からない。
どれだけ否定しようとも、俺の思考は残酷な現実を突きつけてきた。
それでも何とか抑えようと奮闘する俺の指の隙間を、嘲笑うように血の湯水がすり抜けていく。
「なんで……」
絶対に覆ることのない彼女の死に、どうしようもない憤りに声が震える。
「なんで……俺を庇ったりなんかしたんだ……っ」
俺を犠牲にすれば、竜の腕なら悪鬼を一撃で屠ることができたはずだ。
その絶好のチャンスを無下にし、身を挺してまで俺を庇う必要なんてどこにもない。
ましてや、言いつけを無視した弟子のことなんて……放っておけばよかったのに。
「君が……私にとって護りたい……大切な人だからさ……」
向けられた怒りに対し、竜は薄く笑って見せた。
自らの死を受け入れるように。
「フォルテ……最期に────」
「しゃべるなッ!!傷が開く!!」
自分が重態であることも顧みず、なんとしても止血しようと躍起になる俺が竜を怒鳴りつける。
切り裂かれた黒のセーラー服をから覗く、眼を背けたくなるような真っ赤な傷口。
水風船を割ったように、内臓からも血があふれ出していた。
もう助からない。
違う。
これ以上は無駄だ。
違うっ!!
ピタッ────
脳裏に過ったその声を何度も何度も否定する俺の頬に、血だまりに埋もれていた竜の繊細な指先が触れる。
「このままだと……二人とも……助からない……だから……」
か細い声でそう告げた彼女の指先に、さっき見せた蒼白い燐光が発せられる。
何だ……この光は……?
その光は俺の失われた左眼のあった場所へと集約され、眼窩に彼女の暖かな熱が拡がっていく。
「君にこれを……託す……」
そう告げて彼女は、俺の腕の中で力尽きる。
抱かれたままのその表情は、まるで深い眠りについたように穏やかなものだった。
血濡れた瞼の内に集まった蒼焔を、彼女の熱を感じていると、遠方より鋭い殺気がこちらへと向けられる。
殴り飛ばされた悪鬼がこちらにゆっくりと近づいてきていた。
俺は安らかに眠る彼女をそっと桜の幹に置き、対峙するように立ち上がる。
脈打つ彼女の熱が、失われていた以上の力を俺に宿してくれた。
その溢れ出た力に任せて咆哮を挙げると、曇天に覆われていた空が開け、満月の蒼が一筋舞い降りる。
月下に降り立った紅蒼の瞳を持つ鬼人が、闇夜で嗤う悪鬼に立ち向かっていった。
「どうして……?」
動揺を隠せない上擦った響き。
漏れ出た言葉が自身のものと理解するまでかなりの時間を要した。
竜は、師匠はそんな弟子の言葉に僅かに首を傾げる。
「どうして?君は一体どのことに対して言っているのかな?死んだはずなのに?姿を隠して君につき従っていたことに?それとも……どうして私がヨルムンガンドに属しているのかについてかい?」
「全部だ!!アンタを失って俺は……俺がどれだけアンタのことを……」
ずっと大切に思っていた。
命の恩人として、この世界を教えてくれた師匠として、そして……一人の少女として。
そんな掛け替えのない人物を、言いつけも守らず飛び出していった挙句に死にかけ、師匠はそんな不出来な弟子を庇って死んだ。
俺はずっとその贖罪を求めて、この世界を生霊のように彷徨っていた。
もしかすると、俺はその罪の意識があったからこそ、セブントリガーの隊長も割と素直に請け負う気になっていたのかもしれない。
「確かに君には色々と叩き込んだ。でもだからと言ってそれに依存するのは君の勝手だ。私の知ったことではないよ」
素っ気なく吐き捨てるようなそれは、まるで親に捨てられた子供のように心細く、頼りない気持ちにさせられる。
右眼に魔力が全く入らない。
それどころか視界すらぼやけ始め、その場に立っているのさえやっとの状態になっていた。
師匠はそれでも一切の躊躇なく武器を構えた。
シャドーがいつも手にしていた忍者刀を。
「さぁ、おしゃべりは終わりだ。もうすぐこの部屋も倒壊する。私に聞きたいことがあるなら力尽くで聞き出せばいいさ。ま、あれから一度も名を変えることのできなかった君にこの私が倒せればの話しだけど」
向けられた切っ先と竜の言葉に、俺はようやく三枚におろされた執務室が傾き始めていたことに気付いた。
立つことすらままならなかったのは、何も視界だけのせいではないと今更ながら理解する。
そんな狼狽したまま武器を構えることのできない俺に、竜は呆れて溜息を洩らした。
「これでもまだ戦うには足りないというのかい?全く困ったものだな……」
ふむ……と敵と称した俺から、その墨を流し込んだような瞳を背けて竜は考えに耽る。
逃げ出すならこれが最期のチャンスかもしれないというのに、俺の身体はマヒしたように動けなくなっていた。
「────はぁはぁ……一体何なのよ」
映画を強制的に視聴させられているような非現実感に支配されていた意識が、その声を聴いた瞬間、金縛りが解けたようにハッとする。
部屋の隅、切り裂かれた地面の亀裂を見れば、下層階に落ちていった執務室の片割れから這い上がってきたセイナが、倒壊で生じた粉塵に悪態と咳を連ねる。
その足元には、落ちていった先から引き上げたらしきクリストファーも転がされていた。
動揺していた俺が気付いたからには、当然、竜もそのことを感知している。
流し目が何度か思案するよう瞬きを重ねた後、
「ふふっ、いいことを思いついた」
口の端と目尻が僅かに吊り上がる。
墨黒の瞳が雌豹のように目標を見定めていた。
「そこまで拒むというなら、私が直々に戦う理由を与えてあげよう」
………
…………
悪鬼の振り降ろした白刃は音を立てず、痛みも感じることはなかった。
武士の情けで楽に介錯してくれたのか?
いや、僅かに何かが頬を濡らす感覚が残っている。
まだ開くことの許されていた瞼を開けるとそこには……振り降ろされた白刃を身一つで庇う一人の少女の姿があった。
「そんな……どうして……?」
黒のセーラー服より滴る血の雨が、俺の頬を濡らす。
処女雪のように白かった師の肌を、溶け込むような深紅が汚していく。
「う……っ……くっ!」
右上段から袈裟斬りにされた竜は、滝のような血に顔を苦渋の色に滲ませながらも、蒼い燐光に包まれた右腕を悪鬼へと振り抜いた。
魔眼の力を帯びた音速の一撃は、悪鬼の肉体を平原の彼方まで吹き飛ばした。
竜の剣技を警戒していた上で裏を掻いた体術。
でも、それはあくまで受けてもさほど問題ないという悪鬼の油断と余裕からの時間稼ぎにしかならないことは、俺ですら判っていることだった。
ドサッ────
「おいっ!しっかりしろ、竜ッ!!」
倒れた師匠の華奢な体躯を俺は片腕で抱きかかえるも、何度も触れたことのある彼女の身体は嘘のように冷たかった。
熱を奪っている血を抑えようとするも、片腕は千切れた上に、彼女の傷は俺が悪鬼に負わせたものよりも遥かに深いものであった。
助からない。
どれだけ否定しようとも、俺の思考は残酷な現実を突きつけてきた。
それでも何とか抑えようと奮闘する俺の指の隙間を、嘲笑うように血の湯水がすり抜けていく。
「なんで……」
絶対に覆ることのない彼女の死に、どうしようもない憤りに声が震える。
「なんで……俺を庇ったりなんかしたんだ……っ」
俺を犠牲にすれば、竜の腕なら悪鬼を一撃で屠ることができたはずだ。
その絶好のチャンスを無下にし、身を挺してまで俺を庇う必要なんてどこにもない。
ましてや、言いつけを無視した弟子のことなんて……放っておけばよかったのに。
「君が……私にとって護りたい……大切な人だからさ……」
向けられた怒りに対し、竜は薄く笑って見せた。
自らの死を受け入れるように。
「フォルテ……最期に────」
「しゃべるなッ!!傷が開く!!」
自分が重態であることも顧みず、なんとしても止血しようと躍起になる俺が竜を怒鳴りつける。
切り裂かれた黒のセーラー服をから覗く、眼を背けたくなるような真っ赤な傷口。
水風船を割ったように、内臓からも血があふれ出していた。
もう助からない。
違う。
これ以上は無駄だ。
違うっ!!
ピタッ────
脳裏に過ったその声を何度も何度も否定する俺の頬に、血だまりに埋もれていた竜の繊細な指先が触れる。
「このままだと……二人とも……助からない……だから……」
か細い声でそう告げた彼女の指先に、さっき見せた蒼白い燐光が発せられる。
何だ……この光は……?
その光は俺の失われた左眼のあった場所へと集約され、眼窩に彼女の暖かな熱が拡がっていく。
「君にこれを……託す……」
そう告げて彼女は、俺の腕の中で力尽きる。
抱かれたままのその表情は、まるで深い眠りについたように穏やかなものだった。
血濡れた瞼の内に集まった蒼焔を、彼女の熱を感じていると、遠方より鋭い殺気がこちらへと向けられる。
殴り飛ばされた悪鬼がこちらにゆっくりと近づいてきていた。
俺は安らかに眠る彼女をそっと桜の幹に置き、対峙するように立ち上がる。
脈打つ彼女の熱が、失われていた以上の力を俺に宿してくれた。
その溢れ出た力に任せて咆哮を挙げると、曇天に覆われていた空が開け、満月の蒼が一筋舞い降りる。
月下に降り立った紅蒼の瞳を持つ鬼人が、闇夜で嗤う悪鬼に立ち向かっていった。
「どうして……?」
動揺を隠せない上擦った響き。
漏れ出た言葉が自身のものと理解するまでかなりの時間を要した。
竜は、師匠はそんな弟子の言葉に僅かに首を傾げる。
「どうして?君は一体どのことに対して言っているのかな?死んだはずなのに?姿を隠して君につき従っていたことに?それとも……どうして私がヨルムンガンドに属しているのかについてかい?」
「全部だ!!アンタを失って俺は……俺がどれだけアンタのことを……」
ずっと大切に思っていた。
命の恩人として、この世界を教えてくれた師匠として、そして……一人の少女として。
そんな掛け替えのない人物を、言いつけも守らず飛び出していった挙句に死にかけ、師匠はそんな不出来な弟子を庇って死んだ。
俺はずっとその贖罪を求めて、この世界を生霊のように彷徨っていた。
もしかすると、俺はその罪の意識があったからこそ、セブントリガーの隊長も割と素直に請け負う気になっていたのかもしれない。
「確かに君には色々と叩き込んだ。でもだからと言ってそれに依存するのは君の勝手だ。私の知ったことではないよ」
素っ気なく吐き捨てるようなそれは、まるで親に捨てられた子供のように心細く、頼りない気持ちにさせられる。
右眼に魔力が全く入らない。
それどころか視界すらぼやけ始め、その場に立っているのさえやっとの状態になっていた。
師匠はそれでも一切の躊躇なく武器を構えた。
シャドーがいつも手にしていた忍者刀を。
「さぁ、おしゃべりは終わりだ。もうすぐこの部屋も倒壊する。私に聞きたいことがあるなら力尽くで聞き出せばいいさ。ま、あれから一度も名を変えることのできなかった君にこの私が倒せればの話しだけど」
向けられた切っ先と竜の言葉に、俺はようやく三枚におろされた執務室が傾き始めていたことに気付いた。
立つことすらままならなかったのは、何も視界だけのせいではないと今更ながら理解する。
そんな狼狽したまま武器を構えることのできない俺に、竜は呆れて溜息を洩らした。
「これでもまだ戦うには足りないというのかい?全く困ったものだな……」
ふむ……と敵と称した俺から、その墨を流し込んだような瞳を背けて竜は考えに耽る。
逃げ出すならこれが最期のチャンスかもしれないというのに、俺の身体はマヒしたように動けなくなっていた。
「────はぁはぁ……一体何なのよ」
映画を強制的に視聴させられているような非現実感に支配されていた意識が、その声を聴いた瞬間、金縛りが解けたようにハッとする。
部屋の隅、切り裂かれた地面の亀裂を見れば、下層階に落ちていった執務室の片割れから這い上がってきたセイナが、倒壊で生じた粉塵に悪態と咳を連ねる。
その足元には、落ちていった先から引き上げたらしきクリストファーも転がされていた。
動揺していた俺が気付いたからには、当然、竜もそのことを感知している。
流し目が何度か思案するよう瞬きを重ねた後、
「ふふっ、いいことを思いついた」
口の端と目尻が僅かに吊り上がる。
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